皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
今日、カウンセラー仲間の友人たち(サトヒーヌことモリサトヒトミちゃん、まいまいことmaico)とランチをしていて、タイトルのような話になりました。
サトヒーヌは2人のお子さんのママで下のベイビーはまだ10ヶ月だったり、
まいまいは人生の修行のため?持病を抱えつつ仕事をしつつ恋愛に勤しんでいたり、
(たぶん3人の中で私が一番ダラダラしてる笑)
各人の個別論を超えて、
人が、女性が生きるって大変だよねえ。
という話になりました。
例えば、多くの女性は、
女性であるというだけで、
クレームを言っても通りにくい(男性が言ったら通ったりする)、主張しても聞く耳を持たれず押し込まれがち
(また、言われた相手の気持ちをすぐに慮ってしまうので強く言えなかったり、報復が怖くて言えなかったり)、
権限があったとしてもないと思われて「上の人を出せ」と言われたりする、
痴漢やセクハラに遭う、
社会の仕組みがまだまだ男性的な基準なので安定や効率が重視され、そこに着いていけない自分の心身の不調(肉体的な弱さ、月経による身体や精神の不安定さ)を、「悪いもの」として責めがちだし、責めるあまり遂には心身を壊してしまうこともある、
ヒールを履いているといざというとき走って逃げられない(笑)(まあ、武器にもなりますが。。。笑)
等々、
要するに、本来の女性性(ゆったり、のんびり、気まま、感情や体調の波がどうしてもある)を否定したり抑圧して男性性を発揮しながら生活する場面が多いので、生きてるだけで大変だよねえ、ということなのです。
男性性に偏重しがちなのは、たぶん男性もそうで、だから、女性性の強い男性も、上手く職業選択をしたり私生活を充実させたりしなければ、なかなかに生きづらい世の中なんじゃないかなあ、と思うのです。
そして、いわゆる男らしい、男性性の強い人にとっても、情報過多・複雑化・価値観の多様化・技術やサービスの模倣すなわち新規参入の容易性・顧客が陳腐化した商品でも受容する等々の時代の趨勢を考えると、仕事は面白くもあり難しくもある時代なのかなあと思います。
人間は、誰しも男性性と女性性の両方を備えていて、そのバランスは各人の個性なので男性性が9割という人がいても全然OKなのですが、
社会としてあまりに一方に偏り過ぎるのは、私は、弊害が大きい、よろしくないと思うのです。
なぜなら、不均衡ゆえに価値観の多様性を許容しない不寛容な社会が形成され易くなってしまうから。不寛容な社会では、マイノリティ側(今だったら女性性が強い人)が生きづらくなるのはもちろんのこと、それ以外の局面でも差別やヘイト等様々な弊害が生じます。
(その意味で、昨今LGBTへの理解が進んでいることは良い流れだと思います。)
・・・とまあ、まあまあ壮大な話になってしまいました(笑)
ランチではここまで壮大な話にはなってません。念のため。
こんだけ言っておいて広げた風呂敷をひっくり返しますが(ひっくり返すっていうか畳む?)、
社会のことももちろんめっちゃ大事なんですが、
今、私が大切だなあと思うのは、1人1人が、
速いこと・効率的であることが正義、
感情や志向の一貫性を保つべき、とか
気分や体調はいつも安定しているべき、とか
そういうのは、もう手放していいんじゃない?
ということです。
あと、みんな、
生きてるだけでスゴく頑張っているんだから(特にここ2年は)、
それでも生きている自分に「ありがとう」を贈ろうよ。
ということです。
私なんて、毎日7~9時間睡眠をし、朝は少なくとも1時間はボーっとし(瞑想し)、気づきや感情をノートに書き出し、夜はお風呂で半身浴を少なくとも1時間して、お風呂で溜まったストレスをうなり声で吐き出し(笑)、随時猫と戯れ、適宜お酒を飲み、合間合間に旅行や趣味を挟み込んでいても、
毎日、夜眠る時は「ああ、お疲れ。私。今日も生きた。頑張った。」ですもん。
(遊び疲れ?そんなことないもん!)
大変よ。生きるって。
とはいえ、寛容になろうよ!女性性をもっと活かそうよ!といいつつも、仕事では、「ここに書いてありますよ!!ホラホラ!!」か、将来そう言われないようにセコセコと文書を作る、てな感じなんですけどね~。あはは。
まあ、一定程度の安定性はまだまだ必要な社会なんでしょうねえ。
でもまあ、私は私なりに、女性性を活かして、クライアントさんのお話を丁寧にお聴きしたり、ゆったりとした時間を取ってみたり、時にはお気持ちの深いところに触れたり、しております。
★参考記事