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皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
今朝は、こんな一言が降りてきました。(そしてインスタでも投稿を始めました。よろしければフォローお願いします!)
昨日の記事に書いた、愛の出し惜しみをしないこと(昨日は書きませんでしたが、愛には、伝えるだけではなくて、見守ることや、そっとしておくことも含みます。)の影響かなあ。
私だけではなくて、みんな、自分が思っている以上にたくさんの愛情エネルギーを持っているんだよ、とお伝えしたいのかもしれません。瞑想中にふと思いついた言葉から「これがいいな」と思うものを選んで呟いているので、どうしてこの言葉なのか、実は私も上手く説明できないのです。
ただ、日々呟いているうちに、「まさに今の自分にぴったりの一言だった!」とか「いつも励まされています」とか言って下さる方たちが増えてきました。自分の一言でフッと元気になったり勇気が湧いたり優しい気持ちになったり落ち着いたりしてくれる人たちがいるって、とっても嬉しくて、私もめちゃくちゃ元気をもらっているのです。あ、元気もエネルギーですね。これこそまさに愛のエネルギーの循環ですね。うふ。
今の私の波長とシンクロしている皆さま。いつもありがとうございます!love!
前置きが長くなりましたが、今日の
「小さく纏まらないで、本来の大きさを出していこう。」
は、もしかしたら、読む方によっては、野心的に感じるかもしれないな、と思いました。
私自身は、野心を抑圧していてその実隠し持っているタイプなので(野心家な側面もあるんだけど(そうじゃなかったら司法試験なんて受けないよね)、それ以上に自分に対する自信のなさとか前に出るおそれとかが大きい)、このブログでも野心について語ったことはほとんどありません。
念のため自分でブログ検索をしてみましたが、やはり野心の記事は出てきませんでした(笑)
ただ、野心って、その言葉からは、過度な上昇志向、競争心、人を押しのけてでも上昇したい、猜疑心が強そう、実は孤独、実は弱さを隠し持っている、といったマイナスイメージが強いのですが、その感情があること自体は否定しなくてもいいんですよね。だって、あるんだから。
野心が自分の内にあることを認めたうえで大切なのは、①なぜその野心を持つに至っているのか、②野心のエネルギーを何のために使うか(上昇して何がしたいんじゃ)、だと思うのです。この2点について、今日はお話したいと思います。
①なぜ野心を持つに至っているのか
自分で言うのもなんですが、私は、上の人から可愛がられるか疎まれるかの差が激しく、でもホントに上のとか大物の人には可愛がられる方です。例えるなら、中間管理職的な立場の人には疎まれたりしていました。
私は、誰からも好かれたい症候群に長らく罹っていましたので、なぜ疎まれるのかの自己分析はイヤっていうほどしました。ついでに言うと、モラハラ的な対応をされる件についてもイヤっていうほど自己分析したので、いつかこの研究結果を2本立てで世に出したいと思っています(笑)いや、笑ってるけどまあまあマジで。
話が逸れましたが、その上の人から疎まれる理由分析の中で思い至った理由の一つが、私が隠し持っている野心が伝わっている、だったんですね。
じゃあ、なぜ私は野心を持っているんだろう?
人に勝たないと生き残っていけないと思うような経験があったから?・・・いや、そんなことはない。むしろ勝ったらマズいなと思う経験の方が多いかも。
見返したい誰かがいる?・・・うーん、それはあったかもしれないなあ。特に自分が傷ついたことについて「傷つけられた」と誤解していた頃は。
助けたい誰かがいる?或いは、助けらなかった誰かのために力を得たい?・・・これはある。長らく、亡き母を助けられなかったことについて思っていた。
・・・と、昔からつらつらと考えていたのですが、結局、根源的なところでは、
「自分の器がもっともっと大きいことを潜在的に知っているから」だと思うのです。
だから、本来の自分の身の丈に合うサイズの場所に行きたいし、そういうことをしたい。
要するに、本当の自分で生きていきたい、ということ。
それゆえ、
「小さく纏まらないで、本来の大きさを出していこう。」
という野心が出てきた。
②野心のエネルギーを何のために使うか(上昇して何がしたいんじゃ)
では、その野心で何がしたいんじゃ。というお話です。藤井風くん風に(笑)
これからの時代、おそらくピラミッド型のヒエラルキー構造はどんどん崩れていって、個々人の影響力がもっと大きくなり(全員が発信者で表現者になる)、人々はもっとフラットに関わり合う社会になっていくと思われます。というか、なりつつあると思います。
そんななか、野心っていうと少し前時代的な、昭和の香り的な、「てっぺん取ったるどー」みたいなイメージがありますが、私の野心は、むしろ、みんながもっと自分の大きさを自覚して、これまでの非合理な常識を違う観点から覆したり、「それいいね!」ということに色んな才能がサーッと集まってびっくりするほどあっという間に実現したり、といった、「それが当たり前」とか「当たり前だから諦めなきゃ」という観念や常識を疑う、枠組みの外に軽やかに出ていく人が増えることです。
微力ではありますが、私の発信も、その一助になればいいなあと思っています。まあ、もちろん自分が書きたいから書いてるんですが!
そして、冒頭でも述べたように、人間の愛のエネルギーって、本来ものすごく大きいんですよね。出し惜しみはすぐにでもやめたほうがいい。
みんな、もっともっと、子どもの頃、若い頃はワクワクしていたはず。
社会情勢的に旅行とくに海外旅行は難しい状況ですが、心の旅なら、どんなにステイホームしていてもいつでも可能です。
まずは、不自由さやしんどさ、ツラさを感じたら、今の自分の常識を疑ってみる。
自分に制限を書けている思い込み・観念に気が付く。
気が付くこと、そこが第一歩です。人はもっと自由になることができる。きっと。
というわけで、野心についてでした。
何のために野心を使うか、それが自分が心の底から曇りなく心地好いことで、本来の自分に戻るためであれば、you、どんどん大きさを出しちゃいなよ、って感じです。