皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
たまに戦う弁護士&心理カウンセラーの小川正美です。
昨日、友人からクラフトビールをプレゼントして頂きました。ありがとうございます!!
自分を愛するのに、理由はいらないよね。#朝瞑想のひとこと#ビールを愛するのにも理由はいらない pic.twitter.com/RbvVORGzEk
— 小川 正美/たまに戦う弁護士・心理カウンセラー (@MasamiOgawa_LLL) January 13, 2022
毎日生きていると、時に、自分には価値がないんじゃないか、と怖くなることがあります。
新しいことにチャレンジし続けている人はもちろんのこと、変わらない日々の暮らしを大切に過ごしている人であっても(念のため、どちらかが優れているとか間違っているとかということはありません)、全く同じ日々ということはあり得ず、自分も家族も年齢を重ねて環境や身体や考え方がどんどん変化していくからです。
変化、未知のことに対しては、人間はどうしても不安を抱いてしまうものです。ヒトも動物ですから、危険を察知したら警戒するのは当然ですよね。
もちろん、様々な経験を重ねていると、「あれ以上のツラいこと・怖いことはないだろう。だから大丈夫。」というおまじないのようなストックを持っている人が多いでしょうから、それらを落ちそうな心の杖にする方も多いことでしょう。
そのストックは、例えば、私だったら、父の突然死、母の余命宣告と生命力が落ちていくさまだったし、とある刑事事件で判決を聴く直前の瞬間。司法試験の合格発表は怖かったけど、まあダメなら来年もあるさ、と思えたのでそんなでもないかな。
あと、猫たちを飼うことも、飼い始めてからしばらくは怖かったですねえ。自分が倒れたり死んだりしたらこの子たちはどうなるの!と不安になったりとか(そして自分が1人であることを呪うこともセットだった、笑)、もちろん猫たちを看取るのは今から怖いですし(それができることは飼い主の幸せなのですが)。幸せも怖いんですよね。
話が脱線しましたが(笑)、そうした未知のことに直面した時、人間は、怖くて怖くて思ってしまうものです。
「私は、この問題を乗り越えられる力がないのではないか。」と。
そこで、問題から逃げる、自信がつくまで力を蓄えるのも、もちろんアリだと思います。むしろ、自分を守るために逃げることが大切な時もあります。
でも、逃げられない時や逃げたくない時は、自分を奮い立たせるべく、過去のストックから様々な自信の種を持ち出したり、現在自分が持っているものを改めて眺めて味わって、気持ちを何とか上向きにしようとします。
あれより怖いことはないから大丈夫、とか
あの時は私は勝ったじゃないか、とか
職業やキャリアや資格やお金や才能や容貌や知識や教養や家・車・服飾品といった持ち物など客観的に分かりやすい要素とか
自分が自分に向き合い続けてきたこと、自分が人に与えてきた愛情、といった内面的要素とか
家族や友人や仲間やペットといった自分の味方になってくれる存在、とか。
そして、勇気をもって問題のものごとにあたり、
それから、腹を括ります。
もう今できることは全てやった、自分に決められることはもう何もない、と。
ちなみに、私の場合、逆説的ですが、
自分が孤独だから、1人だからこそ、大丈夫、と思っている節がありました。
もちろん、ものごとに向かっている最中は、なんで私はこんなに1人なのよ、誰か助けて、と依存心が出てくるのですが、最終的には、自分1人だから大丈夫、と思っていました。
逆に言うと、人を背負うだけの勇気や力がない、と思っていたのです。
たぶん、「背負う」ということを重く捉え過ぎて、人の力を信頼していなかったのですよね。だから、こんなに重いことは無理です、となる。
本当は、みんな1人1人が、自分の人生を生きる力があるのにね。うーん、勘違い。(マンダムのCM風に)
またまた話が逸れましたが(笑)、
こうした「自分が持っているもの、あることに着目して自信をつけ、勇気を出す」というやり方も良いのですが、問題が思ったとおりに解決しなかった場合に、ともすると、「自分には何が不足していたのか」という反省が始まって、過剰に自分を責めてしまうことになりがちなんですよね。
そして、自分に足りないと思っているものを付けたそうとして、本来の自分と違う、自分がやりたいとか好きではない方向に行ってしまう。
自分以外の誰かになろうとして、他人軸な行動になってしまう。
それも、自分の幅を広げる、実力をつけるという意味では決して悪くないプロセスだと私は思っていますが(例えば、やりたくなくても勉強を一所懸命すればそれだけ知見や時には教養が身につくも多いし、やりたくない仕事も経験しておくと仕事全般に役に立つやり方考え方や人との接し方が身に着くし、異性にモテる外見やしぐさを身につけるのも悪くない(笑))、人間って正直にできていて、自分の本心に従っていないと、だんだんと苦しくなってきます。
このため、ある一定以上自分に足りないものを付け足していったら、本来の素の自分で勝負する、つまり、
私は私であるから私を愛する、
と、自分の存在だけで自己承認をする、そして未知の領域に一歩踏み出す、という段階がやってきます。
これが難しいんですよねえ。別に今持っているものを捨てなくてもいいし、そもそも経験を捨てることなんてできないので今あるものには感謝をすればよいのですが。
何もなくても、自分には価値がある。と認めること。
例えば、私だったら、「私は弁護士だ、価値がある → 弁護士という肩書を取ったら私には価値がない」という観念(思い込み)が知らず知らずのうちにできあがっているわけです。
弁護士であることは、私が生きてきた上で、とても支えになってくれました。
おこがましいようですが、頭が良いこと、社会の様々な仕組みやあらゆる層の人々に出逢ってきた経験があること、負の感情蠢く修羅場(笑)をくぐってきていること、根性があること、努力したこと、等を、人に一所懸命説明しなくても分かってもらえますし、時に実際の私以上に、お金持ちだとか、強いとか、権威があるとか捉えてくれて、そのことによるマイナスもありますがプラスの側面もとても多くあります。
安定性はあまりありませんが、会社員時代の収入(まあ20代だったのでたかが知れてますが)より収入が増え、かつ、自由な時間は格段に増えました。
それでも、いや、弁護士という職業に価値を見出せば見出すほど、心の奥底の「弁護士という肩書を取ったら私には価値がない」という観念が強化されてしまったようです。あくまで、私の場合ですが。
そこは、他の「ない」点、つまり、私の場合であれば、家族がいないとか、パートナーがいないとか、みんなが思うほど稼いでいないとか、そういうところに自信のなさがあって、「弁護士という肩書を取ったら私には価値がない」という観念と、ある意味仲良く(笑)くっついてしまっていたのかもしれません。
これって、「ない」を理由に、自分には価値がない、と自分で自分を責めているんですよね。
誰もそんなこと言っていないのに。ていうか、もしも人にそんなことを言われたら、私はブチ切れてその人とは縁を切るくらいの勢いで自分が大切なのに(笑)
一方で、私が、私を責めている。
だけど、私が私を愛するのに、理由なんていらないのです。
みんな、全員がそうです。自分が自分を愛するのに理由はいらない。
パートナーがいようがいなかろうが(そりゃあ欲しいけど笑)、結婚していようがいなかろうが、結婚してても子どもがいなかろうが、
定職についていようがいまいが、やりたいことがあろうがなかろうが、お金があろうがなかろうが、ネット社会について行っていようがいまいが、
容姿がどうであろうが、性格がどうであろうが。
★このあたり、スズキチサちゃんの最近の記事がすてき。
自分が自分を愛するのに理由はいらない。
で、ここで終わっても良いのですが。さらに補足をしたく。
「自分にあるもので自信をつける」から、「何もない自分でもOK」というプロセスを辿るにあたり、こうしたパワーワード的なスローガン(自分が自分を愛するのに理由はいらない。)を使うのも、もちろんとっても良いことだし、現に今、私はこの言葉で自分自身を鼓舞し、読者の皆さまにもエールを送っているのですが。
「ない自分へのダメ出し」をした気持ちを、完全に無くさなくても良いと思うのですね。
なぜなら、そこには、裏を返せば、その人の望みがあるから。
いいですかー。上の方で、私が何と書いたか、思い出して下さい(笑)
パートナーがいようがいなかろうが(そりゃあ欲しいけど笑)、結婚していようがいなかろうが、結婚してても子どもがいなかろうが、
え?分からない?太字にしますよ。フォントも大きくしちゃおうっと。色もつけるか。
パートナーがいようがいなかろうが(そりゃあ欲しいけど笑)、結婚していようがいなかろうが、結婚してても子どもがいなかろうが、
これね!
つまり、「パートナーがいない私はダメ」とダメ出しをする必要はもちろんないけど、ダメ出ししたくなっちゃうくらいパートナーを望んでいる私がいる、ということです。
何度も何度も失敗して、お付き合いにすら至らないこともあれば、お付き合いしても数年経ってダメになったり、私は1人の男性から愛される価値がないのかしら、しくしく、なんて思ったこともありますが。もとい、今でも思う時はありますが。
そんな私もかわいいじゃない、と愛してあげればいいのです。
そんなに苦労しているのにそれでも欲しているということはパートナーシップの才能があるってことだし、
そもそもそれだけ人を愛することができたし、そのうち何人かは相思相愛になったわけだし。
たぶんですね。
こう考えると、ダメ出しをした自分のことを「間違ったことをした」と斬り捨てなくてすむんですよね。ダメ出しをした自分を更にダメ出ししなくてすむ、という。理解して頂けますでしょうか。
どんな自分も認めて受け容れる、自己受容。これができると、自分の中のリトル自分がホッとしますよね。
これぞ、自分を愛するのに理由はいらない。だと思うのです。
と、いうわけで。察しの良い皆さま方はお分かりのことと思いますが。
1月29日の土曜日、マミコちゃんとのオンラインイベント『なんでこの私に彼氏ができないのかしら?』に、集いませんか?
残1席となっております。
お会いできることを、楽しみにしております。
★こんなことをします
・事前課題があります。(①この私の魅力、 ②見る目のなかった男を成仏させようか、 ③私に相応しい理想のパートナー、 ④私が譲れないもの)
・当日は、「運命の出逢いは何度あってもいい」というお話のほか、主に事前課題のシェアをします。ご自分の魅力をたっぷり自慢して下さい!主催2人もシェアします♪
・①~④をシェアしたのち、自分でも気づいていない魅力をお互いに教え合い、予祝する(理想のパートナーとラブラブな様子をイメージしてニヤニヤ)。
★こんな方に
○自己肯定感が上がってきたけど恋愛はごぶさた
○外見も中身も自分なりに磨いていて今の自分が好き
○恋愛はないけれど概ね毎日楽しい
○理想は高いけど仕方ないよね、だって私だし。と思っている
○男の人からチヤホヤされるのは得意
○おじさんキラーである
○年下もいい
○同年代もいい
○とはいえ、結構小心者
○案外モジモジーヌだよね
○最近ナンパされた
○過去の恋愛・結婚の傷はまだあるかもしれないなあ
○実は自信があるところを謙遜しないでぶっちゃけトークしたい
○笑いながら自己肯定感を更に高めたい
○マミコちゃんや小川正美と話したい方
○動物好きな方(犬や猫が画面に登場するかもしれません)
★開催要領
・日時 2022年1月29日(土)13:00~15:30
・場所 各自のパソコン・スマホの前 (zoomを使用します)
・参加費 5500円(消費税込み)
・定員 4名様(残席1名)
★お申込みは
下記サイトから!