小さきところに神は宿る
あなたの中にも。#朝瞑想のひとこと pic.twitter.com/ZE5p1NCWes
— 小川 正美/たまに戦う弁護士・心理カウンセラー (@MasamiOgawa_LLL) June 13, 2021
神様、仏様、ハイヤーセルフ、呼び名は何でもいいんだけれど。
そういう、何か万能な存在が自分の上に居て、お祈りをしたりすると自分に施しとして何か良いことを与えてくれる、というわけではないと思う。
本来は、神様(ここで言う神様は特定の宗教の神様ではなく、神的なもの、とする)は、自分と対等な存在であって、何なら1人1人の中に存在しているのだ。
人は、瞑想の中だったり、自分を内観している最中だったり、或いは、日常生活の中で突然降って湧いてくるようにだったりして、気づき、覚醒、悟りのような境地に至ることがある。
許せなかった人や自分を許すことができた時の解放感や愛溢れる感覚、全ての物事が必要があって起きていたことに気づいたり、覚悟を決めた途端に物事が意外なところから動き出し自分を応援する方向に動き出して、自分が世界を創っていることを深いところで納得したり。
そんな時、自分が神的なものと同じような心地になるのだ。
これは、あくまで私の考えなので、共感してくれる方だけして下さい(笑)
以下に、私がなぜこの考えを採用しているかを述べる。なお、私は、特定の宗教を信仰していないことを付言する。
自分と神様が対等で自分の中にいる、という考えには、もちろん、メリットデメリット双方がある。
デメリットは、
自分にとって不都合なこと、アンラッキーなこと、呪詛の言葉を吐きたくなるようなこと、神様のせいにしたいことって生きているとたくさんあるけれど、自分と神様が対等というか自分の中にいるとすると、自己責任、ということになるのだ。
虐待被害者とか犯罪被害者とか自然災害の被災者にとっては、救いがない、厳し過ぎる考え方、ということになるかもしれない。
ただ、いつも言っているように、ここで言う自己責任は、被害者・被災者の方たちが「悪いから」「自ら望んで」そうしたつらい目に遭った、という話ではない。
そうした人生の試練から、最終的にどんな感情を選ぶか、何を学ぶか、どういう道を選択するのかは、自己責任ですよ、という話だ。泣いて暮らすも一生、笑って暮らすも一生、ということ。
とはいえ、どんな境遇に陥ってもどの感情を選択するかは自己責任というのは厳し過ぎる、そういう場合は、自分の外側の神に文句を言ったり救いを求めたりしてもいいじゃないか、と感じる人が居ても不思議ではない。
そして、それもまた自由だ。私は、違う、というだけ。
自分の内に神がいるという考え方のメリットは、
デメリットと表裏一体なのだが、自らの人生の責任を他人(神)のせいにしない潔さ、心地よさ、そして、苦難を乗り越える力となり得ること、だと思う。
今、あるもの。
肉体、心、物質(衣食住やインフラから自然環境まで)、時間、人との繋がりの豊かさ。これらは自らが数限りない選択をしたうえでここにあること、とても愛おしい、有難いものであることに気が付くことが、神性なのだと思う。
例え、人生の道中で不運な悲しい出来事があったとしても、自分の内に神がいると認めていれば、神も仏もないという悲嘆から抜け出した後には、きっと、その出来事のおかげで、自分の神性のおかげで、生命の尊さ、人の暖かさ、自分の中の愛の豊かさを知ることができた、という境地に至る。
そうすると、やはり、私は、我々内に神がいて、神と対等である、という考え方に、デメリットを超えるメリットがあると思ってしまうのだ。
私たち1人1人は、本来、自分が今思っているよりも、すごい力を持っているのだ。
たぶん。ええ、たぶんだけど(笑)
だってさ、流れに乗った時のシンクロ発生率とか引き寄せってすごいよ。みんな気が付いていると思うけれども。
自分の波長に合致している物事が、やってくるとしか思えないのです。このことは、今度また別途語りたい。
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