皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
たまに戦う弁護士の小川正美です。
人生初のビジネス合宿に参加してきました。
夜までセミナーやブースプログラムや宴会があり、きっとクタクタになって帰るだろうな、と思いましたが。
驚くほど、疲れていない。
一緒に参加した友人も、同じことを言っていました。
私は、もともと人見知りで(ホントだよ!)、小学校の時など決まったグループの友だち以外と話をするのも緊張していました。
もともと人間のことは好きだったので、そんな自分をだんだんと変えていって、大学を卒業するころには大抵の人と話せるようになりましたが、いわゆるビジネス的な交流というのは今も苦手意識があります。特に初対面。
だって、趣味とか好きなモノとかもっと楽しい話や仕事の話にしてもどんな思いでこの人がその仕事をしているのかとか、深い話がしたいんだもん(笑)
でも、初対面でそんな風にぶっこんで行ったら空気が読めないとか距離感が近すぎるとか、そんな風に思われるんじゃないかと「自分で」思っていたのです。
いやまあ、言い訳をすれば、若手弁護士の頃に他士業の先生方とのお食事会で、なぜ私が弁護士になったのかという話の際に、「離婚して会社員に戻るのもキャリア的に難しくて留学するか資格取るしかないって思ったから」という話をしたら、若干ドン引かれて(←日本語)、紹介者の税理士の先生から「小川先生、初対面でいきなり離婚経験の話とかしないでね。」と注意を受けたのがトラウマになったんですけれども。
それで、私は、ビジネスの場を必要以上に堅苦しく捉えてしまって、「弁護士先生」の仮面をつけるようになったんですね。もちろん、諸々他の要因もありますが。
とかなんとか言っても、そのトラウマをいつまでも手放さない選択をしたのは、私自身です。
ところが。
世界は私が思っていた以上に広くて、むしろどんどん自己開示しようぜ!あなたのこと教えて!という場もあるんですよね。
本心を、語ることができる。
むしろ、本心ではなく自分の心に嘘を吐いたら、容赦なくツッコミが来る。
先を行く人々から学び、これからの人々に教える。遠慮なく助けを求めるし、求められる。
ちゃんとしなくてもいいんだ、もっと緩んでもっと大笑いしてもっとアホになっていいんだ、と自分に許可が出るし、
肝心なところはもっとちゃんとしようと思う。
プロジェクトのたくさんの持ち場で多くのプロフェッショナルたちが、楽しそうに、真剣に、仕事をしている。
大きな意味での愛が循環していると、こんなにも疲れないんだ、ということがよく分かりました。
(深夜まで飲んでいたのに!笑)
そして、この3日間で、たくさんの感情を感じて、昔よりも断然ニュートラルでいられる時間帯が増えて以前よりも成長した自分を知ることができました。
また、明らかに自分がパワフルになったと感じます。
人生に対する前向きさが増しました。
ドーパミン的な短期間の瞬発的やる気というわけではなく、常に胸の部分に穏やかにじんわりと流れる温かくて心地よい愛の感情に基づく、前向きさ。
この合宿を経て、久々に、「環境が人を創る」ということを思い出しました。
これまでの人生の変化のタイミングでいつも感じていましたが、最も強く感じたのは、ロースクールに入学した時でした。
2003年に離婚し、2005年にロースクールに入学した私は、しばらくの間、自分がこの場に相応しいとは思えませんでした。
同級生の半分は、大学からストレートかほぼストレートで入学してきた、学部生時代から司法試験を目指してきた10歳以上年下の若者たち。
残り半分は、私と同年代から少し年上の元社会人たちですが、直前まで正社員として立派なキャリアを積んできた人たち。
社会人組を見れば、私は、入学前は契約社員として事務の仕事をしていて(それが悪いというわけではないですが当時の私にはコンプレックスだった)、キャリアもなく、資格もなく、あるのは司法書士試験受験の勉強を少ししただけ。と思い。
若者たちを見れば、私は、大学時代には遊び惚けていてこんなにしっかり勉強などしていなかったし、大学院なんて自分には夢のまた夢、というかそもそもそこまで勉強したくなかった。と思い。
だから、この場にいるのは相応しくない。
こんな風に、自己受容できない自己肯定感の低い状態でした。
でも、不思議なことに、その環境に居ると、だんだんと自分も司法試験を受けるんだ、という覚悟が固まってきました。
カリキュラムに則って学校に行っているから、当たり前なんですけれどね(笑)
授業では当てられるし予習復習は大変だし、発表なんかもあるし、優秀答案が発表されたりもするし、定期試験もあるし。
周りのあらゆる人達と自主ゼミを組んで、様々な科目の判例百選を回したり(判例の事案の概要、判旨、学説等の漸くを発表担当が発表し、質問や議論をする)、六法条文読みをしたり、旧司法試験の過去問答案練習をしたり。
優秀な人を羨んだし、短期記憶の衰えを感じて自分を責めたし、人間関係でも正直疲労することもあって学内から距離を置いたこともあった。
それでも、
断言してもいいですが、私は、自分1人で勉強していたら、司法試験に合格はできなかった。
仲間がいたから、合格できたんです。
仲間の存在や助けに引っ張り上げて貰えて、運よく卒業後すぐに合格できた。
試験制度は残酷なもので、実力があるのに合格できない人、特に2回落ちてしまうとそれ以降試験に対する「落ち癖」がついてしまう人もいます。
でも、それもその人の人生の選択なんですよね。
意識的にせよ、無意識的にせよ。
何より、私が弁護士になってからかなり精神的に苦しんだことを考えれば、司法試験に合格することが一番素晴らしい結果などとは到底言えません。
ただ、私は、今、弁護士になって良かったな、と思うことができる。
それまでの人生では出逢うことのなかった様々な素晴らしい人々に出逢うことができたから。
これくらい厳しい仕事でもしないと、私は、私の人生を愛することができなかったかもしれないから。
そして、厳しさは、大きな大きな愛でもあるから。
環境が人を創る。
初日の開始前には、仲間達と奈良の龍穴神社にも行ってきました。
清浄なエネルギーに溢れていました。