皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
今日は、日曜だというのに事務所に行って仕事をしてきました。
・・・と言っても、めちゃめちゃ働いているぜ!というわけではなく。単に、先週は平日に淡路島に旅に行っていたため、積み残しのお仕事をしてきたのです。書面仕事は、休日の静かな時の方が捗るし。
楽しかったなあ。淡路島。
・・・って、このままだと旅日記になってしまう!(いや、それも良いけど)
えっと、ということで本題に戻ります。
最近、気がつきました。
自分がクライアントさんから「先生」と呼ばれる率が減っていることに。
昔はね、私、ほぼ100%「先生」って呼ばれていたんですよ。
なんなら、「先生」って呼ばない人に対しては若干「?(違和感オーラを出す)」みたいな対応をしたこともある。ええ、偉そうです。ごめんなさい。
「先生」という言葉には、呼ばれた者に一瞬にして権威をつける魔力がある。
例えその真実が虎の威を借る狐であろうとも。
周りの者は、「先生」を前に、少なくとも表向きは水戸黄門の印籠を見た悪役のごとく平伏すしかないのだ。
他方で、先生と呼ばれた者は、その魔力に酔いしれる。
いや、酔いしれるは少々大袈裟かもしれない。ジワリジワリと権威の魔力に染まっていくのだ。環境が人を創るっていうやつですよ。
私も、弁護士になって最初のうちこそ、先生と呼ばれることがくすぐったくて慣れなかったけれども、そのうちに、上述のように先生と呼ばない人に対して違和感を覚えるようになってしまいました。
今、思い返せば、自信がなかったんでしょうねえ。
ところが、今や、先生と呼ぶクライアントさんの方が、もしかしたら少ないかもしれない。
長いお付き合いの方やご紹介の方は「先生」と呼んで下さることもあるし、仕事の話か否かで呼称を変える人もいます。
その点は、私は、どちらでも良いのです。
いつの間にか、呼称には拘りがなくなってしまったようです。
むしろ、先生付けじゃない方が嬉しいくらいかもしれません。
権威は、人から怖がられたり、本音でのお付き合いを避けられたり、利用されがちだったり、と厄介なところもありますが、利点もあります。
例えば、私だったら、弁護士になったからこそ、裁判所も警察も不動産屋も怖くなくなりましたし、弁護士だから知り合えた・仲良くなれた尊敬する方もたくさんいます。
ただ、そういう対外的な効力はともかく、
対クライアントさんにおいては、私は、もう権威じゃなくても良いな、と思っているのです。
もちろん、自分の専門である法律周りのことやトラブルについては当たり前ですが意見を述べますし、クライアントさんをリードすることもあります。
「弁護士がこう言ってるから、と相手方に言い訳したら良いですよ。」と泥を被ることもあります。
でも、それを権威的に行うというよりは、どちらかというとその分野のリーダーとして、私の場合は時にカウンセラーとして、できることならその時々のビジョン(ビジョンは変わることもあるし変わって全然OK)をクライアントさんと一緒に見ながら、行いたいと思っています。
成長した・・・のか?
素に戻ってきたんだな。このブログのタイトルどおり(『人生はホントの自分に戻る旅』)。