前回の記事の続きのような話。
東洋思想でよく言われることだが、私は、「人間は、今回の人生で何歳まで生きるかをあらかじめ決めて、この世に生まれてきている」と思う。
いや、人間に限らず、全ての命あるものが、たぶんそう。もちろん、猫たちも。
それが客観的事実かどうかは現代の科学では証明できないので分からないけれども、私にとって、そして割と多くの人にとっての真実なのだ。
なぜ、これを真実と思うかと言うと、ぶっちゃけた話、そう考えた方が、生きるのにラクだから。
愛する人やペットの早過ぎる死や突然の死を受け容れて、再び立ち上がって自分が残された人生を生き続けるには、例え客観的にその人が人生を全うしていなかろうが自分がもっと何かできたんじゃないかと後悔があろうが、
「それは、それ。」「あの人は、ここまでの命だと決めていた。」
と、冷たい言い方をすれば、割り切る必要がある。
そうして、立ち上がって、私たちが自分の人生を生きることが、亡くなった愛する人の喜びなのだから。
同じ考え方は、もう少し距離のある関係性の人に対しても言える。
例えば、医療従事者、弁護士、教員、カウンセラー、宗教家等々にとってのクライアント。動物の保護活動従事者にとっての動物たち。親戚、友人、知人。
時には、見知らぬ、天災の被災者、犯罪被害者。
私たちは、思いがけず夭逝した人々や動物たちの儚い命を思う時、哀切、無力感、罪悪感、無常感、虚無感を感じるけれど、
どこかで、
「それは、それ。」「あの人は、ここまでの命だと決めていた。」
と、認識して、立ち上がる。
そうして、自分が決めてきた命を、懸命に生きるのだ。
亡くなったの人のぶんまで生きることは、とりあえすはしなくてもいい。背負うことになってしまうかもしれないから。
まずは、自分を生きて、余裕ができた時に、つまり、あなたが自分への愛を存分に注いで充たされて溢れた時に、そうしたかったら、すればいいだけ。
確かに、本人は無念だったかもしれない。自分はこんなところで死ぬのか、と、地団駄を踏み、絶望し慟哭し、場合によってはそんな暇さえなかったかもしれない。
だから、その人のぶんまでその人の果たせなかった夢や仕事を承継したい、というのも素晴らしい愛だ。
けれど、背負いすぎては、元も子もない。
こういうケースでは、往々にして、残された人は、背負いすぎてしまう。愛情の深さゆえ。
でも、きっと、亡くなった人は、あなたが苦しんでいるさまを見たくはないよね?
だから、敢えて言う。
まずは、自分を立ち上がらせる、と。
別の観点から見れば、私たちは、どんな苦しみからも、立ち上がる力、底力を持っている。ということ。
それは、老若男女、社会的地位、経済力の有無には関係ない。底力には、自分でどうにもならない時には、「助けて」と手を伸ばす力、自分の弱さを認める力、人から愛される勇気も含んでいるから。
立ち上がるのは自分だけれど、1人でキリキリと頑張らなくてもいいの。
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