皆さま、愛し合っていますか?
こちらの記事の続きです。
前回は、概略、
・モラハラのご相談が増えている。しかも、夫婦に限らず。
・法的解決もあるが私としては心理的解決(というか自分を愛する)を並行して行うことがクライアントさんの幸せに繋がると思う。
・とはいえ、ぶった切りたい/ぶった切らないとクライアントさんが保たないこともあるので、そこはクライアントさんの選択による。
という内容でした。
で、今回は、私の体験に基づくモラハラ考です。
私は、以前はモラハラを受ける体質ではなかったのですが(私にモラハラするとかいい度胸してんな!というオーラを漂わせていたのかも笑)、様々な経験を経て「大人なんだからもっと包容力を持たなきゃ~」と思ったのか、40歳を過ぎたころから、モラハラを受けやすくなりました。
典型的には、弁護士業務の相手方。まさに敵です。懲戒請求されたり、嫌がらせされたり。
仕事以外でも、彼氏や友人からキレられる(男女問わず)、女性上司や女性の習い事の先生がなぜか私に風当たりがきつい、等の問題がちょくちょく起こるようになりました。
当然、嫌がらせをされたり暴言を吐かれるのはイヤなので、
さんざん、散々、「私のどこが悪いの・・・・??モラハラ引き寄せスイッチがonになっているの?」などと悩んだ挙句、
相手の言動を「正しさ」で裁いて、同業者や友人の力も借りながら、
「あの人は私のファンの方」「キレる相手の問題」「嫉妬してるのね」「なんでそんなこと言われなきゃならないんだよ!・・・逃げよ」「めんどくさいからここはお金で解決しよ」等々の対処をしてまいりました。
これらの裁き(ジャッジ)のどれも、間違ってはいないし、その時の私の精一杯、ベストを尽くしたのでした。
ただ、心理学を学び、「攻撃は助けを求める声」という考え方があることを知ってはいたのです。
攻撃的な態度の裏には、自信のなさ、罪悪感等があり、実はその声は「助けて欲しい」「愛して欲しい」「理解して欲しい」という叫びなのだ、ということです。
でも、攻撃されたら痛いじゃないですか。当たり前やけど。特に頭のいい人とか、人のつつかれたくない痛いところを突いてくるのが上手かったりするじゃないですか。付き合ってて上手くいってたのに「そんなに好きじゃない」とか人と比べられたりしたら、年齢を重ねて自信を失くしていた乙女?心はいたく傷つくじゃないですか。ねえ。
あ、いや、今は、私はフランス方式を採用しているので、女性とワインは古ければ古い方がいい、と思っていますけれど。
古傷が疼いたのか、話がとっちらかりましたが(笑)、つまり、理想論としての「『攻撃は助けを求める声』だからそんな相手を愛そう。女神性を発揮しよう。被害者を手放して無害者になろう。」は、現実的には、自分の自信とそこから生まれる余裕がなければ難しい、ということです。
モラハラに悩む度、試行錯誤したり、私なりに考えたり、もちろん色んな見解を調べてみたりしました。モラハラ研究家と言っても過言ではないかもしれません。
そこで得た、今の私なりの結論としては、次のとおりです。
・モラハラは、確かに助けを求める声である。つまり、モラハラをする人は、実は自信がなく、強がりと優位に立ちたいマウントの意味で、モラハラをする。
・他方、モラハラをされる人も、自信がない。自己価値が低いので潜在的又は顕在的に自分はモラハラに値する存在だと思っているのでモラハラを受け容れてしまう。しかし、実は、心のどこかでモラハラをする人間のことを子どもっぽいと馬鹿にしていたり上から見て密かにマウントを取っている。
・モラハラの構造は、自信のない人同士のマウント合戦である。
・これに対処するには、相手を変えることはできないので、まず自分が真の自信をつけることが必要。
モラハラは、表面的な現象をとらえるとまさに被害者と加害者の構造になります。
しかし、「人生において起きることは必然であり、実は自分が選択している」ということ(アカウンタビリティ)に自覚的な生き方を志すと、被害者の立場であることのメリットがあることが分かってきます。例えば、可愛そうな自分でいれば同情してもらえる、守ってもらえる、加害者を「お前が悪い」と裁いて攻撃できる(つまり、この意味においては自分が被害者ではなく加害者となるのです)、等々。。。
そして、被害者と加害者でいるうちは、自分自身が幸せな気持ちを抱くことはできません。相手方から慰謝料を取ろうが、無理矢理謝罪させようが、「今度は自分が加害者になった」バツの悪さを感じながら、或いは潜在意識に抑圧しながら生きていくことになります。
敵対者として出逢った人ならばまだしも、親しい間柄であれば、余計にどこかに重苦しさを抱え続けることになります。
もちろん、人のご縁として、「お互いを成長させるために出逢う」というものもありますから、相手を完全に許す必要もないのですが(というか、それができたら菩薩か?マザーテレサか?の世界ですよね)、ただ学ばせてくれたことに感謝する、というスタンスまでいければ、かなり楽になります。
・モラハラの構造は、自信のない人同士のマウント合戦である。
ここについて、少し掘り下げたいと思います。敵対者とそうではない場合に分けます。
敵対者の場合、私の経験で言うと、もともと持っている相手方の自信のなさ(例えば社会人としての自信のなさ)と強がり(俺は男だぞ!みたいなもの)の部分が、私の弁護士としての自信のなさ(女性だから若手だから強く言われる、舐められる等)と強がり(自信がないゆえにせめて書面ではと思って手加減のない厳しい書面を書く)とマウント(弁護士というだけで自信のない人にとってはマウント)がお互いに化学反応して、何か噛み合って、相手方のマウント(暴言、嫌がらせ)を引き出していたと思います。
そうではない場合は、相手の自信のなさと強がりは敵対者と同じで(ただし、良好な関係があったぶん、「こんな自分でごめんなさい」という罪悪感、もっと言えば愛情がベース)、私の方は、自分の人や女性としての自信のなさ(自己価値の低さ、無力感、時に罪悪感)と強がり(価値のない私は限界を超えても受容するしかない)とマウント(受容している私は偉い、大人だ)とがやはり噛み合って、相手のマウント(暴言、無視等)を引き出していたと思います。
つまり、原因は、自分にも相手にもある。
でも、悪いのは自分でも相手でもない。ただ、幸せな感情を感じたかったら、自信をつければいい。
・これに対処するには、相手を変えることはできないので、まず自分が真の自信をつけることが必要。
について、詳述します。
じゃあ、真の自信って何なのよ?ということですが、
自分の強さも弱さも受け容れ、自分を愛し、
自分は自分、人は人として上も下もなく認めることができ、
自分の価値同様、相手の価値も認めることができる、
自分と相手の領域を明確に分けているがかといって壁ではなく暖かい愛で繋がっている、
ただし、自分の意見はそれとしてアサーティブにコミュニケーションすることができる、
と言った感じでしょうか。
じゃあ、真の自信をつけるにはどうしたらよいのか?
・自分の価値を正当に見積もり、受け取ること
家族や友人に自分の良いところを効く(関係性によっては逆に傷つくこともあるのでお相手選びは慎重に。カウンセラーに聞くのも良いと思います)、自分の長所を100個くらいひねり出して並べる、過去に自分が頑張ってきたこと、今頑張っていることを評価せず、他人を励ますようにして認める。
自分がダメだと思うこと、自分の嫌いなところ、あーまたダメ出しした!と自分ツッコミする自分、やたらと厳しい自分、それらも「これが今の私だもん」と認める。
自分を俯瞰して、
今に意識を向け、自分が今感じていることを意識して暮らす。今やりたいことを小さなこと(何が食べたい等)でもいいのでやり、やりたくないことはできることから止め(行きたくないお誘いを断る等)、身体を労わる、優しく扱ってあげる、無理をしたら自分にご褒美をあげる等。
誰か(親、家族、恋人、友人、先生、仲間、職場の人等)から愛されていたこと、大切にされていることを受け取り、感謝する。小さなことでも。
そうしたことをしているうち、
自分がこの世に1人しかいないかけがえのない生命であることを実感します。
・怒り、いざという時には離れる勇気を持つ
自分を愛すると、大切な自分を可哀そうな目に遭わせるなんてイヤ!と、もう1人の自分が思うようになります。
相手に対する怒りを許可することができます。怒りを抑えていると、潜在意識では怒っているのに表現したくなくて抑圧しているため、「正しさ」で相手を制圧しようとします。
それは、理論的道徳的社会的な正しさの場合もあるし、「私はあなたの弱さを受け容れているわよ」という一見優しい、けれど自分が上であると暗に主張するマウントであることもあります。
・自分と同様相手も大きな存在であると認めること
そして、自信が育ってくると、
自分が大切で大きな存在であるのと同様、相手も大きな価値ある存在であると認めることができるようになります(投影の法則)。
そうすると、「『私はあなたの弱さを受け容れているわよ』という一見優しい、けれど自分が上であると暗に主張するマウント」、これは相手を子ども扱いしているということですから、それを止め、対等な大人として信頼することができるようになります。
不思議なことに、人は、自分が信頼を寄せていると、良い方に変わることがとても多いです。
(全てではありませんが。その場合、私の信頼が足りないかどこかにコントロールしたいとか下心があるのかな?と私は思っています。)
人を信頼するためには、まず、自分を信頼しなければできません。
自分を信頼するには、真の自信、「私は/俺は何でもできる」「すごいんだ」といった類のものではなく、とことん素直になって「全部ひっくるめてこれが私」という自信を身につける。
自信がつくほどモラハラが減っていくのは本当で、実際、私も、今は仕事関係ではなくなりました。
皆さま。
大変な時代ですが、少し空気感も変わってきました。
自分の内側を見つめる時間を過ごし、世界の見え方が変わった方も多いことだと思います。
1人1人が潜在意識(人の意識の90%以上は潜在意識・無意識領域と言われています)を活用し、私たち本来の大きさで生きることができたら、きっと素敵な世の中になりそうですよね。
ここに書いたことは、決して楽な道のりではありませんが、実は一番近道で、かつ、幸せになれる道だと私は思っています。
ではでは。モラハラにお悩みの皆さまの気持ちが少しでも軽くなりますよう。