出産子育てについて真面目過ぎたぜ、私。と気がついて、
さらにまた、仕事でもそうだった。と気がついた。
根が真面目なんだよなあ。
いや、もちろん、仕事は真面目にやってください、って話なんだが。
私が私に課していた完璧主義は、
弁護士は、頼り甲斐がある、強さがなければならない。
特に女性はどうしても弱く見えるから、強くならなければならない。
クライアントから信頼されるに足る強さ、支える強さ、
相手方の必死の反撃、時には嫌がらせや脅しに負けない強さ、
裁判所でも一人前として扱われる強さ、
後輩や事務所のスタッフを守る強さ、先輩を支える強さ。
加えて、女性特有の周囲を和ませ見守る強さも必要。男性の強さも身につける必要があるが、女性であることを忘れてはいけない。
弁護士は、迎合してはならない。
でも、空気も読んで体育会的に立ち回らなければならない場面も多い。
弁護士は、責任を取らなければならない。
自由であるのだから、お金、時間、締め切り、そういったものには当然のこと、
社会から期待される弁護士像に相応しい正義感、品行方正さ、教養、豊かな人格を持たなければならない。
もちろん、頭脳明晰、有能であることは大前提である。
・・・こんな風に、思っていた。
なので、自分をかなり抑圧した。「あるべき」にそぐわない自分を、否定して、ひっぱたいて、自作自演スパルタ方式で、鍛えまくった。
結果、完璧でない自分のことが嫌いになった。
完璧になんかなれるはずもないのに。頭では分かっているのに、自分へのダメ出しが止まらない。
うまくいかないこと、人が少しでも気分を害したように見えたことがあると、「私が○○なせいだ」「私に○○が足りないせいだ」と、謎の責任感を発揮する。
その○○は、場面によって矛盾したりする。
例えば、「私が若いからダメなんだ」「私が年だからダメなんだ」等。
もう、自分がどこを目指しているのか、ワケがわからんのだ。歳を取りたいのか、若くなりたいのか。ていうか、そんなこと希望したって、歳も取れないし若くもなれないし!
ここまで来ると、郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも、みんな私が悪いのね!状態である。
滑稽なことで、アホみたいに苦しんで悶絶していた。
そして、何で私だけ1人でこんなに頑張らなきゃいけないのよ!と自分で自分に逆ギレしたりもしていた。
この苦しみの原因は、
自分がどうしたいのか、に軸を置かず、
他人にぶるんぶるん振り回されているからなのだ、
と知ったのは、弁護士になってからずいぶんと経ってからだった。
上に書いた「あるべし」は、今でも、総論としては概ね賛成だけれど、
具体的にどのレベルまで自分に求めるかは、かなり緩めている。
だって、そんな完璧じゃないし。
もっと自分がしたいようにしていいし。
一度きりの人生なんだから。
そして、不思議なことに、力を抜いたスタンスの方が、仕事がするすると上手くいくのだ。
(念のため、上手くいく、というのは、いわゆる成功とは違うけど(そんなに稼いでないよ!)、いろんなことに興味のある私にとって、何だかちょうどいい感じ、という意味である。)
ただ、あの頃(今でも無いとはいえない)、必死に、生き延びるために、クライアントのために、くそ真面目にやってきた経験は、礎となり、血肉になっている。
真面目時代があったからこそ、力を抜く加減も分かるのだ。
我ながら不器用だな、と思うけれど。
器用な人が羨ましいけれど。
不器用なくそ真面目も、まあ、いいか。