みなさま、こんにちは!
愛し合っていますか?
古代文字の『才』という字を、書きました。最新作です。
才は、十字架のような十字形の標木に、神の祝詞を納めた口(さい)を結びつけた形。
才は、天地人三才というように根源的な存在をいう。その聖なる標識が才である。
表現者、アーティスト、というと特別なことのように思っていました。
後世に残るような、或いは多くの人を惹きつけるような何かを表現している人だと。
特別な才能のある一部の人だけがなり得るものだと。
でも、実は、そうでもないのかもしれません。
もちろん、技量や感性、感覚において、天才的な人はいます。
プロになれるかどうか、展覧会入賞や販売といった尺度で測ったら、優劣はどうしても生まれるでしょう。
ただ、
「今、表現したい。
そして、その表現が、誰かの心に、少しでも響けば(今風に言えば刺されば)、嬉しい。」
そんな表現が、今のインターネット社会においては、たくさん生まれているし、これからも増えていくのだろうなと思います。
そう。みんな、表現者。
それって、とても幸せなことだなあと思います。
なぜなら、表現のチャンスが増え、それによって、人々の感性や感覚が育ち、思考に偏らずバランスが良くなるし、感性や感覚が鋭敏過ぎて生きづらかった人々にも居場所ができるんじゃないかな、と思うから。
たくさんの作品たちを、ジャッジして、「素人が有象無象の作品を創って・・・」と評論家のようにため息をつくのもいいけれど(私もそういう意地悪さを残念ながら(笑)持ち合わせているので理解できます)。
そうやって、ため息をつきたい気持ちはどういうところから来ているのかな?と考えたり、
単純に、「自分はこっちの系統が好き。」と、自分の好みを知ったり、その理由を探ってみたり、
「楽しい~~!」と表現する方が、
なんというか、私には、豊かに思える。
さらに、もっと広義の表現には、「何もしない。ただ存在する。」も含まれるような気がしているのですが、この話はまた。