皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
たまに戦う弁護士/ガイディングコンサルタント/楽しさクリエイターの小川正美です。
肩書多いね(笑)自分が楽しくなって場を楽しくすることも私の才能の一つだな、と気が付いたので、名乗ってみました。
さてさて、あっという間に黄金週間も後半ですねえ。
私は、4月末はとにかく眠い日々が続いて、11時間睡眠しても夜の11時には眠くなってしまったり、「休みなさい!」サインが身体から出まくってました。
そして、ボーッとしたり、ボーッとして気付いたことを気持ちの赴くままSNSに投稿したり、家のことしたり、猫たちと遊んだり、仕事したり、買い物したり、本を読んだり、ブログ書いたり、動画撮ったり、で、あっという間に日々が過ぎていきました。
全然ちゃんとはしていないけど、いつもよりちょっと暮らしに重点を置けたのでホッとしました。最近忙しいからなあ。
以前のようなハードワークはしないけれど、忙しいとついつい余裕を失くしがちですよね。
で、「丁寧な暮らし風」をやるといつも思うけど、本気で丁寧な暮らしをしたら、1日なんてあっという間に終わってしまう!家事ってやろうと思えばいくらでもやれるんですよね。
もちろん、ズボラな私は、最低限+やりたいことしかしませんよ!笑
と、黄金週間を満喫?していたら、
ちょうど、代理人として交渉し、作成した遺産分割協議書の調印が終わり。
クライアントさんから嬉しい感謝のお言葉も頂いて、しみじみとしました。
相続関係のお仕事の際は、必ず、被相続人の方の出生時から死亡時までの全戸籍をチェックするのですが(法定相続人の正確な把握のため)。
80代以上の方の戸籍を拝見すると、戦前・戦後すぐの混乱期ということもあって、その方の生き抜いてこられた軌跡を辿るような気持ちになります。
戦前の旧家族法時代は、家督制度が法的概念としてあったので(今も地方では本家・分家概念がありますけれど法的なものではなく慣習です)、跡取りのいない親族の家に子どもを養子縁組に出すことも頻繁に行われていましたし、
妾制度もありましたから戸籍に「妾」って書いてあったり、
そもそも10人近いきょうだいも珍しくない子だくさんの時代でしたけれど、新生児・小児医療が未発達でしたから当たり前のように子どもの1人が小さいうちに亡くなっていることも多い。
また、どういう理由かは判然とはしないけれども、戸籍の届け出場所とかその後の入籍・転籍状況から見て、駆け落ちとかなのかなあ?とか推測できることもあります。
時に、(準)禁治産者とかの文言もあったり。
何度も離婚・結婚している人も、意外といたり(私の勝手なイメージで昔は離婚が少なかったのかと思っていた)。
あと、遠方の地方から都会への異動が多かったりすると、高度成長期っぽいなあ・・・と思ったり。
戦争で戸籍が滅失していたり。
客観的な事実しか記載されていない戸籍から、様々な人生模様を窺うことができます。
戸籍が、人生を語るのですよ。
法医学者の上野正彦先生の「死体は語る」という本があって、昔、それこそ弁護士になろうとは全く思っていなかった頃に読んだのですが、それと同じ感覚ですよね。
そう言えば、歯科医師の先生が小学校の歯科検診での重要な仕事は虐待を発見することだ、とおっしゃっていたことも思い出しました。
客観的な事実から、その人の人生を知る。
弁護士の仕事でも、相談段階はもちろんのこと、訴訟においては証拠や動かぬ事実から主張を組み立てていく際に客観的な事実から人の人生を知る側面がかなりあるので、そこは、結果や責任を度外視すれば面白いところです。
で、ですね。
ちょっと、我が家のファミリーヒストリーを紐解いてみようと思ったのですよ。
と言っても、せいぜい祖父母どまりだけれども。
というのは、私は、10歳の時に父親が亡くなったため、父との記憶が圧倒的に少なくて、大人としての父親というのは本当はどんな人だったんだろう?という疑問を抱いていたからなのです。
父のことを理解したくて少ない記憶や情報を辿っている。
うちの両親は2人とも4人きょうだいの第二子で、父は兄と弟妹、母は姉と弟妹というとても良く似た構成。しかも、2人とも父親を早くに亡くしている。
両親から直接聞いたわけではないけど、こういうところも結婚したポイントだったのかも。— 小川 正美/たまに戦う弁護士・ガイディングコンサルタント (@MasamiOgawa_LLL) May 2, 2022
そして、父を知るには、家族構成、父の両親(私から見た祖父母)との関係も知りたいなあ。と思い、まずは戸籍から辿ろうと思っています。
たまたま手元には、平成10年(1998年か?昔だわあ)に生前の母が親戚の相続放棄をした時の戸籍のコピーがあり、父が筆頭者の戸籍もありました。
父方の祖父母が記載されている戸籍は取り寄せしないとないのですが、母方のほうは、あらかた判明しました。
驚いたのが、父も母も、第3子として生まれていて、すぐ上に小さいころか生まれる前に亡くなった兄がいたこと。
全く知りませんでした。ずっと父は二男で母は二女だと思っていた。まあ、実質的にはそうだったんでしょうけれども。
また、母方の祖母(母の母)は祖父(母の父)が亡くなった22年後に亡くなっており、これは、母が父の亡くなった23年後に亡くなったことと不思議に符合します。
母の父が亡くなったのは母が9歳の時で、私の父が亡くなったのは私が10歳の時。
母の母が亡くなったのは母が32歳の時で、私の母が亡くなったのは私が33歳の時。
母の母も夫が亡くなった後に働き始めてずいぶんと苦労したそうで、私の母も最初の5年くらいはずいぶん苦労していた。
先日動画でも話しましたが、一時期、私って呪われてるのかな?なんて思っていたこともありました。
「大切な男性は居なくなる」みたいな。現に私も、死別ではないけれど離婚していますし。
ただ、今の私が思うのは、良い意味で、私は母や祖父母の見た景色の続きを歩いているんだな、ということです。
特に、女性が仕事をするということについて。
生活の糧を得るために低賃金で何でもするという働き方だった祖母から、
自らの能力を認められ楽しく仕事をするも会社組織の制約があった母、
そして、自由で(不安定だけど(笑))創造的な側面も多分にある弁護士の仕事をしながら自分が楽しみ人を楽しませることも仕事にしようとしている私。
何だか、進化しているっぽくないですか?
もちろん時代背景の影響は大きいけれども。昭和→平成→令和ですもんねえ。
本当に、ありがたい時代に生きているなと思います。
さてさて、父のことを紐解きたいと言いつつ、母方の話ばかりになってしまいましたが。(母方の戸籍があったからしょうがないっ)
まずは、父方の戸籍を調べてみて、親族や父を知る人々にインタビューしてみたいと思います。
母と祖母から働くことの流れが出てきたということは、父について紐解いたら、私のパートナーシップの流れが分かるかもしれないなあ。なんて勝手に思っています。
若い頃は、ルーツを探る中年~年配の人々の気持ちが共感できなかったけど、今はよく分かるわあ。
ルーツを知ることは、自分を知ることでもあるのね。