皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
突然ですが、今朝、いきなり腑に落ちました。
何がって?
自分が元カレにさせていた仕打ち(笑)も愛だったんだな、ということにです。
この元カレのことを、私はかなり手放せたと思っていたのです。
が、どうしても時折怒りが出てくることがあってですね。この記事を書いたのが1月下旬だから、約3か月半くらい、もちろん日常的にではないけれども、事あるごとにモヤモヤとしていたのです。
モヤモヤをセリフで言うと、「なんで私がこんな目に遭わなきゃならないの!」という、被害者意識。
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その彼には、他に付き合っている女性がいて、私はいわゆるセカンドポジションでした。
私と付き合っている間にその彼女と別れたのですが、私は昇格(笑)することなく、新たにファーストポジションの女性が現れました。
2人の女性は全く属性やタイプが違い、かつ、私とも違うタイプでしたが、当時の私が持っていた劣等感を刺激するには十分なものを持っている人達でした。具体的に言うと、プロのクリエイターであったり、美人だったり(笑)、若かったり、事業をやっていてお金持ちだったり、強かで自分の強さを受け容れまくっていたり、運命的な出会いだったり。
何でそんなに女性たちのことを知ってるのかって?彼が話したからです(笑)
そう、私の存在は、隠されていたけれども、彼女たちのことは、彼は私によく話をしていた。
そのたびに私は、
私じゃダメなんだ、私は足りないんだ、と傷ついたし、
現にその頃仕事が嫌いでライフワークが何なのかについても迷走していて売上的にも低迷していたので本当にツラくその感情を彼にもぶつけたし(自分のことなんだけどね)、
もちろん、なんでそんな失礼なことを言うんだと怒り狂ったことも1度や2度ではないし、
それまで自分と向き合って自己肯定感も上昇傾向だったので、この私がそんな扱いをされる謂われはない!と離れたこともありました(2度ほど離れたけどヨリを戻してしまった)。
とはいえ、彼はとても才能豊かな人だし、素晴らしい実績もあったし、優しいし、器も大きかった。
人間の内側に対する繊細な感性も、外側の世界の美しさを見る感性も合っていた。
何しろ、怒り狂う私の爆撃にあんなにも耐えた男の人は、それまでいなかった。
だから、彼は、彼なりに私のことを愛しているのだろうということは分かっていた。
付き合っていた当時から、きっと彼は彼でツラいんだよなあ、と、心のどこかで彼の痛みを理解していた。
私は必要とされているのかも、と思っていた。そんなことを言われたことは一度もないけれども。思い込み、勘違いとの謗りを受けることは承知だが(現に相談した人たちには「別れた方がいい」とよく言われた)、私は、愛を感じていたのだ。
それが、彼を助けたいという感情を喚起させることによって自分の傷を見ないようにしていた、自己欺瞞であったとしても。
だから、なかなか別れることができなかった。
こうしてみると、この関係は共依存なのだろうし、まあ、自分でも、罪悪感で癒着していたよね、と思う。それも、お互いに、「今の」彼(私)への罪悪感というよりも、長年蓄積してきた、元夫(妻)、元彼(彼女)たちへの罪悪感。私の場合は、両親への罪悪感も彼に投影していたかもしれない。
なかなか別れられず、「私を1番にしてよ!」(条件面でそこまで大きな障害はなかったと思う)と何度も訴えたけれども、彼は、私を1番にすることはなかった。
立場はともあれ彼とこのまま続けるにせよ、別れるにせよ、まずは自分が幸せを感じて生きられるようになることだ、と思い、私は、心理学を学んで自己肯定感を上げ自分軸を取り戻そうと取り組んでいた。
おそらく、自分の自信のなさ、特に女性としての自信のなさと仕事に対する自信のなさが複雑に絡み合っていることが原因だった。
自分にとってのライフワークはどういう状態なのか、本当は自分はどうありたいのかを模索し、
自分の中の「弁護士たるものこうあるべき」という観念を洗い出し、それが自分に合っているのか取捨選択し、合わないものは勇気をもって捨て、
ブログを始めて自己開示をして、嫌っていた弱い自分をだんだんと受け容れられるようになり、
人間関係でも今の自分に合わないと思う人からは自然と遠のき、逆に、新しい人や旧知の人と距離が近づいた。
そうしているうち、彼のことは好きだけれども、別れる方が自分のためだと思うようになり、お別れをした。
それからは、
彼と交際することで取り戻しつつあった女性としての自分の自信を仕事の面でも活かすことにトライ&エラーを繰り返して、
カウンセリングを始めて、クライアントさん達との心の距離も近くなり、
徐々にありのままの自分で仕事ができるようになり、従前よりも早期に和解や合意に達することが増えるという嬉しい成果が出てきて、
人が傷つくのを助長するようでイヤでイヤで仕方がなかった弁護士業も、実は、自由で面白いし、本当に様々な人々と出会える素晴らしい仕事だと思うようになった。
心の奥底にいつも隠し持っていた、「こんなに頑張っている健気でかわいそうな私」を甘えさせてもらいたい、という依存的な欲求(ニーズ)も、自分が自分を認めて許して愛することができるようになってきた(完璧にはできず、人に甘えてしまう時もあるけれど)。
そうやって、
人に対して「罪悪感が大きいのはそれだけ愛があるから」と言い続け、
自分の中でも両親や元彼に対して「こんなに罪悪感があるのは私の愛情の深さね♪ウフフ」と思うようになり、
人に対して「あなたに攻撃をしてくる人は、実はあなたの愛を求めている。助けて欲しいんだ。」と言っていたら。
私が、元カレに私を2番手扱いさせていたし、そこで酷いことを言われたことも愛だったんだなあ。
とやっと腑に落ちました。
クライアントさん達に対して見ていた愛が、投影として自分に返ってきたのです。
ああ、彼は彼でツラかったんだなあ、と。
当時も彼の痛みを分かってたんだけど、私が彼に対して、「二股を止めたら楽になるよ。私を1番にしてよ。」と言い続けていたことは、体よく彼をコントロールしようとすることだった。私が、自分がセカンド扱いで感じている痛みを楽にするために。
本当は、彼の抱えていたツラさは、彼にしか解消できない。
私は、彼の力を信じて、ただ見守っていれば良かったのだ。自分の痛みを越えて。
私は、セカンド扱いなのに私に悪い態度を取って甘えるなー!!っていつも怒っていた。
もちろん、セカンド扱いはめちゃめちゃ理不尽なんだけれども、それでも彼がそういう甘えた言動をしていた、ということは、私にはその理不尽さすらも受け容れられる力がある、ということなのだ。
まずは、私は、その自分の価値を受け取って。
その上で、どうするかは私が決めればよい。
結論として、私は、彼と別れたことに後悔はない。
けれども、やっぱり、愛情はカタチを変えたけれどもあるのだ。
「光も闇もあって、でも全てが愛。」という綺麗ごと。
私は、綺麗ごとが、嫌いじゃない。