母が亡くなった後、
私は、本当に多くの人達に助けて貰いながら、生き延びてきました。
このことを書くのは少し憚られるのですが(でも書いちゃう)、
特に、当時付き合っていた彼には、本当に精神的に助けて貰いました。
感謝の気持ちが伝わるといいな、と、思っています。
🌻🌻🌻🌻
ロースクールでの勉強は、時間的にも内容的にも、ハードでした。
大量のインプット、そして驚くほど大量のアウトプット。
司法試験は、実務家登用試験ですから、アウトプットできなければ、インプットした内容が身に付いたとはいえず、意味がないのです。
教科書・参考書の量も、大学入試の比ではありません。
しかも、周囲はみんな優秀。
人と比べて、焦ったり、不安になることがなかった、と言えば、ウソになります。
人間関係が険悪になることもあります。
それでも、私の通っていた横浜国大は、少人数のロースクールだったこともあり、
様々な人達とゼミを組んで、基本書や判例百選を回したり、答案練習をしたりしていました。
勉強の合間には、時折、飲み会をしたり、遊びに行ったりして、三十路の学生生活を楽しんでいました。
運動好きな人達は、スポーツもしていました。
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ロースクール時代の、「何者でもない」ことは、
不安定で、特に私の場合、家族関係における身分(妻とか娘とか)もなく、ツラいときもありましたが、
反面、
自由で、どうなっても自分一人の面倒さえ見ればよいという気楽さもありました。
🌻🌻🌻🌻
そして、私は、
2008年3月、ロースクールを卒業し、
その年の5月に受験(選択科目は労働法)、
9月に、司法試験に合格し、
11月末から、司法修習生となりました。
合格発表の時は、
法務省に張り出される発表を見に行く同級生達もいましたが、
私は、自宅のパソコンでひたすら法務省のサイトを更新しまくっていました。
(合格者の受験番号一覧がPDFでアップされるのですが、アクセスが集中し過ぎてなかなかPDFを見られなかったのです。)
やっとのことで繋がり、心臓をバクバクバクバクさせながら、PDFをスクロール。
ありました。
その時は、家に一人でいて、居間で奇声を発したような気がします。
間もなく、法務省に見に行った友人たちから、受かってるよ!とメール。
(法務省の発表は、名前が出ていました。)
まずは仏壇に合格の旨を報告し、
色々な関係各位に連絡しまくって、
発表当日夜は、恒例となっていた横浜駅東口でのお祝い飲み会で、ロースクールの先生方からご馳走になりました。
翌日は、
ロースクール受験に私を誘ってくれた、大学時代の親友宅へ。
彼女も、彼女の彼(現配偶者)も、合格していました。
3人で、とにかくたくさんワインを飲んで、盛り上がりました。
たぶん、そんなに高いワインではなかったはずだけれど、
美味しかったなあ。
美酒、とはまさにこのこと。
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やっと、ここまで来た。
そんな思いでいっぱいでした。
36歳、奇しくも、父が亡くなった年齢の1つ下でした。
☆私の半生 ①自然の中の原風景と父の死
☆私の半生 ②普通になりたかった青春時代。
☆私の半生 ③離婚、そしてがむしゃらへ。
☆私の半生 ④ロースクール受験を決意(前編) 崖っぷち!
☆私の半生 ⑤ロースクール受験を決意(後編) 母を助けられなかった。
☆私の半生 ⑥ロースクール入学、母の死