皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
事務所お引越しシリーズの第3弾、恩恵を受け取った件です。
★第1弾
★第2弾
その前に、そもそも「恩恵」って何よ?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
「恩恵」は、
恵み。いつくしみ。「恩恵を施す」「自然の恩恵に浴する」
キリスト教で、神の恩寵 (おんちょう) 。 (『goo デジタル大辞泉』より)
という意味がありますが、ここで言う「恩恵」は、心理的に何かを乗り越えた時に、手に入る或いはその存在に気が付く恵みのことで、1の意味でありながらも、2のニュアンスも少しあるように私は感じています。伝わりますでしょうか?ご賢察下さい!
では、私が受けた恩恵について、行ってみよ~!(なぜか『8時だよ!全員集合』風)
恩恵その1.経済的恩恵
これは分かりやすいし、賢明な読者の皆さまはこれまでのシリーズ記事からもう既にお分かりのことと存じます。
が、一応説明しますと、私は、一応法律事務所の共同経営者ですので(こう見えて。まあ、個人事業主ですし身軽でいたいので規模はめちゃめちゃ小さいです)、お仕事がドドドドドドドドドーっと来てくれることは、多忙になるというマイナス面はあるけれども、売上が上がって経済的に嬉しい!という恩恵があります。
恩恵その2.弁護士としての私、私という弁護士についての自信
今回、様々な分野の案件、会社の人事労務、売掛金回収、インターネット上の営業に関わるトラブル、離婚、相続、その他家族の問題、刑事事件等、バラエティに富んだご相談やご依頼があったのですが、
クライアントさん達から、
「真っ先に(私のことを)思い出した」「先生が自分の気持ちを理解してくれて助かった」「正美さんがいてくれて本当に良かった」
といったお声を頂くことが多かったのです。
そして、なぜか、ご相談や打ち合わせ中に涙ぐむクライアントさん率がこれまで以上に高くて。
それだけ皆さん、現在の社会情勢も含めて大変ストレスフルな状況の中でトラブルまで抱えて、しんどいんだなあ、と思ったし、
私の心が以前よりクライアントさん達に対してオープンになって、共感力を発揮し、今できる最善を尽くすことで応援する気持ちが伝わりやすくなったこともあるかもしれません。
というのは、以前の私は、素の自分の共感力の高さゆえにクライアントさんのネガティブな感情(もちろん、そういう感情を持つことは当然な事態だから私のところにいらしているのです)に、自分も共鳴してネガティブな感情を感じてしんどくなってしまっていたため、そうした共鳴をシャットアウトするために、意識的にクライアントさんと心理的距離を置いていたのです。
ですが、自分と向き合い、自分の中の他人軸、罪悪感、無価値感、完璧主義等々を少しずつ手放し、弱い、ダメな自分も受け容れて許していくうちに、だんだんと、本来の素の自分でクライアントさんにも接することができるようになってきました。クライアントさんと自分の間に適切な境界線を引けるようになったのだと思います。
これによって、「もう少し近づいても大丈夫」という安心感が生まれ、逆説的ですが、クライアントさんとの心理的距離が近づいたのです。
自分が無理をせず、精神的にも身体的にも余裕を持つことが結局はクライアントさんのためにもなる、ということが、試行錯誤しながら実践していくうち、だんだんと肚に落ちてきました。
試行錯誤しながら実践した内容について、少しお話しますね。
私の中には、どうしても拭えない葛藤がありました。正直に言うと、今でも少しあります。
それは、
「弁護士の自分の価値を受け取ると嬉しい」けれど、「弁護士ではない素の自分には価値がない気がする」という葛藤
でした。
つまり、弁護士として活躍したい自分と、弁護士で活躍し過ぎると素の自分には価値がないような気がするから活躍しないで欲しい自分が、ケンカをしている状態でした。アクセルとブレーキを両方踏んでいる、とも言えます。
こういう状態だと、自分のエネルギーを推進と抵抗の両方にたくさん使っているわりに進まない(成果が出ないし、個人としても幸福感が少ない)ので、誰も得しないのです。・・・ですが、他人の気持ちを慮ったり空気を読み過ぎる人、同調圧力に弱い人、言い換えると優しい人は、やりがちだと思います。
潜在意識が弁護士としての活躍にブレーキをかけている、前に出るおそれがある、抵抗・ブロックがある、という言い方もできます。
理由は様々に考えられますが、私の場合、
・仕事が忙しくなり過ぎてハードワークするのはイヤ
(深層では、家族がいないので心身を壊したら誰も助けてくれない、どうせ私は1人だ、という思い込み)
・弁護士として活躍すると嫉妬されて孤独になる
(深層では、ロースクール時代にお付き合いしていた人が司法試験に合格しなかったことへの罪悪感、幸せ・豊かな人にたんまり嫉妬してきたので自分がそうなることが怖い、等)
・早逝した両親への罪悪感
(自分だけ活躍したら申し訳ない、両親ももっと生きたかっただろうし活躍できただろうに、等)
・早逝した両親への復讐
(活躍しないことで、「あなた達がいないから、私こんなに不幸よ」と見せつける、寂しさが暴れている)
・弁護士として活躍すると男の人にモテない(笑)、ライバル視されてしまう
(同様に、これまでの人間関係が変わってしまうのではないかというおそれ)
・弁護士で活躍すると、「弁護士だから価値がある」自分になってしまい素の自分がますます自信をなくす
でした。
結構たくさんありますよねえ。今ではほとんんど無くなった抵抗・ブロックも多いですが、こうしたものがたんまりとあると、自ら自分の成功を妨げるという謎のスパイラルに嵌ってしまいます。
お分かりかと思いますが、これらの抵抗・ブロックは、結局のところ、私の自己肯定感が低かったことに起因しています。自分のことを良い弁護士、良い存在だとは、ちっとも思えなかった。
なので、これまでも、クライアントさん達は、折に触れ、
「私という弁護士の価値、存在意義」、私だからいいんだ、ということを伝えて下さっていたのですが、
それにもかかわらず、私は、
「ありがとうございます~」とは言うし、思うものの、本当の意味ではそれらのお気持ちを受け取ることができなかったのです。
心のどこかに、「私なんて全然役に立っていない」「もっと優秀だったり精神面でクライアントさんを満足させられる弁護士はいくらでもいる」という思いがあり、拭うことができず、自分のことをおそらく実際以上にちっぽけに邪険に扱っていたのです。完璧主義ですねえ。
いやまあ、言い訳すると、職業柄完璧を求められることもあるんですよ。ツラいんですよ。先生業は!!(逆ギレてみる)
ですが、今回、とある案件のクライアントさんが、とても熱く、私がいてくれて本当に良かった、と私に伝えて下さったのです。
急を要する案件だったので、その場では粛々と仕事をしましたけれど、
その日の夜、自宅に帰る途中から、私は涙が止まらなかったのです。
ああ、こんな私でもいいんだ、役に立つんだ、
ほとんど素の自分のままで仕事しているけれど、それでもいいんだ、
いや、むしろそれで良かったんだ。
という思いと、
クライアントさんが伝えて下さった価値を受け取ってしまうのは怖い、怖い、という思い、
人を傷つけるんじゃないか、孤独になるんじゃないか、といったお馴染みの思いが溢れてきて、奥歯がガタガタと震えました。
もう、いつもの心の置き場所に戻ろうか、それでもいいじゃない、とも思いました。
その時、私の中で、もう1人の自分が話しかけてきました。
「怖いね。でも、前に進みたいんじゃない?」
「一緒に進もう。」
と。声の主の姿は見えません。
でも、私は、決意しました。
もう、いつもと同じ、「私なんていない方がいい」と拗ねつつ、でも、生存欲求やら承認欲求やら自己実現欲求やらに突き動かされて、結局、ほんの少しだけしか自分に与えない私でいることを止めよう、と。
私が罪悪感を背負っても誰も喜ばない、むしろ、私が幸せになった方が喜ぶ人は多いんだ。と。
そうして、クライアントさんの言葉を、言葉どおり受け取りました。
弁護士になって以来、これまで頂いてきた様々なクライアントさんの言葉が思い返されました。
きちんと受け取り切れなくて申し訳なかったなあ、と、ここでも罪悪感を発動させましたが、
それ以上に、
なんてありがたいんだ、私はなんて幸せだったんだ、今まで私の目は節穴だった、
と感謝の気持ちでいっぱいになりました。
もちろん、必ずしも満足して頂けた案件ばかりではありません。それらの件でも、私はずっと自分を酷く責めていました。
しかし、そうした案件についても、
ああ、今の私だったらもっと上手くできたんじゃないか、という思いはもちろんあるけれど、あの時は仕方がなかったんだ、未熟だったけれど、私はあの時できるベストを尽くしたんだ、
と、心から思え、自分を許すことができました。
自分を許してもいいんだ、と、これまで頭で理解はしていたものの、心で納得できていなかったのですが、今回は深く許すことができました。
心が解放されると、胸が熱くなり、力が湧いてきます。
自分の持っているエネルギーを、自分をダメ出しして責めるという抑圧の方向に使わなくなるため、目の前のことに最善を尽くすのに葛藤や屈託がなく素直に使うことができます。
そうすると、これまで抑圧に使っていたエネルギーのぶん、自分の心身に余裕ができ、結果、仕事においても私生活においても良いパフォーマンスを発揮できます。
以前の私だったら、今回の仕事量が押し寄せてきたら、確実にテンパって、自分1人で孤独に戦う方向に頑張り過ぎ、私生活を犠牲にしていたと思います。
でも、今は、自分1人ではなく、クライアントさん達と共にある感覚で、リードしつつ伴走するマラソンのペースメーカーのようにいることができます。
自分の生活も大切にして、遊ぶ時は遊び、リラックスのための瞑想やヨガや入浴の時間は確保する。
確保しても、なぜか、時間は不足せず、それぞれの仕事もちょうど良く計ったように収まるべきところに適切に収まる。
以前にも書いた、女性性を活かす仕事の仕方が、バージョンアップしたような感覚です。
ここまで11年8か月。
長かったなあ。その昔、20代のころ、会社員時代に調子に乗って「仕事なんて3年も同じことやってたら覚えちゃって退屈~」とかほざいていたのが恥ずかしいっす。
でも、良かった。
本当に、ありがとうございました。