皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
たまに戦う弁護士の小川正美です。
またまた例の訴訟の件なのですが。
前回の記事は、反訴状を裁判所に送付した時点の記事でした(だから若干アドレナリン過多の興奮状態)。
★訴訟の相手方と自分に向き合ってみたら、自分も相手方も許すけど、泣き寝入りはしません。なぜなら私は私が大切だから。と思った件。
あれから、裁判の期日があり、反訴は無事係属しました。
🌻🌻🌻
これとほぼ時期的に並行して、別件で、難しいタイプの相手方その2(代理人なし、ご本人、以下「相手方2」と呼びます)と交渉するお仕事がありました。
こちらは、色々滞りがあれど、和解契約書調印に至ったのですが。
相手方2は、久々に例の訴訟の相手方と同等かそれ以上の難しい人でした。
ただ、私が例の訴訟の件の代理人として活動していたのは7~9年前なので、私自身の経験や成熟度も違いましたし、クライアントさんの精神的成熟度も違ったし、今回は関係者のサポートもあったので、早期解決に至りました。
相手方2ご本人と、通常の案件の数倍じっくり話をしました。
話を聴くことで、相手方2の激昂もいくらかは治まったようでした。
主張や交渉方法に理不尽な点や話し方に粗野な点のある人だったので、交渉の終盤近くには、私が逆に激昂もしました(笑)
でも、その直後、相手方2が冷静になり、私も、相手方2が求めていることはお金でも謝罪でもなく心の繋がりだったんだな、ということが分かったので、
「人間なんて信じられない。」という相手方に対して、私が、
「相手方2さんは、ホントは人を信じたいんじゃないんですか。」
と言ったところ、その後ほとんどすんなりと和解に至りました。
そんなこともあるんですよねえ。
🌻🌻🌻
相手方2の案件終了後、ふと閃きました。
「あ、もしかして、例の訴訟の相手方も、仲違いしてしまった兄弟たちと繋がりたいんじゃない?」と。
家族の関係が悪くなったという点は、彼本人も、本訴で慰謝料請求事由として主張しているところでしたが、主訴はこれだったのかな、とその時思ったのです。
要するに私への訴訟提起は兄弟げんかのとばっちりじゃないか。
と、思ったら、腹も立ちましたが、ああ、そういうことなら相手方本人はもちろん兄弟たちで話し合いするとかコミュニケーションするとかして解決してもらおう。と思ったのです。
そこで、私は、早速、仲違いした兄弟たちに電話をしました。もともとの彼らの父親の離縁訴訟の時から、事情聴取や証言の依頼をするなどしていたので、私は彼らの連絡先を把握していました。
数年ぶりでしたが、亡父の遺産分割協議は、お亡くなりになってから4年経過しているのにまだ手つかずで行っていないということでした。
そこで、私は、相手方の兄弟たちに、電話で、お願いとして、①遺産分割協議に着手して欲しいこと(兄弟間の対話が始まるから)、②それが無理ならせめてゴルフでも何でもいいからコミュニケーションを取って欲しいこと、を伝えました。
回答は、いずれも難しい、とのことでした。
私の中で、何かがブチ切れました。
肚の底と頭の芯から声がしました。
「なんで私がお前ら兄弟のケンカに巻き込まれてこんな目に遭わなきゃならないのよ。」
堰を切ったように、言葉が次から次へと出てきました。
普段の私だったら言わないような少し悪い言葉遣いもしました。
でも、頭は冷静なので、怒鳴ったりはしませんでした。
内容は、要するに、彼らの亡き父の離縁訴訟が終わった直後に相手方から懲戒請求をされ、もう7年が経過していること、
7年という時間の長さを想像してみて欲しいこと、
懲戒請求され訴訟の被告になるということは弁護士だからといって平気なわけがないこと、
しばらくはストーカー行為の可能性も考え恐怖を抱いたこと、
人間関係のもつれはいくら弁護士を入れようが、当事者にしか本質的な解決はできないこと、
こうしたことを鑑みれば全く割に合わない仕事だったこと(笑)、
自分たちのことだろ、他人の私を巻き込むんじゃねえよ、ということ(笑)
まあ、概略、そんな感じでした。
溜め込んでいた怒りって、マグマのように溢れ出てなかなか止まらないんですね。
最初に相手方の兄弟の1人に電話して、次々と私は電話で激昂しました。
若かった頃は、しつこく怒り続ける上司やクライアントさんや相手方や様々な大人たちを見て、「よくあんなに怒り続けられるなあ・・・」と思っていましたが、気持ちが分かる気がしました。
今回は、私は電話だけで止まりましたが、怒っても怒っても「まだこんなもんじゃない」という気持ちが出てくるのです。
モラハラ上司やら夫やらクレーマーやら、立場的に「自分は怒ってもいい」と心の中で許可している人たちなら、延々と怒り続けるところでしょう。
上記の代理人として和解した案件で相手方2に激昂した時には、このような滾々と湧き出る怒りはありませんでした。どちらかというと、スカッとした感じ。
例の訴訟の相手方と相手方2の場面で違うのは、私の被害感情が上乗せされているかどうか、という点です。
どちらも、話している相手に対する私の愛がないわけではないんですけれども。あなたたちみんな、人との繋がりが欲しいんでしょ、という。
たぶん、被害感情=自分は怒っていい、という自己正当化がなされると、怒りの下に隠して溜めていた第一次感情(悲しみ、寂しさ、悔しさ、惨めさ等々)が、目の前の相手とは関係なく、怒りのカタチでどんどん溢れ出てきてしまうのでしょうね。
とはいえ、人をサンドバックにして負の感情をぶつけることは、負の感情の底にある愛に到達できなければ、負の連鎖を生むだけです。
それは避けたい。愛に到達したい。
じゃあ、私が、とばっちりを受けた(笑)私なりにできる、例の訴訟の相手方とその兄弟たちへの愛って、何なんだろう。
それはやっぱり、兄弟がまたコミュニケーションをすることを促すことだろうな、と思ったのです。
分かって貰えなくて、怒っちゃったけど(笑)
そこで、昨日、例の訴訟の準備書面を書きました。裁判所から宿題になっていないのに、自ら。
代理人弁護士としてクライアントさんからこう書いてくれ、と言われたら、正直躊躇する、法律論一切なしの感情論だけ。
でもまあいっか、だって私、代理人弁護士ではなく、訴訟当事者だし!
その一部を転載します。「被告」=私、「原告」=相手方です。
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本件において、原告は被告を縷々非難するが、原告が認識している被告による精神的損害とは、要するに、被告による亡父の訴訟等の弁護活動によって、原告が実父及び他の3人の兄弟たちとの人間関係が険悪になった、ということである。
(中略)
そもそも、人間関係の再構築をするのは当事者が自らの責任において行うべき事柄である。
こうした事情に鑑みれば、原告及び原告の兄弟ら4名が、これから亡父の遺産分割協議やその他の日常生活の場面において兄弟としての交流を取り戻す可能性はあるだろう。
もとはと言えば同じ両親から生まれた兄弟であるし、うち長男から三男までの3人は同じ会社で勤務していた仲なのであるから、誰かが「これまでのことは水に流したい」といえば、交流が復活するのではないか。
勇気が必要であることは理解できるが、シンプルに、「ごめんなさい」と「ありがとう」を言うだけで、人間関係は復活するものである。
被告の個人的な意見ではあるが、原告も、原告の兄弟らも、残りの人生において、仲違いを他人である弁護士のせいにして人生の本質を見誤るよりも、今勇気を出して仲直りしたほうが、死ぬときに後悔しないですむのではないかと考える。
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「ごめんなさい」「ありがとう」が人間関係を良くする。復活させる。
というのは、私が会員であり顧問先でもある、Collabo Earthさんの受け売りなんですけれども。
例の訴訟の相手方、相手方2、これまで私が関わった数々のクライアントさん達に相手方達にもぜひ届いて欲しいのと同時に、
私自身も、「ごめんなさい」「ありがとう」を言えなかった、言えていない人達がたくさんいるなあ・・・
と思うのでした。
ほらやっぱり。人は鏡だった。