皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
小川正美です。
私はここのところ忙しくて(一昨日の日曜が2週間ぶりくらいの完全休日)、たぶん12月上旬までは忙しいことが決まっていて(仕事もそこそこですが、やはり忘年会やらコンサートやら旅行やら趣味やらが・・・)、この師走の感じって2,3年ぶりかもしれないなーと思いつつ、ワクワクと戦々恐々と同居した感じで過ごしております。
さて、母について、久々に(でもないか)書きたいと思います。
掘っても掘っても出てくるおかん。
母にとって娘(特に長女)は分身であり、私にとっても母は最も身近な大人の女性(パートナーシップ、うちの場合は働く女性)のロールモデルであり、愛したかったし愛されたかったし、愛憎や苦楽にまみれつつも愛していたし愛されていた人でもあります。
★今年の「母について。」シリーズその①はこちら。
ブログに書いたことがあるかもしれませんが、私は、無意識的に、かなり母の人生をなぞるように生きてきました。
母が父(私の祖父)を亡くしたのも、私が父を亡くしたのも同じ10歳頃だったし、
母が母(私の祖母)を亡くしたのも、私が母を亡くしたのも同じ30代前半だったし、
母は夫(私の父)を亡くし、私は離婚して、2人ともその後外で働くようになった。
母も私も勉強が得意だったし、仕事が好きだし、
飲むと楽しくて愉快で可愛い酔っ払いだし、人を家に招くのが好きだったし、
自分より人の気持ちを優先するところがあったし、でも我慢が溜まると爆発するし、
基本的に強気だけど弱気なところも多分にあって、男の人や社会に恐れを抱いていたりした。
こんな風に母をなぞるように生きてきたことは、もちろん私がマザコンだからだし(笑)、
心理学的に見れば、こうすることによって母の感情を追体験して母のことを理解したいという私の愛情だと言えます。
それから、私が母に対して抱いている罪悪感(助けられなかった等)と被害者意識(母に愛されなかったという誤解等)によって「ほら、私、これだけお母さんの真似しているじゃない。しかも、お母さんと違って子どももいないし、もっと孤独だよ?」と見せつけて、だから許して欲しいと自分を罰しつつ、あなたが私を愛さなかったから孤独なのよと復讐をしているという、複雑な感情でもあります。
もちろん、助けられなかった罪悪感は、すなわち、どうしても助けたかったという愛情だし、愛されなかったという誤解も、そもそも誤解だし元はと言えばものすごく母に愛されたかったという愛情なんですけれども。
たくさん自分と向き合ってきて、自分の当時の無力さを許し、母の当時の無力さを許してきました。
過去の自分を許していくにつれ、今の自分の力を過小評価しなくなりましたし、一見相反する要素である今の自分の弱さというか嫌っていたところ(気まま、マイペース、気弱なところ、プライドが高い、傷つきやすい等)も受け容れられるようになってきました。
でもね。
それでも。
やっぱり、「母の人生をなぞるのはもういやだー!!イヤイヤイヤイヤーーー!!」って思っていたんですよ。結構長い間。
まあ、そりゃそうですよね。だって、私は私で、母とは別個の生命体ですから。いくら近しい間柄でかつ性格も似ていたとしても、私には私の人生があるんですから。
けれども、この強い思いに反して、私は母の人生をなぞりっぱなし。
端的に言えば(笑)、「私はこのまま人生を共にするパートナーシップを築けないのか?そんなのイヤ!!」と反発しまくり、「母の人生をなぞるのを止めれば変わるはず!」と思っていたのです。
なので、「潜在意識では母とまだ癒着しているのか?」と躍起になって、母と向きあい続け、「私は私、母は母」と言い続け、また、母は私の幸せを願っているに決まっている、と言い続けてきた、ここ4,5年なのでした。
しかし、なかなか理想のパートナーシップは築けないまま。
ここで、私は、①理想どおりじゃなくても何でもそれが自分なんだからしょうがない、母の人生をなぞるしかないよ、と受け容れるか、②嫌だ!頑張る!母の人生をなぞらない!と頑張り続けるか、の二択しかないと思っていたんですが。
盲点というか、見落としていた前提がありました。
私が「母は、理想のパートナーシップを築けなかった。かわいそう。幸せじゃなかった。」と思っていたという盲点。
そういう風に、私が母のことをかわいそうな人だと思っているから、私は母の人生をなぞりたくなんかない!と駄々をこねていいた。心の底ではおかん大好きだから真似っこしたいくせに(笑)
でも、それは本当か?母は本当にかわいそうな人だったのか?っていう話ですよ。
(そういえば、生前の母は、人一倍「かわいそう」と言われるのを嫌っていたことを今書きながら思い出しました。)
確かに、客観的に見れば、専業主婦を12年やってきた状態で、夫が突然死して、幼い2人の子どもを抱え、働くようになったことは、かわいそうにも見える。
けれども、母は、仕事が好きだったし、仕事の才能があったし、会社内でも認められていて、当時のその会社の女性としてはおそらくかなり良い報酬を得ていた。
しかも、職場でも、ツラそうな時もあったけれど、楽しそうだった時も多かった。毎週金曜の夜は飲み会と決まっていて、いつも23時過ぎくらいになるとおかんのゴキゲンな歌声が外から響いてきて、「あ、帰ってきたな」と分かるのだった。
酔うと靴を脱ぐ癖があり、時に横浜駅のコンコースを裸足で歩き、紳士から「楽しそうですね。」とナンパ?されたと自慢していた。
母は、「パパが亡くなったことは悲しいことだけれど、こうして働けることは楽しい、幸せ。」とよく言っていた。
確かに、母は、専業主婦時代の方が年齢的に若いのにもかかわらず、働き出してからの方が若々しく見えていた。写真を見てもそう思う。
専業主婦時代の母を知る母の友人や伯母は、母がすごく父に気を使っていた、と言う。私にはとてもそうは見えなかったけれども(結構威張っているように見えた)、子どもには分からないところで夫を立てたり、甘やかしていたのかもしれない。
だから、もしかしたら、父は、母に対して、自分が居なくなることによって自由をプレゼントしたのかもしれないのです。
もちろん期せずしてだと思うし、悲しいお話だけれど。
でも、そうだとしたら、父の愛情はものすごい愛情だよね。とも思うのです。自分が居なくなることでパートナーを幸せにする、という。
また、父の死後、母は私の知る限り少なくとも2回は恋をしていました。
おそらく最後の恋になった相手の男性のことは、当時母が既に50代で私が20代半ばだったこともあり、母から話を聴いていました。
私も、2度、お会いしたことがあります。母と同じか少し年上のダンディな男性でした(以下「ダンディ」という)。
私がダンディに会った2度目は母の葬儀の時でしたが、1度目は、うちの実家でした。自宅のリフォーム工事の契約に、ダンディが立ち会ってくれたのです。
戸建ての家には様々な営業が来るもので、母は、過去に住宅関連の営業で女性が所有者であるということを知られていて嫌な思いをしたのでした。
だから、「男の人がいるだけで対応が違う。」ということで、ダンディに立会いをお願いしたようでした。
その日は、たぶん土日のどちらかだったと思うのですが、私も家にいて、ダンディに会って挨拶をしたり、猫の手のような頭数的に契約に立ち会いました(今なら活躍できるけどね。笑)。
契約が終わり、母がお茶を淹れるか何かで席を外した際、ダンディが言いました。
「Sさん(母)は、ああ見えて、少女のような純粋で繊細なところがあるから。そこが魅力ですよね。」と。
この人、おかんのことを分かってるなあーーと思いました。おかん、幸せやん。と。
この話を、私はずいぶんと長い間忘れていたのですが、昨日思い出しました。
母は、かわいそうな人じゃなかったのです。
むしろ、素晴らしいパートナーに恵まれ、人生の後半は自由も味わった、幸せな人だったのです。
(しかも私という素晴らしい娘もいる(笑))
つまり、
私が母の人生をなぞったとしても(だってマザコンだから仕方ないよね。笑)、
私も、素晴らしいパートナーに恵まれ、人生の後半は自由も味わった、幸せな人生を送る。
ということになるのです。
もちろん、なぞらなかったとしても、幸せな人生を送るのです。
たぶん、私は、母よりもっと長生きすると思うから、少なくともその点はなぞらないと思います(笑)
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