皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
たまに戦う弁護士&心理カウンセラーの小川正美です。
例の訴訟の件ですが、2回目の期日に提出する反論書面を書き上げて、昨日送付しました。お疲れさま、私!よくやった!!
色々な方に話を聴いてもらったりアドバイスを貰ったりしましたが、今のところのスタンスとしては、法律上の違法性はないけれども、相手方が一部誤解をしていること、相手方がそのように誤解をしたこと自体は責められるべきものではないし私も責めていないこと、ただ、家族間の問題がこじれて私のクライアントさんが相手方に対して怒ったことも同様に責められるべきものではないしそれはクライアントさんの自由意思かつ権利であること、私は職務としてクライアントさんの意向に沿い交渉や訴訟活動を行ったこと、それによって相手方が感情的に苦しいことは理解するが私にはどうすることもできないこと、等々です。
一山超えたかな。はー。
皆さま、その節は本当にありがとうございました。
そして、これとはまったく別件なのですが、最近、私は新たなお仕事にチャレンジしようとしていまして、コンサルティングを受けているので腰が引けるほど速く現実化しそうなのです。
で、この仕事の概要を、仕事とは関係のない第三者の方に話をしたんですね。
そうしたら、絶対に応援してくれるということが分かっているのにもかかわらず、私ったら、もう怖くて怖くて怖くてですね。
こんな私がみんなの期待に応えられるわけがない、いや別に応えなくていいんだよ(1人ツッコミ)、
同業者から冷たい目で見られる、いや既に十分見られてるかもよ(1人ツッコミ)、
これまでの世界と変わってしまう、寂しい、怖い
主にそんな感じでした。
感覚的には、若手弁護士の頃に、法廷で相手方代理人や裁判官に対して感じた恐怖、特に(1回だけですが)裁判官からボロクソに言われてトラウマ級にショックを受けた時の恐怖(今考えてもあそこまで言われる筋合いはなかったと思うし、他の期日では普通だったから機嫌が悪かったのかもしれない。けど不機嫌で人を動かそうとしたり八つ当たりするのは最低だ)が再現されて恐ろしく緊張した感じ。
いつもの私とは全く違う様子だったと自分でも思います。
新しい企画は、リラックスがテーマなのに!!(笑)
それでですね、思ったのは、私はまだまだ仕事に対してイヤなというかこわいイメージが色濃くあるんだなあ。と思ったのです。
例えば、
相手方代理人から書面が届いたら当たり前ですがドキッとして、事案の内容によっては厳しいことが書いてあるのが分かり切っているからしばらく読めなかったりしますし、
突然悪い知らせが来ることもしばしばですし、
例えば、仕事のメルアドに久しぶりのクライアントさんからメールが来たら「何かあった?」とドキッとしますし(弁護士に連絡があるということは通常あまりよくないことです)、
弁護士会から会報や役員選挙や刑事弁護関係等以外と思われる封筒が届いたら「何のお知らせ?懲戒請求?」とドキドキしますし(ただし、例の訴訟の相手方のおかげでこれはだいぶ慣れた)、
ここ4,5年は本当に裁判官も相手方代理人も調停委員もみんな私に優しくなったというか優しい人に当たるようになった(と私が感じている)のですが、昔はまあまあ苦手なタイプの人(昭和のおじさんであちらも女性弁護士が苦手そうな感じのタイプ)に当たると、仕事以外なら下手に出る(女子っぽくアホっぽく振舞う)ことによって可愛がられるという方法もあるのですが仕事だとそうもいかず、戦闘力を発揮してケンカになったりすることもあったので、やはり苦手なタイプの人には気を使って緊張しますし、
もちろん、判決や審判はドキドキですし。
刑事事件の示談で被害者の方に会うのもドキドキですし。
検察官と話すのも事案や用件によってはドキドキすることもありますし。
同業者からもそうでない方からも値踏みされたような気になって怖いと思うこともしょっちゅう。
ええ、全て投影なんですけどね!(笑)
自分が自分に厳しいから周囲も厳しくするだろうと考えるし、自分が自分を値踏みしてダメ出ししてるから周囲も値踏みしてくると思うのですよ。
そして、周りをおそれている時、当然のことながら、人は、自分に意識が向いていません。
つまり、自分の外側に意識が向いています。外側に自分のエネルギーを傾けている、いわば自分の内部からエネルギーを放出しているということになります。
そうすると、エネルギー不足になりますよね。
不足したエネルギーは、自分の内側から湧いてくるものを使うか、外側から供給することになります。
ずっと意識が外側に向いていると、自分の内側からエネルギーが湧いてくることを感じられません。エネルギーが湧いても、貯蓄しようとしないので、穴の開いたバケツのように駄々洩れになってしまいます。
また、外側から供給することも、おそれている場合は難しい。
本来的には、自分が外に放出して外から供給するというエネルギー循環が生まれると、自分も他者も幸せなんですよね。
例えば、愛を与えて、受け取ると、こうした循環が生まれます。欲しかった商品を買って、喜んでもらえて売った方も嬉しい、みたいな。
でも、おそれの場合は、コミュニケーションが断絶して上手くいかないので、エネルギーが循環しません。
なので、おそれている場合は、いったん、自分に意識を向けることが必要だと思うのです。
まだまだ怖がっている自分を観察する。
ああ、あんなこともこんなこともあったよね(卒業式の歌ふうに(笑))、ツラかったね、よく頑張ったね私。すごーい!と受け容れ、褒め称え、
あんなことがあったらそれは怖いよねえ、と受け容れる。
人の人生を左右する仕事だもの、そりゃあ私もみんなも真剣だし、怖くなっちゃうよねえ。と受け容れる。
あんなに厳しい受験勉強と試験を勝ち抜いてきたんだもの、そりゃあ自分にも人にも厳しくなっちゃうよねえ、仲間で落ちた人だっているし、ツラい思いをすることもあるものねえ、怖いよねえ、と受け容れる。
「先生」と呼ばれて世間の目を気にせざるを得ない職業だし、注目されちゃう時もよくあるし、利用しようと近寄って来る人だっているし、肩書だけ見て人間性を見られていない時だってあるし、謎にマウンティングされる時もあるし、外側に意識がいっちゃっても仕方ないよねえ、と受け容れる。
こんなにたんまりとおそれを持っているのが、今の私だ、と。
そしたらね。
内側から湧いてくる自分のエネルギーに気づけるようになるんです。
比喩ではなく本当に湧いてくるような熱量を感じます。
或いは、心臓のあたりハートから暖かい光が広がっていくような感覚の時もある。
よく分からない?怪しい感じがする?
でも、みんな、面白かったり嬉しかったり楽しかったりして興奮したら身体に熱を帯びるでしょう?
それと同じこと。
そうして、内側から湧いてきたエネルギーを溜めて、力にする。
人と繋がる勇気、人に自分を開く勇気、前に進む勇気にする。
そうしたら、自由で対等で愛がたくさんの世界に行ける。たぶん。きっと。
行くぞ(←自分を鼓舞。笑)