皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
最近の私ですが、怒り、悲しみ、寂しさ、惨めさなどのネガティブな感情の解放が起きています。
むかーし昔、それこそ小中学生時代の怒り、寂しさなどを相当抑圧してきたことが分かってきたのです。
あ、ちなみに、人や猫にはぶつけていません(たぶん。笑)のでご安心を。やっとピークが過ぎた感があるので、こうして記事にも書けるようになってきました。
・・・と書いて気が付いたけど、最近も父に対する「なんで死ぬんだ」という怒りが残っていたことを書いてましたね。あはは。忘れてた。
ここから派生して、今回新たに、父が亡くなったことによって転校したことや転校先で人生初の友だちからの無視に遭ったこと(ボス的な子がいてグループ内の女子が順番に無視されて私にも回ってきた)に対する怒りと悲しみと恐怖、やり返した(やり返したのよ(笑))ことに対する罪悪感、そもそも無視を企てた子に対する嫉妬(彼女には立派なお父さんがいていつも自慢していた)や軽蔑の感情、等々が出てきました。
子ども時代のことだし、すっかり立ち直っているつもりだったし、中学に入ってからなぜかその子とはまた親しくなったのでいつまでもグダグダ恨みがましく思っているのも自分カッコ悪い、みたいな自制心もあって、様々な感情を抑圧していました。
でも、この体験が、実は、その後思春期から現在に至るまでの私の観念というかよく言えばポリシー形成の礎になっていたのでした。
理由なく人を無視することは人を傷つけるからよくない。無視が嫌い。だから、私は無視をしない。
理由なく人を無視するようなレベルの低い人間になりたくない。そういう人間と同じカテゴリにいたくない。だから、私は勉強してそういう人間と関わらないですむ場所に行く。
私は、やられたらやり返す人間だ。でも、やり返したら人を傷つけるから、できるだけやり返したくない。
・・・などなど。
こうした傷ついた心がベースにある正義感って、正しいことを言ってはいるのだけれど、どこか違和感というか聞いていてツラくなるというか不自然さがありますよね。
それって、「私は傷ついたんだ!」「あの子に嫉妬した!」という本当の気持ちを発するのが色んな事情でできなくて(弱さを出しても周りに迷惑だろうとか、被害者ぶるなよという自分ツッコミが入るとか)、
本音を、誰が聞いても納得せざるを得ない正しさで塗り固めて隠している、つまり、本音と建前が一致していないことに対する違和感なのだと思います。
この違和感は、聞いている周りもそうですが、実は本人が一番感じている。でも、心の底に抑圧しているから、顕在的には認識できない。むしろ、他の感情(やり返したことへの罪悪感、許さねばならぬという気持ちなど)が本音の上に降り積もって、自分としては、「大したことじゃない」と水に流した気になっていたりする。
このため、抑圧した本音に気が付いてあげるまで、その本音(傷ついた痛みや恐怖や怒り、嫉妬心)が気が付いて欲しくて何度でも似たようなパターンの現実を産み出す。
上に述べた、無視に酷く傷つく、選民思想(笑)、傷ついた時に許すことを焦りがち、人を傷つけることを極度に恐れる、は、まさに今も継続して持っている私のパターンです。
特に、私は、仕事柄もあるのか、「許すことを焦りがち」です。
仕事でも、プライベートでも、相手を許すことで早く円満解決をしようと焦るのです。
もちろん、結論的には、人や自分をいつまでも憎み許さないでいるとエネルギーを自己攻撃に使うので非常にもったいない。許すことで、自分が楽に生きやすくなるのは確かです。それは、実体験として間違いありません。
ただ、許しに至るまでには、当然のことながらプロセスがあり、傷つけられたら、まず最初は、痛いしムカつくし悲しいし寂しいに決まっているのです。そんなん簡単に許せるわけなかろうもん(人間だもの。そしてなぜか博多弁)。
でも、私は、そうしたネガティブな感情を外に出すことはもちろん、自分で感じることも禁止してきたのでした。(これには理由があって、昔愚痴をダダ洩らし過ぎて友達に引かれたとか母の愚痴にうんざりしたとかの経験がありました。)
そして、早く楽になりたくて、そして優越感を感じたくて(上で述べた選民思想)、許すことを急いだのです。
今日のタイトルのとおり、「いい子になって、結論を先取り」していたのです。
で、いい子をするのはやっぱり無理があるから、疲れたわけです。
ネガティブな感情がめちゃめちゃ出てきたのです。
長年溜めていたエネルギーはすごいぞ。桜島やキラウエア火山もびっくりな感じ。紙に書くくらいじゃ足りなくて、大声出すとか物を投げるとか身体を使って怒りを発散したもの。そして、芋づる式に色んな怒りが次々出てくるのですよ。ああ、こわい(笑)
もっと早くこの感情を解放できていたら、こんなに蓄積していなかったのになあ・・・と思いました。
ただ、感情の解放が進む過程で、私が小学校の時に無視してきた子に無視をやり返したことも、悪くはなかったんだな、と思いました。
私が、自分が感じた怒りや悲しさや怖さを彼女に伝えたことにはなったから。もちろん、無視というやり方は良くなかったけど、子どもだったし、立派なお父さんのいる彼女が羨ましくて、やり返すしかできなかったのですよ。
つい最近、クライアントさんともお話したのですが、嫌なことを言われたり言い方が嫌だったりしたときは、速やかに、その人自身を否定するつもりではないことを伝えて、「私は、そういうのは悲しくなる。」ってアサーティブに言えたらいいんですよね。
これも感情の解放ですよね。
とっても難しいですけれど。特に、関係性を良好に保ちたい相手に対しては、ついつい我慢しちゃいますし、パートナーや家族など心の距離が近い相手には、ついつい雑な言い方(ムカつくー!とか)になっちゃいますから。
でも、それができれば、大人への怪談もとい階段を昇れるのかなあ、と思うのです。

(小学校時代を思い出したらトシちゃんの歌も思い出した)