皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
小川正美です。
あっという間に年末ですね。そして寒いですね!皆さま、お身体をどうぞご自愛くださいませ。
今日は、このところ、ずっと私の訴訟話が続いていたので、違うお話をしたいと思います。こちらは、適宜ネタとして連載していく予定です(笑)
今日は、パートナーシップのお話です。
昨日、年末のパートナーシップのご相談のご予約が相次いで延期とキャンセルになり、おそらく、ご相談者のお心のうちで、弁護士かつカウンセラーである私のところに来て現在の関係性に何らかの変化を起こすよりは、現状を維持したいという抵抗があるのだろうなと思ったのです。
私たちの心身は、生命維持の観点から、恒常性を維持したい、すなわち内部の環境を現状の一定に保ちたいという本能的な機能があります(ホメオスタシス)。
このため、人は変化に対してどうしてもおそれが出てきてしまうのですよね。そのおそれを乗り越えて、新しいことにチャレンジするのですが、人生経験を積めば積むほど、変化による成功体験だけでなく失敗体験も重ねていますから、おそれも強く大きくなっていきます。
ちなみに、チャレンジの際に限りませんが、こうしたおそれ(心理的ブロック)に対して、原因となった出来事に関するネガティブな感情を癒したり、或いは成功体験やその時味わった感情を思い出したりして、心のありようをポジティブな方向に変化させていくのも、カウンセラーの役割です。
さて、このようなこと(抵抗かなあ?など)をつらつらと考えながら、昨夜、ふと思いついたのです。
「運命の出会いは、何度あってもいいんだ。」と。
私事で恐縮ですが(ていうか、何を今さら、太宰治風ブログなのに!という感じですが(笑))、
私は、恋愛をする度に、「私は、この人に出逢うために生まれてきたんだ!」と思っていました。
ええ。なんだか照れちゃうお話ですが。
10代20代の頃はもちろん、30代であろうが40代であろうがいつでもそう思ってきました。たぶん、これからもそう思うことでしょう。なんていうか、我ながら情が深いんですよねえ。
でも、最初というかまだ1人2人のうちは、それこそ運命として納得できる回数で良かったのですが(笑)、だんだん回を重ねるごとに、
「あれ・・・??いったい、私、何人運命の人がいるの??」
「ふつう、1人だよね?」
「これまでの人が全部ニセモノだったとしたら、いったい私はいつ運命の人に出逢えるの???」
という思いが募りました。
そして、自分を「愛されない女」と思っていたので(思い込みたかったので)、「こんな風にすぐ人を運命の人だと勘違いする馬鹿な私だからダメなんだ」と自分にダメ出しをしていました。最近はそんなにダメ出しをしなくなっていたけれど、「運命の人」という言葉には、心がチクリと痛む私でした。
でも、昨日、気が付いたのです。
「運命の出逢いは、何度あってもいいんだ。」と。
最期まで添い遂げる人だけが運命の人じゃない。
その時、その時の私に必要な人たちが、私のパートナーになってくれた。
今回の人生で、私とその人が「このステージはこの人」と約束してきた人たちだった。
だから、彼らは、みんな、運命の人だった。
それでいいじゃない。
結婚と離婚というものを経験して男の人と生活を共にして、私のパートナー像を明確化するためだったり、
母を亡くした悲しみから立ち直る手助けをしてもらうためだったり、
甘やかしてもらったり喜びを与えるためだったり。
そう考えたら、
ああ、みんな本当に、私に出逢ってくれて、ありがとう。
と思ったのです。
今年は、いろいろとありましたが、過去の恋愛や結婚がより一層大切な思い出に変わったことも、私の中では1つの大きなトピックでした。
それって、相手を許したり執着を手放したりすることでもあるし、自分を許すことでもあるんですよね。
自分を許すことができると、過去の経験は、苦い失敗の経験ではなく、甘くてあたたかい思い出になります。
自分が愛されるに足る人間であり、女性であることを思い出させてもらえます。
もちろん、同じ人と、長い結婚生活やお付き合いの中で、何度も「運命の出逢い」を繰り返す人もいるでしょう。
ていうか、そちらの方が多いでしょうね(笑)私もヨリが戻ったことはありますし(←一回で破壊するばかりじゃないのよと強調)。
もしかしたら、才能やライフワークに生きて、パートナーシップはいらない、という生き方をされる人もいるでしょう。
それは、自分がどのように自分の人生を決めているのか次第ですよね。
もちろん、途中で路線変更するのもアリです。
私も、できれば、もうあと1人が望ましいです(笑)
けれども、
運命の出逢いは、何度あってもいい。
ではまた。
