皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
昨日の記事で、頑張り過ぎにより「私、かわいそう!」の自己憐憫が出て来る問題について書きました。
その中で、私の自己憐憫ちゃんが爆発した時にパートナーシップを破壊しまくってきたことに触れたのですが、思い起こせば、こうした破壊行動って、頑張り過ぎてしんどくなった時の他に、関係性に変化が生じそうな時にも頻発していたんですね。
例えば、学生時代、就活で彼が先に内定先が決まった時、結婚直前で気持ちが揺れていた時、元夫のことを諦めてしまって(今思い起こせば自分を諦めたんですよねえ)いよいよ別居になりそうだった時、私が司法試験に合格して修習が始まった時、関係が良い感じに進展しつつあった時×複数回(笑)
これを親密感のおそれ(人間関係において心理的距離が近くなると過去同じような距離で経験した傷みが疼いてしまい、親密になることを怖れること)で括ることもできるのですが、もう少し高い視点で見てみると、「変化」への怖れと捉えられるのでは、と思いました。
そう、パートナーシップに限らず、進学、クラス替え、転校、新しいバイト、サークル、就職、趣味の集まり、勉強仲間、転職、独立、等々のあらゆる変化のステージにおいて、根が小心な私は、ビビりまくっていました。
果たして人間関係になじめるだろうか、気が合う友達はできるだろうか、あの時のように仲間外れにされたらどうしよう、仕事ができないとバカにされたらどうしよう、調子に乗りやがって上手くやりやがってと嫉妬されたらどうしよう、罵倒されたら、嫌がらせされたらいやだなあ、等々。
そして、その環境である程度仲間ができたり仕事に自信が持てたりするまでは、事あるごとに「私、ホントは嫌われてるんじゃ?」とつい疑ってしまったり、人の顔色を窺ってしまったり。
そんなことを繰り返していましたが、自己肯定感が上がってくるにつれ、だんだんと人から嫌われていると疑う時間は減っていきました。
以前は、自分が自分を嫌って疑っていたから、その気持ちを外側の世界に投影して、「私が好きになれない私のことなんて、人も嫌っているに違いない」と思ってしまっていたんですよね。
とはいえ、今でもやはり、何か大きな変化がある時は、以前の自信のなさが顔を出します。
それは、自分の外側(環境、仕事、人間関係)のみならず、自分の内側の変化の時も。内側って、分かりにくいかもしれませんが、例えば、人と近付くこともそうだし、社会的に前に出ると決意する時や、自分の心持ちを変えてもいいと許可した時(例えば、豊かになっていい等)等です。外側の変化ともちろん連動していますが。
当たり前ですよねえ。変化の先は、未経験の世界だったり、かつて失敗した(と思っている)世界だったりするわけですから。
でもでも、怖いのは、不思議と、状況が悪くなる時よりも豊かで幸せになる時の方が怖いんですよね。ことによっては、ランキングもののように、手に入れた瞬間に失うおそれが出てくる場合もあるでしょうし。
ステージが上がった時や関係性が変化する時って自分の恐怖心を人に投影して、悪く思われてるな、批難されてるなと被害妄想に陥りがち。そこに足を掬われる人を見たし自分も経験がある。
人のことが気になる時は、自分を見る。たいていは自分の価値を受け取れていない、信頼がないから問題化している。
— 小川 正美/たまに戦う弁護士・心理カウンセラー (@MasamiOgawa_LLL) September 14, 2021
さて、タイトルに「変化の時の落とし穴、揺さぶり」と書きましたが、上のように、自分の無価値感ゆえに被害妄想に陥る場合のほか、次のような落とし穴や揺れがあると思います。
ベースには、「変化へのおそれ」があるのですが、その恐怖心を感じたくないがゆえに、
強がる、逃げる、犠牲する、執着する、焦る、決めつける・妄想する
といった言動をして、自ら落とし穴を掘ったり(笑)、自ら大地震を起こして揺さぶってみたり揺れてみたりする。
もう少し詳しく見ていくと、
・強がる
強がるのは、変化へのおそれを見たくなかったり、変化に対して本当は自信がないちっぽけな自分を見たくないから。自分はこんなのへっちゃら、私には能力がある、私はいい女、などと強がって、人に対しては競争し、優位に立ってコントロールしようとする。
自信がない自分を素直に認めることができたら、怖さも認めることができるようになるので、怖さと向き合いながら(怖さとワクワクは同じとも言いますし)、少しずつ前に進むことができるのです。
・逃げる
これは、ある意味素直。怖くなって逃げる。婚約破棄を繰り返したり、スポーツ選手なら肝心な試合の時に限って故障したり、年に一度しかない資格試験の日に毎年お腹を壊したり。
こうした現象は、もしかしたら、プレッシャーに弱い、と一概には言えず、その人の潜在意識の中では、結婚したり勝利したり合格したりして幸せになるのが怖いのかもしれません。
逃げるのも悪くはないけれど、後悔することも結構ありますよねえ。
・犠牲する
予想される変化に対して自分が余りにもちっぽけで怖い、または、予想外の素晴らしい変化が既に現実化してしまってこれまでの自分が相応しくないとまごついている(突然大出世したとか宝くじの高額当選とか超イケメンから告白されたとか(笑))、そんな時、人は、「こんな自分じゃ申し訳ないから頑張らなきゃ」と思って、自分がしたくないことまで頑張ってしまったりするものです。
犠牲の場合、行動の動機が喜びではなくおそれなので、苦しくなっていくのです。もちろん、根底には愛があるんですけれど、目の前の自分の無価値感に振り回されてしまうと犠牲してしまいますよねえ。
・執着する
変化することが怖すぎて、現状に執着する。人間も含めた動物には生命維持のため内面を一定に保とうとする恒常性があるので、現状より変化した後の方が良いと頭では分かっていても、現状に執着してしまうことがあります。
執着する言い訳(笑)のために、思考が、上記の無価値感とか過去の失敗(と思っている)体験などをいろいろと囁きかけてきます。これも、「ああ、私怖いんだなあ。執着してるなあ。」と自分を認めるところが手放しの第一歩ですよね。
・焦る
変化が怖すぎて、無意識に状況をぶち壊す、破壊活動。そう、我々(なぜか複数形、女子はみんな?そうだよね笑)が得意なアレです。
待てない、結論を急ぐ、自分のタイミングで相手が動かないと怒る、これって焦りなんですが、根底にあるのは、変化すること自体へのおそれというより、変化していく過程においてまた傷ついたらどうしよう、それなら自分から壊してしまえ、という不安かなと思います。
・決めつける、妄想する
上の焦りとも関連しますが、妄想スイッチが入ったら止まらない。
これも、変化の素晴らしさに対して自分は相応しくない、という無価値感がベース。自分はこの幸せを受け取る価値がない、だから本当はこれはウソなんじゃないか、騙されているんじゃないか、みんな自分を馬鹿にして笑っているんじゃないか、あいつ調子に乗りやがってと非難されてるんじゃないか、等々。例が多いのは筆者の妄想体験の豊富さゆえ。失礼しました。
で、こういう落とし穴や揺さぶりに、どう対処していけば良いのか。
そう、タイトルにも書いたように、男性性の注意深い愛情と女性性の流れるままの芯の強さで乗り切るのがオススメです。
未体験ゾーンへの変化というチャレンジには、両輪が必要。
男性性の、1つ1つ着実に現実を積み上げていく注意深い愛情。
例えば、昔の恋人のように裏切られるんじゃないかというおそれが出てきた時には、そうではない証拠をたくさん挙げて自分を説得できる理性、もし万が一そうなったとしても自分は大丈夫だろう?と説得できる頼り甲斐。
例えば、想定外の出世をしてしまった時には、自分のこれまでの努力を客観的に公平に俯瞰して見て自分を賞賛できる理性、失敗しても失うものはなく学びだ、これまでもそうだっただろう?と勇気づけられる優しさ。
女性性の、蛇行したり濁流に流されつつも雄大な海に繋がることを確信し続ける強さ。
どの道を行っても、自分は幸せになる、と信じ続ける強さ。
余談ですが、私は、実のところは、男性性が愛情深くて、女性性が強いんじゃないかな、と思っているんですよね。
怖い、怖いと思いつつも、自分の中の愛や情熱や勇気や喜びを見つめながら、外側の世界に感謝をして、新しい世界に相応しい自分を少しずつ認めながら、人を信頼しながら進んでいくと、落とし穴も軽々と飛び越え、揺さぶりにはダンスして、軽やかに乗り越えていけるんじゃないかな、と思います。