私は、父に溺愛されていた。
幼児の頃に、冷蔵庫に桃がない、桃が食べたいと言って泣くと、父が数十キロも車を飛ばして買ってきてくれたそうだ。
ピアノを習いたいと言えば、少ないお給料からボーナスをはたいて買ってくれた。
(私と弟は「ママがいい!」って言っていたのだけれど(笑))
たくさんの山や海や川に行き、家族みんなで一緒に自然に親しんだ。
だから、私にとっては、子どもの頃は、とても楽しい時代だった。
けれど、私が10歳の時、父が突然死した。
このことによって、私は、繋いだ手を、私を守ってくれる背中を、失った。
ここからは、私の想像の世界。
もし、父が、亡くなった後も、私の手を繋いでいてくれたなら。
私を見守ってくれていたなら。
10代の私は、もっと自由に、やりたいことをやったかもしれない。
美大に行って、自分の才能の無さを嘆いてもがき苦しんだかもしれないし、
早稲田の一文で演劇に嵌まったかもしれないし、
今の現実と同じ法学部でも、マスコミ研究系のサークル活動をしたかもしれない。
20代の私は、もっともっと世界をたくさん見に行ったかもしれない。
南米やインド。そういうところに行ったかもしれない。
北欧や東欧にも行ったかもしれない。
ハワイにもっと早く行って留学していたかもしれない。
そして、好きな人と結婚して、子どもを産んでいたかもしれない。
日々目まぐるしく立ち働いて、落ち込む暇なんてなかったかもしれない。
やはり、自由な時間が欲しいと言って子どもを産んでいないかもしれない。
そんな私を、父は、きっと、ニコニコしながら見守ってくれるだろう。
僕の大切な娘が、あの子がこんなに大きくなった、こんなに幸せになった、って。
夫たる人に、僕の大切な娘を幸せにしてくれよ、と言うのだろう。
30代。
私は、もっと、自由だっただろう。
社会で素敵な先輩達に憧れ、学び、チャンスを与えてもらってチャレンジし、時に失敗しながら、それも学びの糧にしていたのだろう。
今の現実同様に私が離婚したならば、父は、とても悲しみ、でも母と同じように、私に帰っておいでと言ったのだろう。
そして、私は、再び安心して、この広い世界を見に行ったのだろう。
どこかに留学したかもしれないし、
全く違う分野の学びをしたのかもしれないし、
職人になりたいと言って弟子入りしたかもしれないし、
やはり弁護士になっていたかもしれない。
何を選んでも、父はきっと、母と一緒に、ああ、あの子が立ち上がった、さすが私たちの娘だ、頑張れ、とニコニコしながら応援してくれたのだろう。
34歳。
母が亡くなって。
でも、母も、父と一緒に、私と手を繋いでいてくれている。
そして、37歳。
父が亡くなった年齢を迎え、私は、その後も、生き続ける。
もし、両親と手を繋いだままだったら。
私は、きっと、もっともっと好きなことをして生きていただろう。
今も好きなことしてるけど。
そして、一緒に人生の旅をするパートナーや仲間を見つけているだろう。
両親は、そんな私を、やっぱりニコニコしながら見守ってくれている。
良かった、あの子は幸せだ、って。
🌸🌸
この妄想をすることで、虚しくなりますか?
それとも、心が暖まりますか?
心が暖まったなら、潜在意識の中でも、親御さんをもっと近くに感じられるようになり、生きていく支えを得た心地になるかもしれません。
もし、虚しくなったなら、喪失の悲しみがまだ癒えていないのかも。
存分に、泣いたり叫んだり喚いて下さいね。悲しい時は、咆哮して良いのです。
そして、心の傷が癒えてきたら、よかったら、再度チャレンジしてみて下さい。