牡牛座新月。革命の星天王星、深い潜在意識の星海王星と関わりあう配置。
今朝瞑想をしていて、なぜか母を連れてバージンロードを歩いて父に渡すイメージが湧いて、
今回母の産道を通って地球に来たときのワクワクと喜びと歓迎されていたことを思い出した✨🌈💫#朝のひとこと#朝瞑想— 小川 正美/たまに戦う弁護士・心理カウンセラー (@MasamiOgawa_LLL) May 12, 2021
皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
5月12日は、牡牛座の新月でした。この日も朝瞑想をしていたのですが、その中で上記のイメージが湧いてきました。
ちなみに、前日の5月11日にもでっかい気づきが降りてきました。この時期の星の配置の影響もあったのか、個人的に気づきブームが来ております。
なぜ、朝の瞑想で亡くなった両親の結婚式のイメージと、その続きとしての自分の出生イメージが出てきたのか。
この記事から読まれた方にはよくわからないかと思いますので、お話します。既に私のブログをご愛読して下さっている方にとっては、繰り返しになりますが、少しお付き合い下さいませ。
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私は、10歳の時に父が突然死し、31歳で離婚した後、34歳のロースクール在学中に母が病気で亡くなりました(簡単な自己紹介はこちら。詳細な私の半生については末尾にリンクを記載しています)。
父の突然死によって一夜にして世界が暗転し、専業主婦だった母は仕事を始め、自宅も東京から横浜に転居することになりました。
母は、仕事を始めた当初3年ほどは、胃潰瘍で入院したり、夜中にすすり泣いたり、当時同居していた伯母との関係が悪化したり等、ストレスに苛まれていました。当然のことです。
ただ、母は、持ち前の前向きさや努力家なところや、頭の回転が速くて事務仕事が得意なだけでなく仕事全体の流れや会社における意味・価値を管理職(時には経営者)並みに俯瞰して見ることができることから、父の死から5年が経過したころには、教育や新たなシステム開発をしたり同僚たちとも仲良く飲みに行くなど、仕事の成果が上がり始め、楽しく意欲をもって生きるようになりました。
母自身も10歳のころに父親を亡くし経済的に苦労して育ったためか、同じ苦労を私たち姉弟にさせたくないと思ったのでしょう、母は、非常に子煩悩で私と弟を溺愛していました。それは、私が結婚した後も続きました。とはいえ、過干渉ではなかったし、頻繁に連絡を取ってきたりすることもありませんでした。
離婚して実家に戻った私を暖かく受け容れてくれました。
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私は、父が亡くなったことに対して、ずっと父を、いえ、もしかしたら神様を、恨んでいました。
母の大変な様子を間近で見ていたこともありますし、私自身、父が亡くなったために転校をして、転校先の学校で馴染めず、小中高と通じて「父が亡くなっていること」が何か恥ずかしいような、疎外感を感じたくなくて言ってはいけないのことのような気がして、友人の誰にも言えなかったからです。
前述のように母が元気になってからは、母も私も弟も、「3人家族」で結束し、概ね楽しく明るい家庭を築き、父のことをネガティブにはもちろん思ってはいなかったものの、法事やお彼岸を除いては、父の存在を思い出すことはほとんどなくなりました。
また、父が突然死してしまったのは、私が前々日に父に無理をさせたからではないか、と長らく自分を責めてもいました。
後になって(それこそ40代になって)からやっと気が付きましたが、父を恨んでいた、怒っていた、又は罪悪感を持っていた、ということは、それだけ私が父のことを深く深く愛していたからなのです。
父の存在を顕在意識から消していたのは、思い出してしまったら、側にいないことが悲し過ぎるから、喪失感が大き過ぎるから、忘れたことにしていたのです。
そして、私は、父に対しては子ども時代の愛情を抱いたまま、心の成長の時計を止めてしまったので、「甘えたい」「愛されたい」という子どものような依存心を残した状態で大人になっていたんですね。
それが恋愛や結婚にも影響し、パートナーに対して甘えがありましたし(誰もがあるものですが私の場合結構拗らせていた)、「男の人は私の前からいなくなる」という観念(思い込み)を実現するような自爆的破壊行動をしましたし、父への感情(怒りも喪失感も罪悪感も愛情も)を抑圧していた時代には、年上の男性は恋愛対象になりませんでしたし、父への感情に気が付いてからは、父親を投影して、年上の男性と恋に落ち、助けたい症候群にハマりました。
そう、タイトルのとおり、私は、父に対して、喪失感と甘えたい気持ち(依存心)を持っていたのです。
★ちなみに、親と早くに別れた元子ども達の皆さんには、このイメージワークがオススメです。
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一方、母に対しては、私は、罪悪感をとてもたくさん抱えていました。
父に私が愛されていたこと、
父の死後もロクに家事を手伝わず、ちっとも良い子じゃなかったこと(母は小学生の時から家族の夕飯を作っていたそうです)、
離婚して出戻り、なおかつ、直ぐに就職せずになれるかどうかわからない弁護士になるためロースクールに進学し、経済的負担をかけたこと(母は大賛成だったのですが)、
晩年の母が、会社の仕事をしない同僚について、毎日毎日愚痴を言うのを、聞きたくない、と跳ねのけたこと(聞かないという選択は私のためには良かったけれど罪悪感を持つ必要はなかった)、
母が長年勤めた会社を退職するにあたり会社とトラブルになった時、私は法律を少し勉強している本物の無職(ロースクール生ですらなかった)で、母を助けられなかったこと、
母が老後の不安を抱き出したことを薄々感じつつも、心の底では司法試験に合格したら早く実家を出たいと願っていたこと(これも心理的には親からの自立なので間違っていないのですが)、
私が弁護士になる前に母は亡くなり、つまりは親孝行ができなかったこと。
罪悪感が大きいということは、それほど母を愛したかった、助けたかったからだ、と頭では分かってはいて、心でも腑に落としてきたものの、ゼロになることはありません。
また、喪失感も非常に大きくありました。
母は1年弱の闘病生活を経て亡くなったため、私は、父の時のように突然心に大きなミサイルで穴を空けられたような喪失感は感じませんでしたが、父の約3倍もの長い時間を一緒に過ごし、思春期から大人時代のコミュニケーションも多く心の距離もとても近かったので(親離れすることが親不孝だと思ってしまうくらいに)、最高の唯一無二の味方を失ってしまった喪失感は、とても大きいものでした。
こんなに大人になっても、母が恋しいと嘆くくらいに。
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少し、と言いつつ、すっかり長くなりましたが、こうした両親への思いがある状態でしたので、私は、父と母のことを思い出さない日は、今でもほとんどありません。毎日、思い出します。
それが、悲しい・寂しい思いの時もあれば、もちろん、母だったらどう言うかな、父はあの時どんな気持ちだったんだろう、という推測や、両親から愛されていたなあ、と思う時もあります。
セミナーや書籍を通じて学んだりワークをしたり、カウンセリングを受けたりしてかなりの部分を癒してはきました。
ただ、喪失感、甘えたい依存心、罪悪感は、未だ根強く残っていました。
ところが、先日の瞑想の際に、ふと心に降りてきたイメージの後、私の中で、若い父と母が私を置いて2人でイチャイチャし出し(笑)、私はポカーンとしている、でも何だかホッとしている、という状態なのです。
「え、良かったね」的な。
そして、なぜだか、あれから、私の心は晴れ晴れとしていて、両親との心の距離は少し遠くなった。
けれど、寂しくはない。
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緑の多い高原の中の教会。
讃美歌が流れる中、私は、ブライズメイドとして、ウェディングドレス姿の若い母の手を引いて、赤いヴァージンロードを歩く。
緊張した面持ちのタキシード姿の父が、ヴァージンロードの半ばにいる。
私は、美しい白いレースの手袋をした母の手を取り、父の腕にその手を絡ませる。
2人は、並んで、神父さん(牧師さんかも?)の前に進む。
誓いの言葉。指輪の交換とキス。
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場面は変わって、私は、母の胎内にいる。
暖かく守られた羊水からいよいよ出る時がやってきた。
産道を通り、キラキラと光る眩い世界へ。
私は、どんな体験をするために生まれてきたのだろう。
どんな風に人を愛し、愛されるために生まれてきたのだろう。
目の前の両親は、涙を流して喜んでいる。
私が、私が生まれたことを。私の命を。
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親御さんへの喪失感や依存心や罪悪感が手放せないあなた。
もしよろしければ、イメージしてみて下さいね。
あなたという命は、喜びとして生まれてきた。
もしも親御さんが望んでいなかったとしても、誰かが必ず喜びとしていた。
だから、あなたは、人を愛することができる。
そのことを、思い出して下さい。