もう1年近く前の記事の続きですが。
今日も、ふと、私は弁護士になることが決まっていたのかもしれないなあ。と思いました。
それは、↑の記事で書いた、離婚後、司法書士試験に落ちたことも大きな一因なのですが。
離婚時、離婚後の状況を思い出すと、この流れしかなかったように思うのです。
分かりやすいように、当時の状況を時系列で書きます。弁護士らしいぞ(笑)
(1)私29歳の時に、元夫と別居、私は実家に帰る。当初弟と母と3人暮らし、途中で弟が結婚、母と2人暮らしに(父は当時の約20年前に他界)。
(2)私31歳、離婚。司法書士試験不合格、ロースクール受験に方向転換。学費稼ぎのため派遣社員・契約社員として働く。
(3)私33歳、仕事を退職。ロースクール入学。入学後まもなく、母が発病。
(4)私34歳、母他界。
(5)私36歳、ロースクール卒業、司法試験合格。
こうしてみると、やはり、私が弁護士になった大きなきっかけは、離婚による経済的自立の必要性と、それを果たすための各種選択肢のうち比較的短期合格ができると思われた司法書士資格の取得が頓挫したこと(カッコよく言ってるけど要は落ちた(笑))です。
そして、勉強をやり抜いた大きな理由は、母の死による、1人で生き抜くには合格するしかない(と当時は思っていた)という悲壮感漂う決意、母へ親孝行できなかったことに対してせめて合格して報いたい、ということでした。もちろん、お世話になった先生方、同窓の仲間達、応援してくれた友人達あってのことです。
この、母の死のタイミングが、こういう言い方は語弊があるかもしれませんが、絶妙だったのです。
もし、私がまだ結婚していた時に母が亡くなっていたとしたら、私は、たぶん、離婚しなかったと思うのです。今もそんなに強くないけれど、当時の私はとても精神的に弱くて幼くて、自分1人で自分のために生きるなんて無理だと思っていたから。
また、私が離婚した後であっても、ロースクールに入学する前に母が亡くなっていたとしたら、私は、ロースクールに行かなかったと思うのです。おそらく、最短でも3年間にわたって頑張り続けるモチベーションを維持することはできなかった。
ロースクールに入学後だったから、既に走り出していたから、走り続けるしかなかったし、走り続けられた。
そして、母が亡くなったことは、
本当に悲しかったし、後悔も未だにたくさんあるし、正直に言えば、自分が生き残ってしまった罪悪感というまるで戦争から生還した人みたいな気持ちもあったし、もちろんもし生きていたなら私の精神的な自立を巡ってここ10年くらいは母子闘争(笑)があっただろうし、だけどやっぱり色んな親孝行がしたかったけれど、
なんとなく、「これが必然だった。」と腑に落ちました。
と同時に、
私は、弁護士になることが決まっていた、いや、決めていたんだなあ。とも思いました。
もし、自分が決めていなかったとしたら、上で述べたことと矛盾するようですが、母の死が入学前だろうが入学後だろうが、その後、私は、走るのを止めていたと思うのです。
ただ、どこか、自分の覚悟が足りなくて、自分の人生なのに何だか責任を取りたくなくて「なんとなく流れでこうなった。」という態度でいた方がいいような腰が引けた気持ちがあって、これまで、「自分で弁護士になることを決めていた。」と言えなかった。合格して実務について11年も経つ今でさえ。
こうしてみると、母の死以外にも、父の死や様々な人々との別れも、「なんでこんなことがこのタイミングで起こるの?」という一見不運だったり理不尽だったりする出来事も、
本当は必然であったのに、自分の感情に溺れてそのつらい出来事を受け容れられないゆえに、自分の内側にある本道を見失ってしまい、自分の外側の出来事にばかり心を奪われ、それらの出来事を通じて何度も似たような感情を味わうことを繰り返していたように思います。
感情が悪いという話ではなく、感情は、良いものも悪い(と感じる)ものも、様々な色合いで私たちにこの世界の美しさを教えてくれます。
ただ、感情に溺れて自分の外側(他者、社会、将来、過去等)にばかり意識が向くと、今、ここにいる自分に必要な思考が乱れたり、直感をキャッチできなかったりして、自分の精神や肉体の状態が乱れてしまう。果ては、目の前の現実が上手くいかなくなる。
感情は、感じ切ってしまうと消えてなくなり、抑圧すると大きくなり溺れがちという性質があるので、自分の内側、感情に向き合うことをしていると、消えて流れて、心の中だけでなく時に身体もスッキリとしていきます。
パソコンで言えばメモリーに余裕がある状態になるので、潜在意識から降ってくる(湧いてくる?)直感をキャッチしやすくなりますし、思考も整理され効率的に働きます。自分に集中するって大切ですね。
(余談ですが、感情がメモリーにたまるとしたら、思考はやっぱりCPU?直感は何なんですかねえ。気になります。)
とまあ、マニアックな話になってしまいましたが、実のところ私はこれまで成り行きで弁護士になったような感覚があったのですが、もうすぐ12年目にしてやっと、
私は、弁護士になることを決めていたんだ。
と、思った今日なのでした。
それもまた、神様のはからい。
心にほのかな灯が点いたような、そんな感じ。