昨日の記事で、
ただ、最近、私は、いろいろフリをすると、やっぱり苦しくなってしまうので、
フリをすることは、できるだけ止めようと思う。
と書きました。
で。
わたくし、常々、ツラい時苦しい時って、
心が引き裂かれる、つまり葛藤している時だなあ。と思っていまして。
フリをする、っていうのは、まさに葛藤を生み出す状況なわけです。
例えば、心の奥底では、自分が弱いと思っている。弱くてもいい。とも思っている。
でも、対外的には、強くみせなきゃ、強くなければ価値がない、と思っている。
だから、強がる。
弱くてもいい、と、強くあらねば、の2つが、矛盾して、葛藤するわけです。
これを、弱くても、強くても、OK。とするには、
何かひとつ、かすがいのようなものが必要。
(心理学的には、統合するための要素なのだと思います。)
私は、そのかすがいが、
「それが自分だ」という自分への愛や、
「それほど愛している(いた)」という他者への愛だと思うのです。
自分の中の、愛に気がつくことができたら、ほとんどすべてのことが、統合できる。
そのための方法論は、枚挙に暇がないほどたくさんあるのですが、
先日知ったものを1つ、紹介したいと思います。
①嫌いな人を、思い浮かべます。
②嫌いなままでいいので、その人を思い浮かべながら、「○○さん、ありがとうございます。」と、その人の名前とともに、口に出します。
これだけ。
でもね。
人を嫌いであり続けるというのも意外とエネルギーを必要とするし、
嫌いな人のことは、本当は気になって仕方がない。
どうでも良ければ、エネルギーを消耗しない。
つまり、よく言われるように、嫌いな人=気になる人、であり、
そのエネルギーのかけかたからすると、好きな人、にかなり近いのだと思うのです。
でも、嫌いな人には、それなりのムカつきポイントがあるから、嫌いなのです。
それはそれとして、
そうだとしても。
嫌いだとしても。
せっかくご縁があって出会ったからには、
その人から、何かしら学ぶところがあるのでしょう。必ず。
嫌いであること自体は、そのままに、
学んだことに対しては、ありがとう。とお礼を述べる。
そうすると、
「ありがとう」という感謝の気持ちがかすがいとなって、
その人のことを、嫌いであるが、感謝している。という自分を、認めて受容れることができるのかもしれません。