皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
小川正美です。
あっ!メリークリスマス!!
私は、今日は在宅で仕事をしていまして(猫たちとも相当なごなごしたりプチ断捨離したり)、夕方近くになって「やっぱりクリスマスだからケーキが食べたい!」と思い立ち、近所の美味しいケーキ屋さんに行って買ってきました。
小さいお店だから、外に行列ができていたよ。
予約なしでも買えるケーキが若干あったので、苺のショートケーキ(クリスマススペシャル・苺の量がいつもより多いらしい)を2個買いました。
ええ、1個って言うのが恥ずかしくて見栄を張ったのよ・・・フフフ
もう1個は明日食べるからいいんだもーん。ああ、美味しかった!
ところで、最近の私は、「自分を許すキャンペーン」実施中です。
どうしてかというと、上の記事でも書きましたが、まあ、ちょっと7年越しの相手方ご本人から訴えられまして、慰謝料を請求されているんです。本人訴訟と言いまして、代理人弁護士はついていません。
これまでの相手方の私に対する攻撃は弁護士会に対する懲戒請求だったわけですが、訴訟になって攻撃度がアップした感じです(ちなみに懲戒請求は手数料は無料、訴訟は訴額に応じて印紙代がかかります。本件の場合3万円ちょっと)。
この話がなんで自分を許すことに繋がるのか?疑問に思われた方もおられるかもしれません。少し説明させて下さい。
私は、世界を自分が創っているという考え方を採用しています。
心理学的に言えば、自分の内面が外側の世界に投影される、つまり、例えば、自分で自分のことを可愛いと思っていれば周囲の人も可愛がってくれるし、自分で自分のことを可愛くないと思っていれば周囲の人はそういう扱いをする、ということです。もっと正確に言うと、前者の例で言えば、「私は可愛い」の世界で生きていると、可愛くないという批判は耳に入ってこないし入ってきたとしても「ふーん。あの人はそう思うんだ。私とは違うんだね。」とスルー出来るし、自分を可愛いと思っていると自信のある雰囲気になるし可愛い私に相応しい外見や言動を無意識のうちに選択するようになって実際に可愛くなるのです。
したがって、今回の訴訟の件についても、「私が相手方にこの訴訟を提起させた」と思っています。
大丈夫でしょうか?ついていけないと思う方もおられるかもしれませんが。
頑張って~!または、そっとページを閉じて~!
で、そうだとすると、何のために?という話になるんですよね。一体、私の中の何が、こんな嫌な現実を引き起こすのか。
もちろん、被害者になってもいいし、やり返してもいい案件だとは思うのですが、私は貪欲なので、それよりも、このことから恩恵を得たいのです。ピンチをチャンスにしたいのです。
今のところの答えの1つは、「自分を許すため」です。
この現実が私の内面の投影だとしたら、私の中で何らかの戦いが続いている。つまり、私のことを嫌いな私が、懸命にその嫌いな私を攻撃しているのだ。その戦いが外側の世界に投影され、相手方に私を攻撃させているのだ。
そうだとすれば、私が、私を全面的に許すことができ、私の中の戦争が終わったら、きっと相手方のことも許すことができる。
そうなれば、訴訟の帰趨がどうなろうと(いや、申し訳ないけど判決になったら勝ちますけれど・・・)、相手方がどんなに私に執着して攻撃を試みようと、許せるし、気にならなくなる。
ということになります。
キリスト教で言う、汝の敵を愛せよというやつでしょうか。
いや、愛さなくていいのです。
ただ、存在を許可する。攻撃してくることを許す。攻撃される自分を許す。
このことに、ここ3週間ほど取り組み続けているのですが、そうしていたら、どんどん自分の気持ちがラクになってきました。
この訴訟のことだけではなく、
全く別の仕事で自分の主張を通すことや相手方代理人に対して感情的になってしまっても罪悪感を抱かなくなったし(反省はして、自分を整え直すけど)、
自分の怒りも依存心も嫌わなくなったし(だってたまには甘えたいもん。しょうがないよねえ。と思ったら他人の依存心にも以前より寛容になった)、
自己憐憫も許すし(私かわいそう!って自分に対して思ってあげると、意外と人にはかわいそうって言ってと要求しない)、
人のことを悪く思うことも許せるし(良い子癖があるのでそういう自分を許せなかったけど、許したら意外と悪く思うのは一瞬で済む)、
寂しくても強がっちゃうのも仕方ないと許せるし(「弁護士たるもの大人たるもの」が強かったけど、寂しいと認めたら変な我慢が減った。)。
そして、今日は、「私は恵まれているんだから、これくらい我慢しなければならない。現状に満足しなければならない」という思い込みが、母のために作った「うちは母子家庭にしては恵まれているんだから、パパがいなくて寂しいって思っちゃいけない」というルールに起因していたことに気が付きました。
結局おかんか!どんだけおかんのこと好きなんや(笑)
でも、どおりで、私は、そこそこで満足しようとする癖、どこか自分を枠の中に閉じ込めようとする癖があるんだ、と思いました。
こうして自分を許しまくっていたらですね。
今日、唐突に、どわわわわー--っと、身体の奥底から安心感が湧いてきたのです。
比喩的ではなく、実際に、ほっとしたポジティブな感情のエネルギーが身体を満たして、身体が熱くなり緩む感覚がありました。
それは、安心感の海の中で揺蕩う感覚。
南の島の遠浅の海で遊んでいるような。光射す高い透明度の海底で中間浮力で遊泳しているような。
本当に久しぶりの、もしかしたら父が亡くなる前の私が幼い頃家族で過ごした時代以来かもしれない、心地好い安心感でした。
ずっと浸っていたくなるような。
この心地好い安心感にいつでも戻ることができるなら、私は、もっともっと今の自分の器を超えることができるかもしれない。
これまでも、そうやって、私は大きくなってきたじゃないか。見たことのない世界に来たじゃないか。
そんな風に、ふと思いました。
この訴訟がなかったら、私はこんな風に思うことはできなかった。
相手方に、感謝の気持ちすら、湧いてくるのです。
★ひっそり募集しています。なんかひっそり気分なのだ。