昨夕、マッサージを受けながら思った。
「お姉ちゃんなんだから、我慢しなさい。」は、理不尽な呪いの言葉。
ご多分に漏れず、私も、幼いころ、そう言われていた。
子どもは、母親が大好きで、母親の役に立ちたいから、そう言われれば、我慢する。
でも、私はわりと自分が大切な子どもだったので、我慢の限界を迎えると、母に、「なんで私ばっかり我慢しなきゃならないの。弟はずるい。」と訴えていた。
私としては、もちろん、母に「よしよし、ごめんね、我慢させて。」と言って欲しかったのだが、
母は、「あんたのその『私ばっかり』って言うの、嫌いだから言わないで!」と、怒った。
なぜ、姉だからと、何かができるからと、私だけが我慢しなければならないのか。私だってまだ子どもなのに。
という疑問には答えず。
ただ、その時の私には、その理不尽さよりも、「嫌い」と言われたショック、自分を否定された気持ちが大きく残った。
一度ならず複数回にわたって、「なんで私ばっかり」と言ったが、その度に、「言うな」と怒られた。
今にして思えば、母を理解できる。
母も、まだ20代で、転勤族の夫と見知らぬ土地で二人の子どもの世話に追われて、必死だったんだろう。私に十分ケアができなくて申し訳ないと思っていたのだろう。
でも子どもに申し訳ないと言えず、むしろ私から責められたような気がして、「私ばっかり」と言わないで、と悲痛な叫びをあげたのだろう。
また、母自身は、「しっかり者の次女」で、「なんで自分ばっかり」と思いつつも、祖父の死で4人の子を抱える極貧母子家庭になった祖母を支えた人だった。
若い頃は、自由な長女だった伯母に対して葛藤を抱えていた(後年は仲の良い姉妹だった)。
だから、もしかしたら、私には、母の理想の長女であって欲しかったのかもしれないし、
自分が言えなかった「なんで私ばっかり」を言う私のことが、憎たらしかったのかもしれない。
母の名誉のために言うと、後々、私の幼少期の子育ては厳しすぎたと反省したようで、私が大人になってからは、とても私に優しい母だった。甘いと言っても過言でないほど。
私が大学時代付き合っていた彼氏にフラれて、ご飯を全く食べられなくなったとき、一緒に泣いてくれた。
24歳のとき、初めての転勤先での1人暮らしや全く違う職務内容に慣れず、泣きながら電話をしたら、その週末金曜日に新幹線に乗って来てくれた。
結婚後別居することになった時、荷物の確認のため相手方の親が立ち会うというので、私1人じゃかわいそうだと、飛行機に乗ってきてくれた。
いつも、いつも、私の味方だった。
こんなにも、優しくて、愛してもらって、大好きなのに。
ずっと、心の奥底で、
子どもの時に私に我慢をさせたことを恨み、
本当は弟のほうが可愛いんじゃないか、と疑い、
私は役に立たないと愛されない、と思い込んでいた。
そして、この恨みや疑いや思い込みは、大人になってからも、あらゆる場面で似たような感情体験を引き起こし、私を苦しめた。
でも。それは。
私が、母を許さないことで、母に深い罪悪感を負わせたいと思ってきたからだ。
「あなたに言われた言葉で、私はこんなにも傷ついた。大人になってもなお。」
と、母のせいにしたかったのだ。
それはもう、止めようと思う。
呪いをかけたのは母ではなく、自分。
それほどまでに、母を助けたかった、愛していた私を、許そう。
そして、私が私に呪いをかけることで、母に親孝行できなかったことの償いをすることも、止めよう。
母は、私に笑って欲しいに決まっているから。