昨夜は、事務所ミーティングでした。
といっても、相方弁護士とその彼女さんの3人だけど。
※弁護士は同業者との飲み会に80%以上の確率で遅れてくる。なので飲みながら待つの図。
飲みながら、ではありましたが、結構真面目な話をしまして、
ホームページ作らなあかん
でも、それにはビジョンが必要だよね
我々の事務所の付加価値は何か、どうしたいのか
総務・人事の話
等々を意見交換しました。
で、その中で、私のほうから、
私のSNS投稿が多いことやブログにおいてネガティブな自己開示を多くしていることについて、
何も言わないでいてくれる相方に、感謝をしていることを伝えました。
なぜ感謝かというと、
人が弁護士に求めるものは、一義的には強さであるので、
ブランディングという観点からは、ネガティブ自己開示や迷走しています日記は相応しくないだろうなあ、と「私が」考えていたから、
自由にさせてもらえることがありがたいなと思ったのです。
その流れで、私は、言い訳がましく、
「SNSの投稿が多かったり自己開示が多いのは、私が寂しい人間だから。家族を亡くしてからもうずっと。だから、仕方ないんです。」
と、言いました。
ずっと、自分が寂しいことは、恥ずかしいことだと思っていました。
たぶん、このブログを見たら私が寂しい人間なのはバレバレなんですが、
それでも、ずーっと、寂しさを認めてはいけない、と蓋をしてきました。
寂しい自分を自分が一番バカにしていたから、寂しいことがバレると他人から嘲笑されるんだろうという気になっていました。
子ども時代がバブル期直前で「ネクラ・ネアカ」という言葉が流行ってネクラと悪口を言われ(父親がいきなり死んで明るくなんてなれねえよ。笑)、以後バレないよう気をつけていたり、
重い女になって元カレたちからフラれ「重い感情は捨てなければ!」と躍起になっていたり、
女性は年齢を重ねると社会から酷い扱いを受けるから「寂しくなんてないもん」という顔をしなければバカにされる、と怖がっていたり。
でも、歳のせいか本当の自分に戻りつつあるからなのか、
自分を隠すことが、寂しいことを隠していつもキラキラ楽しいです!とやっていくことが、難しくなってきました。
だから、私はもう、一生この寂しさを抱えて生きていくしかない。
とやっと、決意しました。
誰かと一緒にいても、いなくても、たぶん、これは私の性質なので、寂しさは消えないからです。
寂しいヤツ宣言をしたら、心がスッキリしました。
そして、なぜか、むしろ寂しくなくなりました。
不思議なり。