皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
今日、クライアントさんと打ち合わせをして、「これはきっと悩む人が多いんじゃないかなあ。私も未だに悩むし。」と感じたことがありますので、記事をお届けします。
このブログでは、度々、「世界は自分が創っている」という考え方をお伝えしています。この世界に起きている事実のどこを見て、どう解釈し、どういう感情を感じるかは自分次第であり、その選択によって、自分自身が幸不幸を感じる、という意味で、「世界は自分が創っている」ということです。
今日いらしたクライアントさんも、この考え方をご存知で、採用されていました。
]ところが、世界は自分が創っている、すなわち自己責任、と考えると、目の前の現実が良いと思えないとき、これは自分が悪いのか、と思ってしまいます。
子どもの頃に、親の不仲や家族の喪失(離別、死別)があると、「自分が悪い子だから、こんなことになったんだ。」と思ってしまうように。
結論としては、自分が自分の責任で世界を創っているのは確かだけれども、目の前の現実が悪いことばかり、と思うとき、
「悪いことばかりだ」と思う気持ちを選択し、その出来事に注目し、その感情に執着しているのは自分ですが、
その出来事を起こしたのは、あなたではありません。当たり前ですが。
天災や人災、交通事故の歩行者側で過失100:0の時、通り魔的暴行の被害者、その他様々な災害、事故、事件が起こったのは、あなたの責任ではありません。
ちょっと細かいお話をしておりますが、伝わりますでしょうか。
自分のせいかも、自分が悪いのかも、と考えてしまうのは、先に述べたように、子ども時代の「自分が悪い子だから、こんなことになったんだ。」という勘違いに起因している場合が多いようです。
これは、親や大人を絶対的に自分より上位に置いて、神様やスーパーマンのように見上げていたころの、依存時代の考え方です。
私たちは、「生きるために必要なものは、与えられるもの。すなわち、幸福も不幸も、与えられるもの。」という考えをまず身につけます。
最初は、乳児時代。泣くことで要求し、快不快を伝える。そうすると、お世話をしてもらえる。
幼児になると、言語を伝ったコミュニケーションを覚え始める。このころ、言葉でも伝わらない時は、泣くことで要求もする。しかし、成長とともに、その手法は通用しなくなり、自立を促され、「いい子にしなさい!」と、怒られるようになる。
いい子にしていれば、誉められ、何かを与えられ、
悪い子にしていれば、怒られ、叱られ、与えられない。
そして、小さな子どもは、親を喜ばせたい。親の笑顔を見たい。
親が悲しんでいたり、怒っていたら、何とか喜ばせようとする。
道化になっておどけたり、そっと傍に居たり、自分の得意なこと(勉強、運動や創作など)で喜ばせようとしたり、叱られたら親の伝えたいことを何とか理解をしようとし、親を助けようとして家事を手伝ったりきょうだいの面倒をみたり、親の話を分からないなりに聞いたり。
そうやって、けなげに頑張ったけれど、親が笑顔にならないとき。
子どもは、「自分が悪い子だから、こんなことになったんだ。」と、自分を責める。
これは、幼いころに見についた癖のようなものです。
また、この考えは、大人になってからも社会の一部では推奨されていたりするので(苛烈な表現ですが、支配者側にとっては被支配者の罪悪感が強いほどコントロールしやすくて便利なのです)、大人になってからも、この癖を維持・強化してしまったりする人も多いですよね。
しかし、本当に、子どもの頃に親が笑顔にならなかったことは、あなたが全て悪いのでしょうか?
そんなことはない、ということは、お分かりですよね。大人には、大人の事情というものがあります。親が笑顔になれないのは、子どもの頃には計り知れなかった、夫婦の関係性、親の社会(仕事関係、親族関係、近隣・友人等)との関わりに原因があることの方が多いでしょうから、子どもの責任ではありません。
そして、その時、「自分が悪い子だから、こんなことになったんだ。」という考え方・感情を採用したのは、確かに子どものあなただったけれども、それはやむを得ない事情があったのです。
だから、【今】、「自分が悪い子だから、こんなことになったんだ。」という癖からの考え方・感情を採用する必要はないのです。
この意味で、やはり、世界は自分が創っているのです。
自分がどの思考パターンを採用するかは自分次第なのです。
あなたは、悪くない。
あなたが悪いから、あなたのせいで、目の前のツラい現実が起きたわけではない。
でも、この現実を目の前にして、どういう感情を選択するかは、あなた次第。
もちろん、ツラい、悲しい、寂しい、消えてなくなりたい、何をする気も起きない、ただただ苦しい、息をするのもおっくう、そんな風に自然に沸き起こる感情は、抑圧しない下さいね。
ただ、「誰かが加害者で誰かが被害者」という構造を維持し続けるとと、いつまで経っても、罪悪感や憎しみが残ってしまう。自分が被害者の立場でありながら、加害者を非難し責めるという攻撃をしていることに罪悪感を持ってしまう。そうすると、自分が自分を無意識に責めてしまう。ただでさえ、被害に遭ってしんどいのに。
最終的には、誰も悪くない、という、いわゆる無害者に、当事者みんながなることができるのが理想です。
とはいえ、そんな気持ちになる時もあれば、ならない時もある。
今の自分の気持ちにオールOKでいてくださいね。
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