私は、尋問が好きです。
あの、映画やドラマでやる、裁判の証人(本人)尋問です。
著しく知力体力時間を要する仕事だし、紛争解決の観点からは尋問を実施するのが望ましくない場合もあるけれど(感情的対立が激しくなることもあるため)、
それはさておき、
弁護士の仕事の中では、クリエイティブな要素が多いように思います。
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準備は、1回結審の刑事事件等を除けば、めっちゃ大変です。
大変さの程度は、民事事件か刑事事件か(尋問の際のルールが両者で少し異なる)、
また事案の性質(争点の質・量、関係者の多寡とその証言能力、書類等の客観証拠の質・量)等にもよりますが、
基本的には、
尋問前に提出した書類の証拠全てを頭に入れ、
当方側の証人(本人)には、これまでの主張に沿う証言(供述)を自然に引き出せ、
しかも裁判官から見て当方の意図が分かりやすく、かつ効果的なプレゼンテーションになるような質問の組立てをして、
法廷に立つ証人(本人)が緊張しないように、
予想される反対尋問(相手方からの質問)も含めて、練習する。
相手方に対しては、
これまでの主張と証拠を精査し、他の証拠や経験則に照らして矛盾点がないか検討し(法令上矛盾点がなくても、〇〇な状況においては××するのが自然なのにしていない、とか、時系列と矛盾するとかを見出します。)、
反対尋問で確認したいことを準備しておく。
大変なのですが、裁判のクライマックスですから、自然とクライアントとの結束力も高まりますし、
これぞ弁護士でないと味わえない仕事でもあります。
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尋問の際には、淡々と。
特に、反対尋問では、自分に酔わない。
相手方の証人(本人)に失礼な態度を取らない。
相手方当事者本人が私に失礼な態度を取ることはよくあるので、いちいちカッカしない
(でも怒りのオーラは出ちゃいますけどね~。人間だもの。byみつを)。
補充尋問(最後の裁判官からの質問)で、自分が意図したことを裁判官が質問した時の「ハマッた」心地よさを、
味わいつつも、酔わない。
法廷の緊張感に、飲まれない。
自分が緊張していることを受け容れる。
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なぜ、尋問が好きなのか、考えてみました。
1つは、上にも述べたように、クリエイティブな要素が強いこと。
昔から、創意工夫をすることが好きでした。
もう1つは、ライブが好きなこと。
ナマモノの血湧き肉躍る感じ、ワクワクドキドキ感が好きなのです。
さらには、ライブとも繋がりますが、人の感覚や感情に訴えかける作業であること。
法律を、冷たい杓子定規なもの、或いは論理的な武器、と考える方々もいらっしゃいますが
(そういう側面は否定しませんが)、
私は、法律を作るのも、使うのも、判断するのも、全て人間である以上は、本来的には、裁判というものは人間的、すなわち感覚的で感情的な要素を排除できないものだと思っています。
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他方で、同じ法廷でのプレゼンテーションでも、刑事事件の弁論は苦手です。
(裁判員裁判の時はかなり練習したのでマシでしたが。)
弁論要旨という予め自分で作成した原稿を、だである体からですます体に変えて読み上げるだけなのに、
たいてい噛んでしまいます。
苦手意識があるためか、いっこうに上手くなりません。
大切なのは内容なのはもちろんなのですが、
私はええかっこしいなので、最後もビシッと締めたいのです。
噛んでしまうと、「ああ…カッコ悪う」と思ってしまうのです。
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でも、よくよく考えてみると、
尋問でも、それなりに、
噛んだり、
無意味な質問をしていたり(たいていその場では気が付かず、後で調書(翻訳)が上がってから「何で、私、こんな質問を??」と思う。)、
いらんこと聞いたり、
といったことはあるんですよね。
これらを、「失敗」と捉えることも、可能だと思います。
でも、好きだと思ってると、多少のことは気にならないのです。
むしろ、
「今日はあそこが上手くいったな~。さすが私、笑笑」
と、良いところに着目するので、楽しくなり、上達する。
自然と、細かいミスも減る。
一方で、
苦手と思ってると失敗してしまったことを過大に感じてしまい、自分を責めてしまうので、
失敗しないかしら、しないかしら、ああ、また噛んじゃった~!!
となり、なかなか上達しません。
(ちなみに、同じ仕組みで、私はゴルフが苦手です。)
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「好きこそものの上手なれ」
昔の人は、よく言ったものですね。
本当に。