前回の記事。久々に、感情が爆発したと思う。
そして今。まるで、祭りのあとのように、心は静か。
感情を出す、自分の本音を知るって、やっぱり大切だ。取扱いには、体内的・対外的双方において、細心の注意を払った方が良いけれども。
今回、気が付いたのは、私の心の中で、母が依然として、「私の一番大切な人」の席に座っていた、ということだ。
母が生きていたらああしたかった、こうしたかった、という仮定の話の内容であったが、もしこれが全て実現していたとしたらば、私は、口汚く、しかし端的に表現すれば「男要らね。」と言っていたことだろう。もしパートナーがいたとしても、万事において母を優先しかねない勢いである。亡くなった人がもし生きていたら、という設定で、私の思い入れが尚のこと深いせいか、そう思ってしまうのかもしれないが。
うん。それは、困る。
いや、もちろん、母のことは、めちゃめちゃ大切だし、唯一無二、本当に愛している。
でもね。
何しろ、私は、まだ当分この世で生きていくつもりなので、あの世の母と交信しつつ(そもそも交信できないけど)怪しげな独り言を発しつつ物理的に1人で生きていくのは、ちょっと勘弁願いたい。要するに、私は愛するパートナー(絶賛募集中)と生きていくのだ、ということだ。
なので、私の心の中の「一番大切な人」の席。そこは、パートナーの席にするので、母にはご退場して頂く必要がある。
当たり前の話だが、もともと母は、父という人がいたわけだし(かなり仲良しだったらしい)、既に父と同じあの世にいるわけだし、これは、母にとっては何の支障もない。単純に、私の心の中の問題なのだ。
と、いうことで。
母を、父にお返しする。長い間、ありがとうございました(ぺこり)。
私は、教会に来ている。なぜか、「花嫁の父」ポジションに佇んでいる。
右隣には、ウェディングドレスを着た母がいて、私の腕を組んでいる。
クラシカルに、「結婚行進曲」が流れる。扉が開く。私と母は、ヴァージンロードの絨毯を歩く。
左右両側の席では、たくさんの人々が祝福の拍手をしている。
ヴァージンロードのちょうど半ばには、父が、緊張した面持ちで立っている。
私は、腕を組んでいる母の手を取り、父に差し出す。
母が父の腕に寄り添い、2人は、一歩一歩、チャペルを歩く。音楽は、いつの間にか讃美歌に変わった。
牧師さん(神父さんでもどちらでもいいけど。流派のある方すみません)の前で、二人は、再び、結婚の誓いをして、ヴェールをあげ、指輪を交換し、誓いのキスをする。
私は、そんな二人の様子を、ニヤニヤ・・・いや、ニコニコと見つめている。