皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
のっけから怪しいというか、明確な根拠のない感覚的な話なんですけれど、最近、ますます、本音、本心を大切にしていると、流れに乗れるな、と思います。根拠は、強いて言えば、風の時代です(物質よりも情報、感情等目に見えないものの時代)。
本音と違う、頭で考えただけで心がこもっていない言葉は、人に響かない。
それは、インターネットの出現以前からそうだったのだと思います。会ったことのないテレビタレントを見ていても、何となくこの人の言うことは信用できる、この人はできない、ってありますよね。
ただ、これだけ多くの人々が発信をして、一般人自身がメディアになり、インターネットの海に情報が供給過多な状況だと、リテラシーのある人ほど、時間をかけて吟味したり権威を鵜呑みにするよりも、嗅覚のような動物的な感覚で「必要な情報」「良い情報」を峻別していくように思います。ひよこ鑑定士並みの早業で。ちょっと違うか(笑)
で、その嗅覚に引っかかるかどうかは、その発信内容が、その人の「本音」から出ているかどうか、だと思うのです。胸襟を開いているか。腹を割っているか。
もちろん、全員が嗅覚に従って情報を選択するという話ではなく、それはケースバイケースだと思います。ユーザーがどういう目的で情報を検索しているかにもよりますし(有益な情報を知りたいのか、暇つぶしなのか、明確に知識を求めているのか等)、どの程度の情報が求められているのかにもよるでしょう(ざっくり概要が知りたいのか、精緻に正確に知りたいのか等)。
でも、しつこいようですが、やっぱり「本音」から出ている言葉には、その人の発する熱意や伝えたい気持ちや役に立ちたい気持ちといったエネルギーが乗っていると思うのです。だから、人に伝わる。自己一致している時の方が熱量が効率よく伝達するということなのでしょう。
インターネットでの発信の例えでお話をしてきましたが、これは、人と人のコミュニケーションでもそうではないかな、と思います。
「はいはい、いいね!って言っておけばいいんでしょ~」みたいな感じで適当感溢れるスタンプを押してるLINEのやり取りなんかを見ると、なぜかそういう感情を察知してしまって(自分もそうやってたことがあるからだ!きゃー笑)キューって心が苦しくなります。私は。
そのスタンプを押す行為が、「ここで返さなくてもいいけど、人を傷つけたくない」という優しさ成分から出ていればそういう風には感じないけれど、「人から悪く思われたくない」とか「そうするのが普通」だから「スタンプを押すしかない」みたいな選択肢のない不自由な建前だと、何となくその不自由さがこっちにも伝わってきてしまう(過去の自分に対しても言っています。胸が痛いぜ。)。
おかげで、LINEが苦手な私です(笑)
ああ、脱線してしまった。
何が言いたいかというと、自分の意思を人に伝達する時、それが本音であることが大切だなあ、ということです。人間の心のセンサーって、私たちが思っている以上に高性能な気がしています。
ただ、大人というのは、優しさや自己保身といったオブラートで、本音を結構隠してしまいがち。私も、ふと思い浮かんだ言葉やアイデアが、自分でも本音なのかどうかわからないときがよくあります。
そういう時は、言葉を発する前に、何か、小さな違和感がないかどうかを観察してみます。例えば、人への対抗意識(マウンティング)、虚栄心、焦り、自分への無価値感、人をコントロールしたい気持ち、依存心、犠牲心・・・。そういった、何かネガティブな「裏の意図」があるときには、違和感が出てきます。
その違和感を見逃さず、本当の気持ちにアクセスしようとすると、本音が見えてきます。気を使い過ぎて遠慮していたな、とか、すごい人に思われたかったんだな、とか、これは逃避というかダミーで私がやりたいのはこっちだな、とか、この人とこれくらいの距離感でいたいんだな、とか。
自分の心を観察していても分からないときは、少し行動してみるのもおススメです。具体的に動いてみると、何だか気が乗らない、ちょっと違う、ということが感覚としてよく分かります。婚活でまずはとにかく動くことが推奨されているのも(そして疲れたら躊躇なく休むことも)、そういうことなのかなあ、と思ってみたり。あと、自分が中心になってイベントをやるときも、動いてみると、なんか今じゃない・・・と思ったりしますし、逆も然り。
個人的な経験則としては、アイデアの場合特に、わーーーっと盛り上がった時ほど要注意。一晩寝かせてみたら、あんまり良いやり方じゃなかった、とか、ホントは違うことをやりたい、或いは何もやりたくない、とかいうことが結構あります。
私も自分のアイデアで盛り上がって人を巻き込んでしまう事故を起こしたり起こしそうになったりもしましたが、トライ&エラーを繰り返すうちに、だんだんと本音を捉えることが上手になってきたような気がします。
こういう感覚的な話って、自分で仕事を創り上げていく職種の方にはよくご理解して頂けるかと思います。
ただ、弁護士の場合であっても、様々な営業方法のどれを選択するかは自分の感覚を使っているはずですし、案件の筋を見極めたり、動かしていく時期や方法の選択、落としどころの勘所的な部分については、まさに感覚を多く使っているはずなのです。少なくとも、私はそうです。
本音に従えば、自分が幸せ。自分が幸せなら、そういう人の周りには人が寄って来る。人にも幸せを分け与えることができる。良い循環が生まれる。
葛藤を起こしている時はしんどいけれど、たいていの場合、本音(心)と観念(「べき」思考)がケンカして葛藤しているんですよね。その時は、まあ、仕方ないということで(長くなったのでまたの機会に)!
皆さまも、私も、クリエイティブに生きましょう~!
ちなみに、今日、私は、数年越しものの本音を出して、「もうコレ止めてもいいすか?」とお願いしました!スッキリ!!