皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
昨日の記事の続きみたいなお話です。
心理学において「権威との葛藤」という概念があります。
子ども時代(依存時代)から自立する際に、それまで神様のように万能だと思っていた親に対して反抗しますよね。
明確な反抗期の有無にかかわらず、上下関係で自分の上にある親に対して嫌悪感や反発する気持ちがゼロの人はほとんどいないと思います。
この親に対する嫌悪感、反抗心が「権威との葛藤」というわけですが、この葛藤を抱え続けている場合、社会生活に投影されて、上司や先輩や習い事の先生に対する過度な期待(完璧な上司を求める等)、反抗的態度(完璧でない上司をバカにする)を取ることがあります。
この問題は、仕事の実力があるのに上から疎まれるがゆえに出世できないという問題にもなりますし、いざ自分が上司等のリーダーになる時に、自分が上司に抱いていた感情が今度は自分に向けられるのではないかというおそれにもなり、結果として社会で活躍できないという問題になります。
で。
私の話です。いつものように(笑)
私は、結構、上司から可愛がられる時もあったけれど、疎まれることもありました。
つまり、苦手なタイプの上司がいたのです。
学校の先生も、可愛がられる先生にはとても可愛がられたけれど、どちらかというと苦手な先生の方が多かった。
そして、可愛がってくれた上司に引っ張り上げてもらう、ということも、チャンスがあっても躊躇してしまい、なかなかうまく乗ることができませんでした。
それが、私には不思議でした。
なぜかというと、私は、父にとても可愛がられていたからです。
一般的には、父親(心理的に社会を代表する)との関係性が権威との葛藤の程度を決めると言われています。
つまり、父親から否定されたり無視されて育ったり、父親が強圧的で厳格過ぎたりすると、権威との葛藤が生じやすいわけです。
私の父は、団塊の世代で昭和の男ではありましたが、「女性らしく・可愛らしく」みたいなことを私に押し付けることはなく(ピアノをやらせて貰っていたし女性的なことがNGというわけではなかった)、
むしろ、京都をドライブしていて京大の前を通った時、「正美はあの学校に行くんだよ。」などと無茶振りをするような教育熱心な側面もありました。
その他の日常生活からも、私のことをとても愛してくれていたと実感しています。
・・・だとしたら、私、もっと出世できたはずなんだけどなあ(笑)
と、疑問だったのです。
理由としては、私の父は私が10歳の時に亡くなったため、大人になった私が父親の愛情を受け取り切れていなかったのが大きいだろう、と思っていました。
現に、自分の父に対する感情に向き合い続けて、父からの愛を受け取ることができるようになってから、仕事が上手く回り出しました。
でも、もっといける気がするのです(笑)
なんでかなあ、まだ理由があるのかなあ、とつらつらと模索していましたら、今日、突然、気が付きました。
私は、まだ父に怒っていたみたいです。父が亡くなったことに。
当然、どうしようもないことだ、仕方なかったんだ、と頭では分かっているので、怒りの感情を抑圧していたようです。
父が亡くなってから、専業主婦だった母は、13年ぶりに会社員として働き始めました。
母は結婚まで勤めていた会社に再雇用されたのですが、とはいえ、電卓の時代からワープロ・表計算ソフトの時代になっていて(パソコンはまだ普及していなかったようです)、1時間半の満員電車通勤の疲れもあり、本当に大変そうでした。
母の姉家族との同居も、余計に精神的疲労を増したようでした。
母は、ぽっちゃり体型だったのに、みるみる痩せていきました。
父が亡くなって1年か2年くらいした時に、母は胃潰瘍で入院しました。その約8年後には、盲腸で入院しました。
40代を過ぎても働き続ける女性が稀な会社において、働き続け、居心地よく生き残るために、母は、人一倍成果を残し、上司の更に上の役員たちを味方につけて頑張りました。
でも、時にセクハラやパワハラに遭って怖い思いをしたり、理不尽な処遇に遭ったりしていました。
そんな母の様子を見て、私と弟は、たぶん必死に母を守ろうとしたんだと思います。
でも、子どもだったから、思うように役に立つことはできなかった。
その自分の無力感が、父に対する無意識の怒りになっていた。
「パパが死ぬから、私と弟がママを守らなきゃいけなくなったじゃん!」
「これ、本当はあなたの仕事でしょ!」
そんな怒り。
もちろん、その奥底には「なんで死んじゃったのよ」「生きていて欲しかった」という悲しみと愛情があって。
この父に対する怒り。この怒りに似た感情には、社会生活の中でたくさん身に覚えがありました。
本来の担当職務や役割を全うしない人のフォローをした時、私はいつも「これ、本当はあなたの仕事でしょ!」という怒りを感じていました。
パートナーのいる人(男女問わず)の精神的ケアをし過ぎた時は、「これ、私じゃなくてあなたのパートナーのの仕事でしょ!」という怒りを、口にすることはありませんが感じていました。
要するに、私は、何かを肩代わりしたような犠牲的な感情を持ちやすいのです。
それは、おそらく、父に対する怒りと悲しみが未完了だったから。
父に文句を言いたい、甘えdたい、パパが大好きな私の中の女の子が、まだ不満を抱えていたからなのです。
また、母がおそらく抱えていた社会に対する女性としての恐れや無力感も、私は母の話をたくさん聴いたことで受け継いでしまったのでしょう。
そんな時代だったから仕方ないし、私は、話を聴くことで母を助けたかったのですが。
こんな歳になってまで、父が母がと言っているのは、ある意味、情けないなあ、とつい自分を責めたくなる時もあるのですが。
でも、突き詰めれば、
私が父と母を深く愛していた、そして深く愛されていた、ということにしかならなくて。
父が「ごめんなあ。」と、母が「ごめんね。」と、笑いながら私をよしよししてくれたような気がして。私も、泣き笑いにしかならなくて。
たぶん、残っていた権威との葛藤も溶けていくことでしょう。
かりにもし、溶けなかったとしても、
この愛と感謝の気持ちがあれば、私は、何があっても生きていけるな、と思うのでした。
