私が静岡にいた頃からのお客様がいらしたり、他の打ち合わせや明日の法律講座の準備やら何やらで何だかウィークデーのように過ごしておりました。
もともとうちの事務所のある乃木神社近辺は、閑静というほどではありませんがあまり人通りもなく、土曜日でもそれは変わらないのです。むしろ、お勤めの方が少ないぶん、かえって人通りは少ないかもしれません。
なので、ゆったりとした気持ちでお仕事をしました。
帰宅して、明日の講座の前半部分のリハーサルを声を出しながらやっていたら、猫たちが「カータン、気が狂ったにゃ??」とでも言いたげにニャーニャーと騒いでいましたが(笑)
細かいことは気にしない!
さてさて、今朝、↓のようなつぶやきをしました。
今の自分を肯定するために、過去の自分を否定しなくていいし、
過去の自分を肯定するために、今の自分を否定しなくてもいい。#朝瞑想のひとこと#快晴#乃木坂#弁護士#心理カウンセラー pic.twitter.com/UyCBbBMgjB
— 小川 正美/たまに戦う弁護士・心理カウンセラー (@MasamiOgawa_LLL) November 13, 2021
昨日のタイトルに引き続き、双方向の文章(こういうの何て言うんだっけ。「逆」かな。a⇒b とb⇒a)。私の中で流行ってるのです(笑)
・・・って、話がずれましたね。
本題に話を戻すと、
この「今の自分を肯定するために過去の自分を否定したり、過去の自分を肯定するために今の自分を否定する」って、私たちが結構やりがちなパターンだと思うのですよ。
リベンジ、とかね。
もちろん、スポーツや入学入社・資格・昇進等の試験やコンペティション等の勝負ごと、いえひょっとしたら人間関係においてでさえ、「敗けた」悔しさを感じてそんな自分を不甲斐ないとある意味否定して、発奮して、更なる自己成長を遂げることも、悪いわけではありません。
むしろ、そういうリベンジ心がなければ、人間というのはなかなか成長しないものかもしれませんよね。
ただ、それをずっと続けて、自分の期待どおりにならないことは「敗け」として自己否定を続けてしまうと、自分の過去を否定することになります。
そうすると、一般に人間というものは年齢を重ねるごとに経験が増える=敗ける経験も増えるし、年齢を重ねるごとに成長した自分に対する「勝ち」と認めてあげられるハードルが高くなりますから(要は自分に求める基準が厳しくなりますから)、余計に「敗けたと感じる」経験も増えていきます。
ここで言う敗けは、あくまで主観的なものです。主観的に敗けだと思っていると、いくら客観的に見て素晴らしいことであったとしても本人は受け容れられません。
つまり、自分に厳しく、自分を受容し承認し愛してあげられないのです。
そうすると、経験と努力の割に若い頃と比べて挫折感を感じる時間が長くなり、どんどん燃え尽きやすくなりますし、客観的にはスゴい成果を出していても本人は満足できず幸せを感じられなくなってしまいます。
悲しいし、もったいない話ですよねえ。
なので、私は、「今の自分を肯定するために過去の自分を否定するのを止めよう」と言いたいのです。
このことを暑苦しく語る理由は、もちろん、私自身が過去の自分を否定しまくって生きてきたからです!
例えば、司法試験の勉強をしていた頃は、別れた彼や元夫やその他諸々を見返したい気持ちが結構ありましたし、
弁護士になってからも、思い出したくない仕事やその関係周りのことを忘れるために目の前の仕事を頑張るとかしていました。
あと、古い話ですが友だちから無視されたり大人しい性格だった過去もめっちゃ否定してキャラ変をした今の自分を肯定していましたし、
反動で妙に強気にズケズケものを言っていた自分を否定して穏やかなキャラに転換したりもしました。
もちろん、繰り返しになりますが、頑張ること自体は悪いことではないです。
ただ、自らの過去を否定しながらの頑張りは、自己否定にエネルギーを使いつつそのエネルギーを発奮の燃料として頑張るので、「こんな風になったら楽しそう」とか「人を幸せにしたい」とかのポジティブなビジョンからのエネルギー供給がなく、すぐガス欠になるのです。
人間って楽しいことはいつまでも続けられるけど、苦しいことはなかなか続けられないので。
(ちなみに、私は暗くなっても外で遊び続けて親から怒られる小学生でした(笑)良い時代だった。。。)
しかも、自己否定を続けているものだから、どうしても根底では自信のない状態が続いてしまう。
チャレンジするにあたって、自分を信じることができず(自信=自分を信じる、ですから)もう一歩踏み出せないとか、踏み出したとしても極端な方向性に行ってしまう(自己否定が強いぶん肯定するために一発逆転を狙いたくなる)とか。
なので、しつこいようですが、今の自分を肯定するために過去の自分を否定するのは止めようよ!と言いたいのです。
もちろん、否定したいくらいの過去ですから、自分で受け容れれたくないものも多いでしょう。
でもね、そんな自分もまあいいじゃないですか。
根拠なく言うけど。
その時の自分は、ベストを尽くしたわけですよ。
そうやって自分を認めてあげ続けると、他者から否定された(例えば振られたとかいじめられたとかね)ような思いも、自分は自分、人は人、私は私を否定しませんけど何か?あなたはどっちでもご自由に、みたいな気持ちになっていきます。
特に、過去の体験ならそれ以上生傷が増えることはないので肯定すればするほど効果が出やすいです。
ちなみに現在進行形の体験の場合は、昨日の記事で述べたように「今、ここ」に意識を持ってきて自分の感情や感覚を感じてあげると自己否定に陥りにくいです。
また、たまにですが、自分の過去を肯定したいがために現在を否定することもあるんですよね。
過去の栄光と言いますかモニュメントと言いますか、そこに執着してしまって現在の自分はホントの自分じゃない!と否定しているような場合が典型的かと。
この場合もやはり、現在の自分を肯定することが必要ですよね。成功体験があってそこに劣等コンプレックスの裏返しのプライドを持ってしまっていると、難しいかもしれませんが。
私の場合は、30代独身無職から弁護士になって急に偉くなったような気がして、弁護士になる以前からの一部の友人たちとの付き合いを難しく感じたことがありました。
今思えば、私が勝手に難しく感じていたんですけれども。
そのことが寂しかった時に、弁護士である現在の自分を否定したりしていましたねえ。
別に今の自分を否定しなくても、寂しいなら寂しい、それをシンプルに感じて、伝えたり伝えなかったり自分の好きにすれば良かったのですが。当時の私にはできなかった。
でもね、それもしょうがないのです(笑)
とにもかくにも、過去も現在も未来も、自分は自分、大切な自分なのですよ。
時制のどこかを切り取って否定しなくてもいいし、むしろ肯定してあげようね!と思うのです。
ぜーんぶ、必要なことだから、起きているのよん。