ふと思い出した。
私は、会社員だったころ、どの会社でも、どの職場でも、有給休暇をフルに使い切っていた。
しかも、毎月必ず1日は突然休むのだった。
繁忙期とか必ず出席しなければならない会議とかの時には休まず、「この日だったら休んでも周囲にも自分にも大した影響はないよなあ」と思われる日に、まるで狙いすましたかのように「なんだか頭が痛い」「お腹が痛い」「生理前でしんどい」などと不定愁訴を起こし、朝の始業時刻と同時に「今日は会社を休みます。(昔、そんなドラマあったよね?)」と電話するのであった。
そして、何をするかと言えば、ほとんど丸一日眠り倒す。
たまに起きた時に、「ああ、今日は平日だ・・・。世間のみんな、お疲れ!私は休んでるぞー!!」と若干の暗い優越感と大きな大きな解放感を心底味わい、だんだんと元気を取り戻し、翌日から何食わぬ顔をして出社するのが、いつものパターンだった。
こんなことをしているうちに、年間20日付与される有給休暇はどんどんなくなっていく(夏休みは有給休暇5営業日を使って7~9月に取得するシステムだったため、実質フリーの有休は15日だった)。
なので、毎年末、私は、同僚たちから、私の残有給休暇がマイナスになるのではないかと、時に心配されたり、時にネタとして笑われたりしながら、生暖かく見守ってもらっていたのだった。「大物だねえ」と言われることもあったけど、特に気にしていなかった。有休に関しては、自己肯定感が高かったの(笑)
弁護士になってからも、この「突然休む癖(ただし、裁判所の期日や打ち合わせ等を除く)」は全く是正されることはなかった。会社員時代と異なり有給休暇もなく、最低限の仕事はするため誰も文句を言わないので(事務員さんが心配してくれたりはしたが)、より一層、私は突然休むようになった。
今思い起こせば、有給休暇を全部使い切っていたのは、私なりに会社に適応して「ちゃんとした社会人」になろうと頑張っていたけれど、もう1人の社会不適合な自分が、「どこかで息抜きをさせてくれよ!」と叫んでいたからなのかもしれない。
そして、これまで、数回のハードワーク期間がありつつも、何とか仕事を続けてくることができたのも、この社会不適合な自分の声を聴いて従ってきたおかげなのかもしれない。
私は、元来、怠け者だし、ロングスリーパーだし、体力もない。加えて、今は、朝は、瞑想したいし、ゆっくりコーヒーを豆から挽き淹れて飲みたいし、猫たちと和みたいし、自分と向き合いたい。
端的に言えば、仕事以外のことで忙しいのだ(笑)
母は、私の突然会社を休む癖をとても嫌っていた。
「そんなことをしてたら、同僚の信頼を失う。」「いい加減な人だと思われるよ。」と、結構口酸っぱく注意をされた。
私は、「いやいや、迷惑かけてないし。怒られたこともないし。」と、馬耳東風で、相変わらず休み続けた。
雪が降った日には必ず休まず会社に行く(そういう日に休む人間はズルい、と考えている)、「ちゃんとした」昭和的価値観の社会人であった母は、定年を迎えると、燃え尽きたようになってしまい、間もなく病に倒れて亡くなった。
もし、母が私のように自分勝手で社会不適合な自分を認められる人だったら、もう少し長生きをしたのだろうか。
考えても詮無いことだけれど。
ところで、「ハードワーク」は、一般に、心と身体に良くないもの、とされるが、
厳密に言うと、客観的にはハードワークをしていても、本人は楽しく生き生きと仕事をしている人もいる。やりたいことをやっている、やりたいことのために頑張っている人たちだ。
確かに、子どもの頃、ドラクエを徹夜でプレイしても何ともなかったし、何なら社会人になった後もほぼ徹夜でプレイしていたけれど、特にストレスは感じなかった。
そうした遊びと同じ感覚で、仕事に打ち込めるのであれば、少々のハードワークは問題にならないのだろう。
とはいえ、私は、若い頃にハードワークによって身体を壊す寸前になったことと、もし倒れたら1人だからヤバい、という思いが強いので、ハードワーク恐怖症である。生来的怠け者であることもあって、たとえライフワークといえる仕事であったとしても、ハードワークはしたくない。
ここに、私の観念(思い込み)がある。
「ライフワークを生きるには、ハードワークをしなければならない」
翻って、
「ハードワークをできない私は、ライフワークを生きることができない」
観念だと頭では(思考では)気が付いているのに、腑に落ちない。
この観念を書き換える、思い込みを外すには、ハードワークをすることなくライフワークを生きている人にたくさん会ったり、自分1人でやろうとしない(人と一緒にできる仕組みを作る)、そういうことが大切なんだろうなあ。
・・・と、他人事のように言ってみる。
なんだかモゾモゾした感じだが、このモゾモゾ感、歯切れの悪さが、今の私のライフワークに向き合うリアルな感覚なのだ。
極めて抽象的な表現になってしまうのだが、最近、私に「来ている」メッセージとしては、
・道を開く (椿大神社、伊勢の旅)
・道を行く (戸隠神社の旅)
・導く (諏訪、これからの旅)
具体的に何をするのか?ということはまだ分からないのだけれど、そのうち明らかになるのだろう。
・・・あ。
話は戻るけれど、有給休暇を全部消化してもへっちゃらだった感覚と同じように、「ハードワークせずにライフワークを実現していい。」って思うことができればいいのか。
そうか。
徒然なるままに書いた記事だけど、書いて良かったわ。
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