皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
たまに戦う弁護士&心理カウンセラーの小川正美です。
先日書いたように、私は1月からビジネスセミナーに通い、かつ、2月から新しいお仕事でのチャレンジも始まり、毎日が怒涛のようです(笑)
そんななか、やはり、日々、例の訴訟の件には向き合っております。
あ。ふつうの仕事もしてるよ。
※例の訴訟とは、7年前の訴訟の相手方ご本人から昨年12月に私が慰謝料請求訴訟を提起された件で、私は、昨年12月来、この相手方原告(男性)について、「私は、なぜ裁判を起こされるというこの状況を必要としたのか?」という観点から向き合っているのです。
日々の日課である朝瞑想も行っております。今日は二度寝した・・・(笑)
で、そんなことをぐるぐるとしていましたら。
私は、結局、全員が勝つ世界を見たいんだな。
と、ふと思いました。

全員が勝つって、容易なことではありません。
訴訟で、判決になったら必ず敗訴当事者がいるように、和解になったとしても勝訴的和解などと言って勝敗が決したり、或いは双方妥協したけれど(互譲といいます)何だか双方負けたような気がしていたり。
平和な結果を早急に望むあまり交渉段階でどちらか又は双方が妥協し過ぎてしまったり。
力の強い者の見えない圧力に交渉前から屈してしまったり。
誰かが犠牲をしてしまったり。
おそらく、人類が誕生してからの地球史上、全員が勝ったことってないんですよね。
でも、全員が勝つ世界を見たい。
無理じゃない?とも思う。
どうやって?とも思う。
しかも、どうやったら良いのか分からないし。
絶版になった『紛争の心理学』を読んでも、分からないし。ついでに文章も難しいぞ(笑)
聖人君子になりたいわけでもないし。
ていうか、なれないし。
私は、日々、当たり前に、怒り、憎み、悲しみ、時に恨み、絶望し、おそれている。
とはいえ、私は、人間の心には、必ず、愛があるということは確信をしている。
なぜなら、愛がなかったら、人間は生きていけないから。
おそれだって、自分や他者を守るための愛、と言い換えることも可能だし。
自分の愛するもの(自分や他者やそれらへの愛を投影したモノ)を失くしたり傷つけたりするおそれから、人は、必死のあまり、攻撃的になる。
攻撃の態様は様々で、子猫を守る母猫が毛を逆立てて威嚇するように暴力的になることもあれば、存在を無視するなど感情的な攻撃もある。
攻撃を受けた側も、当然、おそれが生じる。自分を守るため。自分に対する愛だ。
始まりは愛なのに、攻撃の連鎖が生じる。
手を止めて。
深呼吸して。
皆が自分の心のうちを紐解いて、
自分の愛するものが危機にさらされているという幻想から抜け出せることができれば、全員が勝つことができるんじゃないかと思う。
私が、今、できることは、そんな世界をイメージすること。
祈ること。
感謝すること。
こういう風に思うよ、と発信すること。