LOVE LAUGH & LAW
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弁護士・カウンセラー 小川正美のサイト
旅が、好きだ。
時に旅は、不思議な世界を見せてくれる。短時間のうちに、私の内側の世界をぎゅっと濃縮したような世界を、顕在意識では認識できていないあっと驚くような世界を。
その1つ1つを真に伝わるように言語化するならば、こうしたエッセイの形式よりも、おそらく物語形式の方が相応しいのだろうな、と思いつつ。ここでは、エッセイでお届けする。
先日、椿大神社と伊勢神宮を巡る旅をした。
そのことをFacebookにアップしたら、1人の方から戸隠神社をお勧めして頂いた。
そうか、次は戸隠神社に行きたいなあ、と思い、調べてみたところ、今年の5月25日まで、7年に1度の式年大祭があるというではないか。
戸隠神社式年大祭

ホーム | 戸隠神社式年大祭
【 令和2年6月19日 現在 】 先般、「令和3年 戸隠神社式年大祭」は、当初予定どおり「令和3(2021)年4月25日~5月25日」の31日間で執行することが決定しております。 新しい生活様式への対応、また今後の感染症状況により実施内容の変更等が見込まれますが、何卒よろしくお願い申し上げます。. 古来七年ごと神々華やぐ. 戸隠神社式年大祭. 令和3(2021)年4月25日(日)~5月25日(火). 古来より、 丑年と未年の6年(数えで7年)ごとに行われてきた「戸隠神社式年大祭」。宝光社の神様が、御父神である中社の神様のもとに渡御され...
これは行くしかない!と思い立ち、急遽旅に出た。あまりに急過ぎて1人旅である。
電車か車か迷った挙句、機動力を重視して、車を選択。久しぶりの長距離ドライブ、1泊2日である。
昼に東京を出て、夕方には、雨のそぼ降る戸隠神社中社前の宿坊の並ぶ町の宿に到着。蕎麦会席を美味しく頂く。1人なのにワインフルボトル一本、これも美味しく頂く。
翌朝6時半から、中社で式年大祭中の早朝特別朝拝に赴く。大祓詞(おおはらいのことば)を唱和。
繰り返し出てくる「罪在らじ」という言葉に、そうだよねえ、と納得。
早朝特別朝拝を終え、宿で朝食を取り、早めにチェックアウトをして戸隠神社奥
そもそも、戸隠神社は、平安時代から続く神仏習合の地で、修験の場でもあった。
奥社(本宮)、九頭龍社、中社、火之御子社、宝光社の五社からなり、参拝の順序は特に決まりはないとのこと。
私は、美味しいものは先に戴く主義なので、中社の後は奥社へ。中社から2㎞ほど山の上に登ったところに入り口の大鳥居があり、その手前の駐車場に車を停める。

大鳥居からさらに約2㎞歩いた先に、奥社と九頭龍社がある。ほぼ直線の2㎞。
時間が9時過ぎとまだ早いためか、向かう人はほとんどいない。
空は曇天だが、前夜の雨と朝露に濡れた新緑や可憐な高山植物、そして冷涼な美味しい空気のおかげで、明るい爽やかな心地で歩を進める。
ひたすら直線の参道を小石を踏みしめながら歩いていると、話に聞いていた瞑想状態になっていく。
途中から樹齢400年超の杉並木に囲まれるとなおのこと。


出発してからここに至るまでにあった様々なお知らせ的な出来事、シンクロニシティ、天候の変化、今目の前にある景色、1000年を超える昔から修験者が訪れていた「場」のエネルギー、それら茫漠としたものたちが自分の内側で点から線となって繋がっていくような。
或いは、何らかの光となるような。
様々なメッセージを受け取ったのだけれど、重要なのは、これ。
「自分を幸せにしない発想は採用しない。」
「過去の傷の痛みを使って、前に踏み出さない言い訳にしない。」
私たちは、幸せになりたい、幸せでありたい、と常に願いながらも、不安やおそれから、自分を幸せにしない発想を採用してしまうことがある。
典型的なものは、他人の言動に『どうせ私のこと嫌いなんでしょ』と拗ねること。
本当に嫌われているかどうかなんてわからないし、かりに嫌われていたとしても自分が自分を嫌わなければ平気だし、嫌われているということは好きの裏返しでもあるのに、過去に「人に嫌われた」「人から受け容れてもらえなかった」「自分の愛情が通じなかった」といった思いが傷として残っていると、心は、もう2度と傷つきたくないがゆえに、『どうせ私は嫌われる』という「前提」を作り出す。
最初から、嫌われるという最悪の事態を予測して覚悟しておけば、本当に嫌われた時に、「こっちは好きだし好かれていると思ったのに!」と不意打ちを食らうよりも、傷つかなくてすむからだ。
ちなみに、余談だが、各種訴訟法でも「不意打ち禁止」は法の原則として貫かれている。それくらい、不意打ちって人に大きな傷を負わせるものなのだ。
でも、この前提を持っていると、当然のことながら、幸せを感じることは難しい。
そりゃあそうだ、自分が嫌われるって思っているんだから。
それでも、奥底の心(潜在意識)は、「あの痛みに比べれば、多少の不幸、そこそこの幸せの方がマシだ」と思って、不安やおそれを作り出す。自己防衛する。
もちろん、この防衛も、自分の心を守ろうとする愛だ。
しかし、過度に不安やおそれがあると、人は前に進むことができない。不安やおそれを、「やらない言い訳」にしてしまう。
他方で、前に進みたい、成長したい、幸せになりたい、というのも人間の本能的な願いであるから、両者は葛藤を起こす。葛藤は苦しみ、胸の閊えをもたらす。
また、過度に不安やおそれがあると、人は目の前の他人の挙動を曲解する。認知の歪みを生じさせる。『どうせ私は嫌われる』という思いが強すぎると、他者の悪意のない言動を悪意があるかのように誤解する。
いずれにせよ、幸せとは遠い現実を創り出してしまう。
不安やおそれに基づく自分を幸せにしない発想(心理学でいうエゴ)は、心の防衛機能であるから、私を含め、誰もが多かれ少なかれ持っているものだ。
特に、年齢を重ねるごとに、嬉しい経験も傷つく経験も増えていくので、傷つく経験に過敏に反応し過ぎていると、この発想は増えていくばかりだろう。
私は、もう、不安やおそれから、自分を幸せにしないことを止めることにした。
なぜなら、人間は、幸せになるために生まれてきているからだ。

参道の最後の数百メートルは、高尾山や大山を彷彿とさせる結構な登り坂で、スカートにブラウス、ハンドバッグという自分の姿を若干後悔した。靴はスニーカーだったけれども。

奥社に到着し、参拝を終えると、空には晴れ間が覗いた。

すぐ隣の九頭龍社(歴史は奥社よりこちらの方が旧いそう)にもご挨拶して、おみくじを購入。


なんと、山桜も咲いていた。
そして、頭も心もスッキリとした気分で、帰路へ。
山道はいつもそうだけれど、下りの足取りの軽さと言ったら!
頭の中のBGMは、なぜか『威風堂々』である(笑)
時間の経過とともに参拝客も増えてきて、大鳥居の側の茶店で緑の中でソフトクリームを食べたら、すっかり「こちら」に戻った気分になった。
そういえば、戸隠に来る前に行った三重の旅では『みちひらき(道啓)』の神である猿田彦命との縁が深い神社を巡った。瞑想で、産道を通るイメージも沸いた。
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そして、戸隠神社奥社の長い参道。
参道は、産道で、もしかしたら、生まれ変わりが今回の旅のテーマだったのかもしれない。