崖っぷち、がむしゃらにやるしかない!という理由に加え、
私には、もう一つ、ロースクールに行こうと決意するきっかけとなった大きな出来事がありました。
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時間は前後しますが、私が離婚して、司法書士試験の勉強をしていたときに、母が勤務先から定年を理由に契約更新を拒絶される、という事件が起きました。
母が勤めていた会社(父の勤務先でもありました)は、在職中に亡くなった従業員の寡婦を嘱託(契約社員)として雇用する制度(慣行だったかもしれません)がありました。
1年更新の契約ですが、事実上、終身雇用で運用されており、
ただし、正社員とは異なり、55歳定年とされていたそうです。
母は、37歳で雇用されて以来、何度か正社員登用を申し入れたそうなのですが、
会社側は、
前例がないこと、
少数ではあるものの他の同じ立場の嘱託社員との均衡が取れなくなること、
私の母は仕事ができ年齢的にも一般職の社員の指導的立場にあったためか給与は一般職の正社員より多く支払われており、正社員になった場合かえって給与が減少することなどから、
母を正社員として雇用することを拒絶してきたそうです。
それでも、母は、55歳を超えた58歳まで契約更新を続けてきました。
職場で独自の受注管理システムを作ってそれが全社に採用されたり、
若手社員の教育をしたり、
職場の人達を家に招いてホームパーティーというか飲み会をして親睦を深めたりして、
「オリジナルの存在」の実績を作りました。
一方で、こうした実績を上に認めさせるべく、人事を飛び越えて、コネクションを作っていました。
母が50代になったころには、父と母の元上司や同期たちが、会社内で昇進していたからです。
しかし、ずっと母を守ってくれた役員が退任したか担当を外れたかで、
母は、58歳で、退職することになりました。
懇意にしていた役員の一人が亡くなり、
もう一人の方から、「ごめん。守り切れなかった。」と言われた、と聞きました。
(この頃、母は、私に会社で起きたことをほとんど何でも話していました。不安定だったのかもしれません。)
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母は、とても、気落ちしていました。
10年来の趣味の俳句を続けていたり、友人や姉妹達と交流するなどしていましたが、
会社で仕事をすることが好きだったのと、
こんなに実績を残して、周りの社員達に惜しまれているのになぜ、という悔しさや、
正社員ではないために労働組合も力になってくれず(当時はまだ非正規雇用の組合はありませんでした)、
徒労感や無力感が募ったのだと思います。
私は、当時、労働法については無知に近かったのですが、
20年以上更新が継続した契約が、正社員の60歳定年より前に終了するなんておかしい、これは何か手立てがあるのではないか、
と思い、
母に、弁護士に相談だけでもしてみてはどうか、と言いました。
労働者側の法律事務所をインターネットで調べ(当時はヒット数が少なかったと記憶しています)、情報をプリントアウトして、渡しました。
しかし、母は、結局、弁護士に相談はしませんでした。
理由は、分かりません。
何だか気が引ける、というようなことを言っていたように記憶しています。
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一度だけ、母が人事部の担当者と社外で話をするというので、
私が付き添ったことがあります。
東京の本社近くの喫茶店でした。
人事の担当者の方は開口一番、
「小川さんのお嬢さん?弁護士さんなんですか?」
と聞きました。
私は、
「いえ、違います。今は、司法書士試験の勉強をしています。」
と答えました。
担当者の方は、大人の社会人ですから、決して私に失礼な態度を取りはしませんでしたが、
明らかに、私への態度が変わったのが分かりました。
有り体に言えば、「相手にしなくて良い」という態度です。
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結局、この話し合いでは、お互いに合意には至らず
(担当者の方は他部署にいた時から母の知り合いだったようで、『ごめんなさいね』と宥める役割で来ていたようでした。)、
私は、母の役に、全く立ちませんでした。
もし、私が弁護士だったら。
もし、私が男だったら。
いやせめて、もし、私がずっと会社員を続けていて、もっと自分に自信があったら。
母を助けられたかもしれない。
そんな風に思いました。
自分が情けなくて、仕方ありませんでした。
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その話し合いからしばらくして、
母は、労働局に対し、あっせんを申し出しました。
会社側も出頭しましたが、結局、合意に至りませんでした。
母は、それ以上の紛争継続は望みませんでした。
理由は、
会社には良くしてもらったから大ごとにしたくない、
仲良くしてきた同僚や知人達に会社と揉めていることを知られたくない、
というものでした。
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ここで、私が弁護士を目指した理由が、
「母のような人を救うため」
だったら、綺麗なお話なのですが。
残念ながら、現実は、そうではありません。
私は、自分の無力さを少しでも減らす、
つまり、力をつけたくて、
ロースクールを受験することにしたのです。
弁護士になって人を救いたい、などという余裕はありませんでした。
自分のことで手一杯、母さえも救えなかった私が、他人を救うなんてできない。と思っていました。
そんな自分が、ちょっぴり嫌いで、
でも、人間らしくて、しゃあないなあ、とも思うのです。