今日は、いきなり小自慢から始めます。
子どものころから、私は、勉強はかなり得意でした。
弁護士を目指すことに決めてロースクールに入学してからは本当に必死に勉強しましたが、それまでは、勉強に関しては、そこそこ真面目にやって、そこそこ満足の結果を出してきました。
🌻🌻🌻🌻
高校2年のころ、文理等の進路を決める際、同級生の友人から美大進学を誘われました。
でも、私は、私立文系の社会科学系を選択しました。
友人の彼女は、とても絵が上手で、色や構図のセンスも抜群。私はとても敵わない。
こんな狭い場所ですら1番になれないのに、私が芸術系の大学になど行けるはずがない。よしんば行けたとしても、才能がないコンプレックスで潰れてしまうだろう。
そう思った私は、努力をすれば報われる一般の学部の方が向いている、と判断したのでした。
書いていてイヤになるくらい、今思えば後ろ向きですね!
🌻🌻🌻🌻
私が、進学先を、私立文系、それも社会科学系とした理由は、
下に弟がいるので母子家庭の我が家の経済状況では浪人できない(と思っていた)ので、受験科目の少ない私立が良かったこと(学費が私立の方が高いことには気が付かない浅はかさ(笑))。
母から、「四大卒業の女の子は、浪人したら就職が難しくなるわよ。」と言われ、それを信じていたこと(母親世代の社会の価値観はそうだったのでしょう)。
本当は国文学や心理学に興味があったけれど、就職には社会科学系の方が有利だと思ったこと。
文学部はキャピキャピ(死語ですな)女子学生が多そうで、怖いと思ったこと。
やりたいことをしない理由=言い訳は、いくらでもありました。
うーん、後ろ向き!
🌻🌻🌻🌻
そして、大学に進学してからは、
「普通の大学生」に憧れて、おしゃれやバイトや恋愛や旅行やスキーに精を出し、
勉強は定期試験前しかしないようになりました。
父が突然死してから社会復帰した母の苦労を見ていたので、ずっと働こうとは思っていたものの、
どの業界に就職したいのか、自分のやりたいことや適性を深く考えることも、しませんでした。
いや、正確に言うと、出版社に行きたいという希望は高校時代からうっすらと持っていたのに、
せっかく早稲田に入ったのにマスコミ系のサークルを覗くことすらせず、
就職活動では1社もエントリーすらせず、
保険会社に入社しました。
今思えば、怖かったのです。
志望して、がむしゃらに頑張っても、ダメだった時が。
自信がないゆえに、プライドが高かった私は、「頑張ったけどダメだった」という挫折を味わいたくなくて、
やりたいと思ったことの可能性すら拒絶してしまったのです。
それと、もう一つ、
私は、普通になりたかったのです。
この世界に順応して、少しでも生きやすくなりたかった。
自分が内向的で感受性が強いことは幼少期から気が付いていたし、
家庭環境も父がいなかったし(しかも私はそれを隠していました)、
それでいて勉強はできるので、小学校高学年の時には軽いイジメに遭い(まあ、やり返しましたが。。)、
中学の時には私だけ校則違反の服装をしているのに先生から怒られない、という理不尽な理由で不良グループから呼び出しを受けたこともありました。
(先生もちゃんと私を注意してよ!(笑))
大学に入った後も、高卒後フリーターをしていた知り合いから、ストレートで早稲田の法学部(当時は私立文系の中で2番目に偏差値が高かった)に入ったことを、「お勉強上手なんだね。」と言われ、地味に傷つきました。
その言葉には、彼女の「私はおしゃれで遊び上手だけどね。」という揶揄がたっぷり含まれていたからです。
今はどんなタイプの女性とも仲良くできる私ですが、
あの頃は、派手ではっきりモノを言ったり、キャピキャピしてたりする女性が苦手でした。
自信がなかったんですね。
🌻🌻🌻🌻
青春時代の私は、
ひとことで言えば、
自分が知らない世界が多すぎて、早く遊びを覚えて、ラクに世渡りできる大人になりたかったのです。
🌻🌻🌻🌻
その志向は、社会人になってからも続き、
お酒、カラオケ、旅行、買い物、スポーツ観戦、ドライブ。。。
自由になるお金と、仕事によるストレスが増えたぶん、よく遊びました。
仕事では、一時的にオーバーワークになったり、
名古屋に転勤したりするなど、
それなりに大変なこともありましたが、いつも周りの人に支えられて乗り越えられました。
そして、25歳の終わりに、会社の同期の男性と、結婚しました。
元夫が転勤になることが分かっていたので、私は年末で会社を辞め、
ほどなく、彼は九州に異動し、私も引っ越しました。
半年ほど、専業主婦をやり、
その後、派遣社員としてIT関連の会社の事務を始めました。
🌻🌻🌻🌻
念願の「普通」の人生。
夫とはとても気が合う。
年に一度は、海外旅行に行く。
初めての九州は、初めこそ知り合いゼロで寂しかったけれど、働き始めたら、仕事ができると誉められ、同僚達と毎週金曜日には飲みに行くほど仲良くなった。
母も会社で楽しく働いている。
弟の結婚も決まった。
楽しくて、安心。
でも、心の奥底のどこかに、渇きがある。
そんな20代でした。