誉めてもらったら、受け取る。の応用編です。
誉めてもらわなくても、受け取る。
・・・って、何を??
冷たくされたり、失礼なことをされたり、嫌われたり、嫌がらせをされることは、その人が私に関心を持っている(彼ら彼女らは絶対に認めないだろうが、私に価値を見出だしている)、ということを。
だから、私は、その価値を受け取るのです。
人間をやっていれば、誰でも、なぜか人から理由なく影に日向に攻撃されることがあると思います。
私によくある類型としては、
●近親憎悪型(主に女性)
●セクハラ型(男性)
●モラハラ型(主に男性)
があります。
このうち、近親憎悪型は、要は自分の嫌なところをお互いに相手に投影しているんですよね。
だから、この場合は、自分の価値を受け取る、というよりも、自分を嫌わないこと/許すことがメインになるのかな、と思っています。
次に、セクハラ型。
これは、難しい。
いやまあ、自分に性的魅力がある、ということは、現象面から比較的受け取りやすいのだけれど。
私は、離婚後、一時期、ロースクールの学費稼ぎのために、割と人数の多い職場で契約社員として事務の仕事をしていたことがあって、その時、結構セクハラを受けたんですね。
全くその気にならない人から飲み会帰りに露骨に肉体関係を迫られたことが、複数人複数回ありました。
(念のため言っておくと(笑)、当時の私は30歳を過ぎたたばかりで、今よりだいぶ痩せていたし、可愛かったのです。)
正社員だった時、結婚していた時にはない現象でした。
私は、そうした、社会的地位の上下や後ろ楯の有無につけこんで自分の欲望を満たそうとするゲスな男性達を憎みました。
でも、弁護士になれば、こういう不愉快なことに巻き込まれないだろう。と思いました。
果たして、セクハラには遭わなくなりました。
ところが、ほっとしたのもつかの間、
今度は公私にわたってモラハラを受けるようになりました。
弁護士になるために勉強していた時も、なってからも、
腹の底に男性達への怒り(男はどうせ私を見捨てるし役に立たない(→亡き父が発端)、その上女を馬鹿にして性的に搾取しようとするゲスな生き物(→セクハラが発端))と罪悪感(私が成功すると男の人を悲しませる)を抱えながら、自ら人を信頼することなく孤独への道を邁進して、
「誰も助けてくれない。」
「あんな嫌な思いをしないためには、強くならなければならない。」
と、強くもない気を頑張って強化し、武器を磨いてきました。
その成果か、確かに、セクハラはなくなりました。
でも、モラハラはなくなりませんでした。
私のピリピリとした本当の自信が欠けているがゆえの強がりに対して、同じように自信がなくて強がらなければ自己を保てない男性達が過敏に反応し、不毛な争いが生じる。
相手方からの懲戒請求は最たるもので、あの暗い情熱に恐怖を感じました。
どうして似たようなことが次々と起こるのか。
私の何かが、一部の男性を刺激するのだろうか。
一時期、本気で悩み、取った結論は、「自分1人で頑張るのを止める」でした。
他の弁護士の力を借りる、弁護士会の力を借りる。
時には、警察の力を借りる。
友人知人の力を借りる。
そして、終わりのない勝ち負けの世界から脱け出す。
戦いから降りる。負けを認める(仕事の場合は自分が撤退する)。
そうして、見えてきたものは、
セクハラ野郎(笑)もモラハラ野郎(笑)も、彼らは、理由はどうあれ、おそらく潜在的に、
「私なら自分を受け入れてくれる」
と思っていたのであろうということでした。
つまり、それだけ、私の包容力を感知していたということ。
表現方法は不愉快極まりなかったり、甘えであろうとも。
つまりつまり、私には、とてもたくさんの女性的な包容力がある、ということ。
これが、私が受け取る価値なのかなと思っています。
「攻撃は助けを求める声」という心理学の格言があります。
彼らが私に助けを求めていたのかどうかは、分かりませんが、
その人が私にとって大切な人であれば、できる限り理解をして助けるし、
そうでなければ、申し訳ないけど他を当たって下さい、貴方のお母さんや奥さんとの関係を見直してね~☆と思うのです。
あ、あと、ついでに女性としての魅力も受け取っておきます(笑)
(更に念のため。私の周りには、ハラスメント野郎じゃない素敵で優しい男性の方が多いです!)