皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
文化の日ですね。
少し文化っぽく?後ほど、久々の『朝瞑想のひとこと』まとめ記事をお送りしたいと思います。
いや、最初はまとめ記事を書くつもりでリード文を書いていたんですが、思いの外リード文が長くなってかつ内容も濃くなってきたので、独立して1つの記事にすることにしました。
個人的に、最近、「大人になる」ことの1つの意義は、自分の影響力が大きくなることで、それに伴い人から色んな影響を受けることなのかもしれないなあ、と思っています。循環ですね。影響力が大きくなるにつれ、自分にとって好ましいものもそうではないものも大きくなってやって来る。
ですので、これまで以上に、自分の発する言葉や行動は、ネガティブなものもポジティブなものも自分の中でよく咀嚼して腑に落とし込んで、その上で、少なくとも私にとって心地好いものを発信していきたいと思います。
もちろん、それは、無理に自分を変えるとか、警戒する、おもねる、迎合するいう意味ではなくて。
自分の言葉や行動を、自分の内側から、人にすなわち外に差し出す際に、まず自分と対話する。
これは、本心か。
事実だったり正論だったとしても、人に勝ちたかったりやり返したり批判・非難する目的で発してないか。或いは、自分を傷つけた誰かを相手に投影していないか。
もしそうだとしたら、私の中に、どんな傷があるのか。その傷を、いつ、誰から、どうやってつけられた又は刺激されたと感じているのか。
その傷は、今、どんな状態か。もう許したい段階なのか、まだまだ怒っていたり悲しみたい段階なのか。
私は、今から発信しようとすることで、いったいどんな感情を得ようとしているのか。自分が上だと見せたいのか、すごそう・魅力的・有能・強そうに思われて承認欲求を充たしたいのか、人を扇情的にコントロールしたいのか。
それも、また良し。人間だもの。私も、承認欲求を充たしたくて発信をすることもあります。
ただ、それは、本当の本心なのか。もう一度、問う。
その底の、
寂しさつまり人と繋がりたい思いだったり、
自分の体験を詳らかに語ることで誰かの勇気になりたい気持ちだったり、
ただただ自分がワクワクしたり心がぐぐぐっと広がって心地好い感覚をシェアしたかったり、
自分の中の過去に感じたネガティブな感情を浄化して奥底にある愛を見つめたい、人も自分も許したい気持ちだったり。
きっと、本心は、そういうところにあると思うのです。
もちろん、対面の時には、そんな悠長なことを言っていられないことが多いのですが!(笑)
ただ、対面の場合は、深い感情に繋がる時間が足りない分、少々の居心地悪さを演出してしまっても(笑)、すぐにフォローすることも可能ですよね。
「自分の影響力が大きくなる」って、私が以前自分に課していた(笑)大人の定義とはだいぶ違います。
以前は、「ちゃんとする、ちゃんとできる」が私にとっての大人でした。
ちゃんと人に優しく、ちゃんと人の期待に応える、ちゃんと感謝する、ちゃんと独り立ちして人を頼らない、ちゃんと人を助ける、ちゃんと人のために生きられるように自分をメンテナンスする・・・・。他人の視点から自分がどう思われるかばかりを気にしている、他人軸な基準でした。
もちろん、この地球上の社会で暮らしている以上は、人との関わりを避けることはできませんので、他人の視点を意識することは大切です。
でも、まずは「自分がどうしたいのか」ですよね。人に合わせる場合も、「自分がそうしたいから選んだ」という意識がとても大切です。
自分軸を意識し始めると、自分の影響力というものに気が付くことが増えました。
初めのうちは、そんな私ごときがおこがましい・・・と思っていましたが、この言動は、自己価値の受取り拒否だったんだな、と最近になって気が付きました。
影響力の大きい人になる、って、メディアに登場して有名人になったり組織の中で出世して大きな権限を持ったりすることもそうだけれど、そうではなくても、そこに居るだけで場の雰囲気が変わったり、その人の感情の揺らぎに周囲が大きく影響されたり(家庭における母親とかはそうですよね)、ただ無になって迷っている人の鏡として存在してみたり、人それぞれ色んな在り方があると思うのです。
で、あくまで私の場合ですが。
自分の影響力の大きさを受け取ることによって、これまでついつい人の気持ちを優先しがちでゆらゆらと揺れがちだった私に、しっかりとした根を大地に下ろすことができたように感じています。
さながら、柳の木のように。
あなたは、どんな風に、ご自分の影響力を感じていますか?受け取っていますか?
どんな大人で在りたいですか?
よろしければ、お話を聞かせて下さい。
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