皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
たまに戦う弁護士&心理カウンセラーの小川正美です。
今日は、古代文字のお稽古でした。
書いた書は、『立春大吉』。縁起が良い文字でしょう?
個人的に、今年の立春以降は、本当に流れが変わったように体感しています。外側の出来事もそうですし、私自身の内側についても。
周囲を見渡しても、流れが変わったと感じている人が多い気がしています。
ところで、今朝、いつもの朝瞑想中に、ふと気が付いたのです。
タイトルどおり、どうやら私は、母のコンプレックスを癒していたらしい、ということに。
親が子どもに自分の成し得なかったことをして幸せになって欲しい、と期待をかけるのは、おそらくいつの世もそうなのだろうと思います。
うちの母もそうで、自分が大学に進学できなかったぶん、私と弟には大学進学の選択肢を絶対に奪いたくないと思っていました。これは、母自身が私と弟に明言していたので理解していました。
今日思いついたのは、子どもに自分が成し得なかったことをして欲しい、というよりも、母自身のコンプレックスを私があまり意識せず癒していたのだ、ということです。
具体的には、母の容姿コンプレックスです。
うちの母は、子どもの頃から、自分のことをブスだと思っていた、とよく私に話していました。
まあ、客観的に見て、美人というわけではないのですが、ブスというほどのこともない、というのが私の感想でした。私と顔が似ていなくもないですしね!(笑)
ただ、母の姉と妹、つまり私の伯母と叔母が美人過ぎたのです。
2人とも目が大きくて鼻が高くて。特に、叔母の方は、中学高校時代には他所の学校の男子が美人の叔母を見にわざわざやって来るほどだったそうです。
祖父母も、写真を見る限り、目が大きくて鼻が高い、どちらかというと洋風な顔立ちだったようです。
そんな中、1人、平たい顔族の母。
母は、母のおじいちゃん?おばあちゃん?どちらか忘れちゃいましたが、そちらに似ていたそうです。隔世遺伝ってやつですね。
しかも、昔の人は口さがない人が多かったため、母は、近所の大人や親戚たちから、無遠慮に「なんでこの子だけ似てないの」だの「残念だねえ」だの、失礼なことを言われていたそうです。挙句の果てには、「お前は橋の下で拾われた子だ」とまで。
(余談ですけれど、なんで昔の大人ってそういうこと言ったんでしょうねえ。まあ時代というか余裕がなかったんでしょうけれど、個人的には、自分が言われて嫌なことを子どもに言う神経が理解できない。)
そうしたことから、母は、自分の実力以上に自分のことを不細工だと思ってしまい、コンプレックスに悩み苦しんだそうです。
私が幼稚園の年長のころ、母の日にお母さんの似顔絵を描きましょうというイベントがありました。
私は、絵を描くのが大好きだったので、張り切って描きました。自分で言うのもなんですが、自信作でした。
ところが、その絵を見た母は、こう言いました。
「私、こんなに可愛くない。」と。
当時は母も30歳ちょっとくらいでしたし、自己嫌悪からつい口に出てしまった言葉だとは思うのですが、子どもの私は、いたく傷つきました。
せっかく可愛く描けたのに。私から見たら、ママは可愛いのに。
傷ついたあまり、泣きながらこっそり描いた絵を破り捨てた記憶があります。
心理学的に言えば、愛情の受取り拒否をされて、私の愛には価値がないんだと思ってしまったんですよね。
とは言え、だからといって絵を描くことを嫌いにもならなかったし、母のことも嫌いにはならなかったのですが、私は粘着質なので(笑)、このことをいつまでも覚えていました。
大したことじゃないと思っていたし、人に話すようなことでもないので、たぶん、これまで誰にも言ったことはありません。
けれど、心の奥で、あの時流した自分の涙を忘れられずにいました。
このように母は愛娘の愛情を受取り拒否するほど容姿コンプレックスが強かったのですが、
他方で、母と同じ平たい顔族の私は、幸いにして?美人の姉妹もおらず、弟もイケメンではないので(笑)、思春期のころは別として、さほど容姿コンプレックスを抱かずに大人になりました。
まあ、高校大学のころは、もっと華やかになりたい、垢抜けたい、と頑張っていましたけれど。努力の甲斐あって?社会人になるころには、痩せたいとかそういうのはあっても、自分の外見にさほど不満は無くなっていました。
何なら、そこそこ可愛いと思っていましたし、時に美人とか可愛いとか言われましたし、今でもそこそこ可愛いと思っています(異論は認めない。笑)。
そんな私の様子を見て、似たような顔の母は、ある時、「あんたが羨ましい」というようなことを言いました。
私は、母が容姿コンプレックスを持っているのは知っていましたので、「そんなに気にしなくていいんじゃない?」というようなことを言ったような記憶があります。
そして、そのうち、私が大学生くらいのころだったでしょうか、母は、「ずっと自分の顔が嫌いだったけれど、最近は結構私も可愛いじゃん、って思うようになったの。」と言うようになりました。
母も、父が亡くなって社会復帰してからオシャレに目覚めて、自分の好きな服を着るようになっていましたし、また、性格的に男の人からちやほやされるのが得意なタイプだったので、私は母に自信が芽生えたのだと思っていました。
また、容姿の話ではないのですが、確か私が中学生のころ、私が母に、学校の友人について、「〇〇ちゃんのこと、嫌いなところもあるけど、好きなところもある。好きなところの方が多いから、友達でいる。」というようなことを話したことがありました。
その時、母は、はっとしたような顔をして、「そうか。そういう考えもあるのね。あんたに教えられたわ。」と言いました。
私は、子どもの私が母に教えることなんてあるんだ、と驚きました。
これらの4つの出来事、すなわち、
・私が描いた母の似顔絵を母から拒絶されて傷ついたこと
・私は母よりも容姿コンプレックスが少なかったこと
・母も晩年は容姿コンプレックスが無くなったこと
・子どもだった私が母に教えることがあったということ
これらは、これまで私の心の中で、1つ1つ独立した出来事として存在していました。
けれど、今日、ふと、これら4つの出来事が繋がって、
「どうやら私は、母のコンプレックスを癒していたらしい」と気が付いたのです。
つまり、母は、自分と似ているのにあまり容姿コンプレックスのない私を見て、私から学び、容姿コンプレックスが消えていった。
ということは、私は、母の役に大いに立っていた。
だから、もう、自分の愛を母から受取り拒否された、と傷つく必要はないのだ。と。
私には子どもがいないので、こんな歳になって初めて気が付きましたが、子どもって偉大なんですねえ。
このことに気が付いたおかげで、小さい頃の私の心も癒されたのでした。