皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
今日の朝瞑想の後、突然、母について気づきが降ってきました。
幼少期から長年持っていた「何で私ばっかり(我慢するの/損するの)」という思いと、これが転じての「私は助けて貰えない」という思い込み。
私は長女で、母は長女役を引き受けた二女だった。弟が生まれた後は「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」と頻繁に言われた。
しかし根が我儘な私は「何で私ばっかり!」と反発した。すると母は「そんなこと言うな!」と強権発動。
母自身が抑圧した叫びを私を通じて聞き更に抑圧していたと思うと切ない— 小川 正美/たまに戦う弁護士・心理カウンセラー (@MasamiOgawa_LLL) October 4, 2021
けど、当然ながら子どもの私は母の理不尽な対応に傷ついた。だから私は母に何で私ばっかりと責め続けた。母の傷を抉っている自覚はあった。
それでも母は湯を沸かすほどの熱い愛で私を愛してくれていたし、私も罪悪感を抱えることで母を愛していたなと思う。
誰も悪くない。
罪悪感とはもうサヨナラ。 https://t.co/hQBJG5ccRN— 小川 正美/たまに戦う弁護士・心理カウンセラー (@MasamiOgawa_LLL) October 5, 2021
母からお姉ちゃんなんだから我慢せよと言われたことで、長らく「私は助けて貰えない存在」という誤解をしていた。大人になってから母にめちゃめちゃ助けて貰ったけど心が納得しなかった。
でもあの時もし幼い私が助けを必要としたら母は何を措いても私を助けたはずだと気づいた。
私、拗ねてたわあ。— 小川 正美/たまに戦う弁護士・心理カウンセラー (@MasamiOgawa_LLL) October 5, 2021
Twitterに連投してしまいました。
・ホントは母も私も誰も悪くなかった。
・「私は助けて貰えない」という思い込みは、文字通り思い込みに過ぎない。
と「頭では」理解している。特に後者については、現実に私は色々な人から助けられてきたし、助けられている。
にもかかわらず、スッキリしない。
心理学を知識として学び、自分の心にたくさん向き合う実践を重ねていると、理屈や経過プロセスと結論は分かっているけれど、心が着いていかない、腑に落ちない、ということが頻繁に起こります。
思考と感情が矛盾している、すなわち葛藤しているので、モヤモヤとします。加えて、「ああ、なんでこんなに向き合っているのに母を許せないんだろう」と自分で自分にダメ出しするネタにしてしまったりもします。
でも、突然、パズルのピースが組み合わさったように、「あ!そういうことか!そうだったんだ!」とストンと腑に落ちて、傷ついた心が温かい気持ちで充たされ、癒されます。
で、この突然腑に落ちた現象を、皆さまにもご自身で使って頂けるようにできる限り一般化したいと思い、私なりに、分解し整理し分析してみました。
わたくし、最近、女性性優位期がやってきていて、漢字がたくさんある文章を見ると目がチカチカしてしまうので、きちんと理論立てて説明できるか分かりませんが、トライしてみます。あ、仕事は何とかこなしています・・・這う這うの体で(笑)
今回、2つのことが起こりました。
(1)母が取った理不尽な言動(お姉ちゃんなんだから我慢しなさい)について、正しさでやり返して(何で私ばっかり)、母を傷つけた罪悪感を手放して、母も自分も許した。
(2)母から我慢しなさいと言われたことで生じた「私は誰にも助けて貰えない」という思い込みを、頭だけでなく、心から理解し腑に落とし、不安や拗ねた気持ちを手放して、安心感を得た。
(1)においては、
①母に対する怒りの感情、そして怒りを爆発させ、正しさ(確かに上の子ばかりが我慢するのは理不尽ではあるけれども)を使って母を傷つけ続けた罪悪感を認めました(感情の解放)。
②母自身が二女であるけれど実質的に長女役をしてきたことを、私は大人になるにつれて知り、母の「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」は、母が、私を通じて、母の姉(私の伯母)に対して言っていたことでもあり、また、母自身に対してかつて言っていた(私が我慢しなきゃ)ことでもあったのだろう、しかも母は自分の娘に言うことで大人になってもなお自分自身にも「我慢しろ」と抑圧をしていたのだ、と理解し、その切なさに共感した(感情的理解)。
③私は母に「何で私ばっかり我慢しなきゃならないの!」と責め続けたことについて母の傷を抉っている自覚があり、罪悪感を持っていた。 それでも、母は、私が大人になってからは、出戻り三十路娘を温かく迎え再び学生に戻らせてくれるという、湯を沸かすほどの熱い愛(そんなタイトルの映画あったよね)で私を愛してくれていた(感謝)。
④私も、実は、こんなにも長く罪悪感を抱えるほど、母を愛していた。いや知ってたけど(笑)(自分の愛に気づく、自分の愛の価値を受け取る)。
という流れで、自分も母も誰も悪くなかった、と許すことができました。
たぶん、母の母(祖母)もきっと、家族のために我慢の人生だったのでしょう。
(2)については、上にも述べたように、客観的な事実からは「私は助けて貰えてきたし助けて貰っている」し、それも頭で理解しているにもかかわらず、なぜか「私は誰にも助けて貰えない」という思い込みとそこから生まれるおそれや不安の感情が長年消えませんでした。
父の突然死やその後の人生での躓きや母の死が影響していたのかもしれず、数々の過去に何度も向き合ってきましたが、それでも「助けて貰えない」という思い込み=誤解は消えませんでした。
しかし、今日、なぜ誤解が消えなかったのかが分かりました。
時制が違う、すなわち、傷ついた子どもの頃の感情は、その後の思春期や大人になってから助けられた体験では癒されていなかったのです。
母に「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」と言われ続けていた3歳から小学校低学年のころ。
母と手をつなぎたくて手を伸ばしても、それは叶いませんでした。
手を払いのけられてはいなかったと思うけれど、母の手は2本しかなく、それは弟のためのものでした。私は、不本意ながら(笑)父と手を繋ぎました(父よごめん)。
「私は、母から助けて貰えない」が転じて、「私は、誰にも助けて貰えない」という思いに変わり、子どもだった私の心は傷を抱えた。
この傷ついたチビッ子の私はとても頑固で、その後、大人になった母が(たぶん子育てを振り返って反省して)いくら私を甘やかし助けても、「それはそれ。この小さい私はまだ母に助けて貰っていない。」と、頑なに考えを変えず、大人になってからの母の愛情を拒んでいた。
でも、(1)で自分も母も許したことで、心が緩んでいたのかもしれません。
今の私が、チビッ子の私に、「いやいや、でもさ、もしあの時、あのチビッ子の私が何かピンチになっていたら、母は何を措いても私を真っ先に助けたでしょ?そういう人でしょ?」と反論し説得を始めたのです。
「確かに。。。」と納得するチビッ子。
「なあんだ、私はいつも助けて貰ってきたんだ。」
そう、いつも守られてきたのです。
これは、個人的にはものすごくホッとする気づきでした。心の穴がまた一つ埋まったような。
頭では分かっているのに心が着いていかないモヤモヤも解消することができてスッキリもしました。
もし、客観的な事実や理屈では愛されていることが理解できるのに、心のどこかが寂しかったり不安だったりする方がおられましたら、「いつの時点の自分が寂しがったり不安がったりしているのか」を見てみると、ヒントがあるかもしれません。
ではまた!
★母についてシリーズ