もうすぐ、8月も終わりですね。
社会人になって以来ずっと、自分の中で「8月が夏休みだなんて思わないキャンペーン」を実施していました。
(まあ、いっとき、毎日が夏休みだった時もありましたが。。。)
それなのに、なぜか、今年の夏は、8月イコール夏休みという感覚を思い出しています。
猛暑、台風、だんだんと早くなる夕暮れ、蝉の声、スイカ、トウモロコシ。
そんな夏休みの風物詩を味わう心の余裕があったからなのかもしれません。
🌻🌻🌻🌻
子どもの頃の夏休みといえば、
父の田舎に帰省、
プールや川で水遊び、
山へ探検、
海の家のまずい、でも美味しいラーメン
そんなイメージが真っ先に思い浮かびます。
そんな中でも、1つ、特異な夏休みがありました。
確か、高校1年生の夏休みだったと思います。
私は、毎日毎日、来る日も来る日も、
自宅の母の部屋のベッドの上で(2階の私の部屋にはエアコンがなく暑いのでエアコンのある1階の母の部屋に避難していた)、
本を読んでいました。
本当にたくさんの本を読みましたが、「赤毛のアン」シリーズ全巻を読んだことは鮮明に覚えていて、
後半になって、アンが、年齢を重ねれば重ねるほど、落ち着いていき、
少女時代の、今で言うマシンガントークをすることがなくなっていって、言葉が多くて五月蠅くて仕方ないけど生命を思い切り燃焼させているようなキラキラしていたところがなくなっていったのを、寂しく思った記憶があります。
夫と子ども達の心配ばかりして、
自分の夢はどうしちゃったの?
大人になるって、何だかつまらないんだな。と。
今、読み返したら、かなり違う感想になりそうです。
🌻🌻🌻🌻
ものごとは、全て捉え方次第で、
何が幸せで、何が不幸せかは、その人自身にしか分かりません。
お金があっても、才能があっても、素敵な家族や友人がいても、不幸だと思っている人はいますし、
その逆もしかりです。
少女時代のアン・シャーリーは、
濡れたカラスの羽根のような漆黒の黒髪を手に入れて、
バラ色の頬にキラキラとしたグリーンの美しく輝く瞳に合う美しいドレスを纏い、
この上なく優しくて自分を愛してくれる王子様のような男性と恋に落ちる、
というような夢をいつも語っていました(本を確認してはおらず、私の30年前近くのうろ覚えですが)。
結局、彼女は、赤毛のままであり(黒髪に染めようとしたらグリーンの髪になってしまったのは有名なエピソードです)、
夫となったのは幼なじみのギルバート・ブライスでした。
物語の後半になるにつれ、
うろ覚えですが、
教師の仕事を辞め、子どもに不幸があったり、親がわりのマリラが亡くなったり、と、
悲しい出来事も起こり、彼女はそれらを乗り越えていきました。
それでも、今の私は、
アンは、幸せなんだなあ、と思います。
それは、彼女が自分で自分の人生を選択していて、自分のために、あらゆる出来事を受け容れていたから。
家族のために生きることも、犠牲ではなく、彼女自身の選択だから。
幼かった私には、彼女が大人になるにつれだんだんと落ち着いた性格になるのが、つまらなく思えました。
ひょっとしたら、今、読み返しても、彼女の性格については、同じように思うのかもしれません。
けれど、彼女の生き方については、
自分の人生を自分で選ぶことは、その結論が、
家族とともに、家族のために生きることであろうと、
自分一人で生きることであろうと、
尊いもの、幸せなことだなあ、と感じます。
🌻🌻🌻🌻
ふと、思い出した、変わった夏休みの思い出でした。
あなたにも、変わった夏休みの思い出がありますか?
今日は、大切な心の宝箱を、少し開けてみてはいかがでしょうか。