皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
先日の眠り期が過ぎたのか、今日試しにやってみたセルフ腸揉みが効いたのか(お腹が柔らかくなったー!)、はたまた仕事に目途が立ちつつあり余裕が生まれたのか、更には宇宙との交信期が終わったのか分かりませんが(笑)、ブログ記事、しかも結構長文の記事を書くパワーが復活してきました。
自己嫌悪の弊害
突然ですが、自己嫌悪って、ツラいですよね。
ツラいばかりでなく、自分の大切なエネルギーを自分を攻撃することに使ってしまうので、頗るコストパフォーマンスが悪い、もったいないことでもあります。
けれど、なぜか、したくもないのに、私たちは「こんな自分はダメ」と、自分を嫌ってしまいます。自分のことが嫌いだと、いつまでも嫌いな点について自分に自信が持てず、人からも嫌われるに違いない、と確信するので(投影の法則)、一所懸命に自分の嫌いなところを隠そうとします。
また、自己嫌悪は、自分を攻撃します。
直接的に、頭の中の声が自分に対して「またこんなことして!ダメじゃないの!」と𠮟りつけてくることもあれば、間接的に、他人を使って攻撃する、すなわち内心で自分が嫌っている自分を他者も嫌うはずだと投影するということもあります。
この場合、上で述べた投影について知識がないと、ほとんど無意識に「あの人は私のここを嫌っている、攻撃している」と認識してしまいます。
注意が必要なのは、それが全く自分の勘違いで他者は自分のことを嫌っていない場合もあれば、お互いに似たような点を自分で嫌っているため、同族嫌悪を発動して嫌い合っている場合もあるということです。この区別がつかないと、前者の場合、勘違いですれ違うことにもなってしまうという悲しい事態になることもあったり。
そして、自己嫌悪が強くて、自己攻撃が激しくなり過ぎると、その攻撃の苛烈さに自分が耐え切れず、矛先を転嫁して他者攻撃を始めてしまうこともあります。
モラハラはコレです。理不尽ですよねえ。「攻撃は助けを求める声」なんて言ったりもするのですが、この話は長くなるので、また別の機会に。
要するに、自己嫌悪は、自分にも人間関係にも、もろもろ悪影響を及ぼしますよー!ろ言いたいのでした。
なので、嫌いな自分をちょっとだけでも許し、受け容れることができると、かなり自分の気持ちはラクになりますし、それに伴って人間関係もラクになります。換言すると、自己肯定感を上げようね~!ってことです。
自己嫌悪の具体例(私の場合を例に(笑))
自己嫌悪するのって、自分が自分で自分のことを嫌いになったというよりも(ややこしいな)、誰か(多くは子ども時代の親や先生や友達、大人になってからは上司や先輩や恋人など)の目線基準で、「よくない」とされていることに自分が当てはまる場合に、自分のことを嫌いになるのだと思います。
例えば、私の場合だったら、
内面的には、ワガママ、自分勝手、ズルい、冷たい、計算高い、日和見、努力嫌い、怠け者、優しくない、プライドが高い、自信がない、中途半端に優秀、口が立ち過ぎる時がある、等々。
外面、物質的なことでは、体力がない、美醜(あまり気にしてないけど)、年齢(これも最近はあまり気にしてないけど)等々。
・・・こんなに自分と向き合ってきておいて、まだこんなに自分のこと嫌いなのかっ!
と思わずツッコミたくなりましたが、まあ、これら全部についていつも自己嫌悪しているというより時と場合によって発動するという感じです。もちろん、完璧主義も理想主義も平和主義も漏れなくありますよ、ええ。でも、これでもだいぶ自分のこと好きになったのよ!これでも!!しょうがないじゃん!!(何も言われてないのにムキになる)
そして、これら自己嫌悪ポイントを見返してみると、私は、見事に、他人軸というか、他人から言われたネガティブな評価に基づいて自己嫌悪しているのでした。母から叱られたこと、友人や上司や恋人や親戚たちから言われたこと、ほとんど私と無関係な他人様から言われたこと、等々。
ということは、自分軸で、私は自分についての他者評価になんて揺るがないぜ!という生き方ができるならば、自己嫌悪をすることは無くなるはずです。
・・まあ、言うは易し行うは難し、なんですけれどもね。
なので、自分軸全開バリバリ!(昭和)とはいかない、他者に配慮してしまう優しい我々が自己嫌悪をちょっと緩めるためにできる方法を、次に挙げていきます。
嫌いな自分をちょっとだけ許す3つの方法+1
どうすれば、嫌いな自分をちょっとだけ許すことができるのか。
初めに、「+1」の方からご紹介します。3つと書いたのにもう一個書きたいのがあったよ(笑)
ごく簡単なやり方ですが、自分が短所と思って嫌悪しているところも、見方を変えれば長所になるので、ひっくり返してみましょう、というものです。
例えば、
「ワガママ、自分勝手 → 自分軸が確立されている、流されない」、とか。
ものは言いようですよね~。それで良いのです。
やってみると、予想以上にスッキリするのでお勧めですよ。ノートに書き出して赤ペン等で自己嫌悪(欠点)を二重線で消し、横に長所として書き直す方法がよりスッキリします。
続いて、嫌いな自分をちょっとだけ許す3つのやり方その①「自分を嫌っている理由を知る」です。
上で述べたことと繋がっていますが、自分を嫌っている理由を知るということは、他人目線で自分を嫌っていたこと、「べき/ねば」な観念(思い込み)に自分が縛られていること、に気が付くことです。
そうすると、「あー。自分の人生なのに他人の目を気にし過ぎてた!あほくさ。」「だいたいさ、自分が思うほど他人は私のこと気にしてないっつうの。」となって、自分軸を取り戻せることももちろんありますし、
「でも、こんなにも人の評価を気にして自分を嫌って窮屈に生きてきたのも、誰かや自分自身を守るためだったりするんだよねえ・・・(しみじみ)」と、自分の中の愛に気が付いて手放すことができることもあります。
いずれにせよ、自己嫌悪の感情から離れることができますよん。
嫌いな自分をちょっとだけ許す3つのやり方その②は、「投影を取り戻す」です。
自己嫌悪しているところを他者に投影すると、自分と似たような点を持っている人を嫌ったり、イライラしたりします。
この投影を取り戻して、その他者を許す・受け容れることができると、不思議と自分の嫌っている点も許すことができるようになります。
やり方としては、
・嫌いな/イライラするあの人の長所、価値、魅力をめっちゃたくさん並べる。
・嫌っている相手の点は自分の自己嫌悪している点だと認識し、受け容れる。
・投影している相手のことを「私は、〇〇さんのことが羨ましい」と口に出して言ってみる。
など。サラッと書きましたけど、投影を取り戻す作業って結構過酷で、以前私は10人くらいの人について20個ずつ長所を書きましたけれど、「おえっ」と吐き気がしました(笑)
でも、良薬は口に苦し、ということで、かなり効果はありました。投影を取り戻すと、不思議とそれまでイライラしていた相手のことが平気になるんですよねえ。
そして、本日の私的メイン、嫌いな自分をちょっとだけ許す3つのやり方その③は、「巧みに隠している自己嫌悪に自分で気が付いてあげる」です。
私たちは、大人になればなるほど、自分を守る知恵をつけます。
自己嫌悪もありのまま生の状態で感じていると心が疲れますので、私たちは、「私は自己嫌悪なんてしてませんよ~おほほほ」とばかりに、巧みに心の奥深くに、自己嫌悪を隠し、見て見ぬふりをします。でも、実は潜在的には気が付いているので、何だかモヤモヤとしたり、いつもと違う変な感じがしたり、それが相手に伝わってなぜか人間関係がぎくしゃくしたりします。
この、隠している自分の嫌っている部分について、「あ、隠してたんだ!自己嫌悪していたんだ!」と気が付いてあげると、それだけで、なぜか自分をちょっぴり許せたりします。
じゃあ、隠している、って具体的に何よ?って話ですが、例えば、既読スルーが激し過ぎる問題などは典型でしょう。
既読スルーについては、心理学や恋愛テクニック関連のネットの記事を読むと、「男性は必要のないメールには返信はしない」「だから既読スルーを気にし過ぎなくていい」「追い打ちは責めているように取られるからダメ」などと書いてあったりします。確かに、心理学的にはそうだよね、と私も感じるところです。
とはいえ。
まあ、でも、普通にムカつきますよね(笑)失礼だな、と思うもの。
え?私だけ??そんなことないですよね~
でも、一般論である「ムカついたことを男性に悟られてはならぬ」という観念について、頭(思考)で理解してメリットがあると考え、これを自分が採用してしまうと、私たちは、ついつい、「ムカついた」という本音の感情を「そんな心の狭い自分はイヤだ」と自己嫌悪してしまいます。
そして、「ムカついた」瞬間、反射的かつ無意識に、そんな感情ないない!なかったことにせねば!と感情を抑圧してしまいます。
それでも、抑圧した感情は抑え込まれているだけで無くなりませんから、マグマのように溜まりに溜まって、いつか爆発するわけです。
爆発は人間関係を破壊することもありますから、だんだんと賢くなってくると、あからさまな爆発は大人として具合が悪い、自分も傷つく、というわけで、無意識に回避をしようとします。
そこで、また思考を使って、今度は抑圧ではなく自己正当化をして巧みに小出しをすることを始めます。
例えば、「既読スルーなんて大人としてどうかと思う。」ということから始まり、「そんなことしているあの人のことが心配だわ。注意しよう。」なーんて余計なお世話、コントロールへと展開していくこともあったり。嫌味を言ったり。
正しさにかこつけて、自分のクレームを通そうとするんです。
これ、ホントやりがちだし、私もやってしまうことがあります。正しい、ってそれくらい大人の社会では力があるから、人は、つい正しさに頼り、正しさを武器にしたくなってしまうことが多いものだと思います。
女性だけでなく男性も多いですよね。もしかしたら、男性のほうが思考優位な人が多いし仕事等で「正しさ」基準で動いていることが多いので、自己正当化の傾向は強いかもしれません。
ただ、正しさを押し通してしまうと、人間関係は破壊されます。これはほぼ間違いがない。
例えば、遺産分割の場面など。
結局、正しさを武器にして相手を屈服させたり意趣返しをしても、相手との距離は離れてしまうので、幸せな感情を感じることはできなくなります。
そんなとき、自分で、「あ、今私、正しさを武器にして相手を攻撃しているなあ、そしてその底には自分の自己嫌悪を隠したい気持ちがあるなあ。」、と気が付いて、その気持ち(競争心、自己嫌悪)を手放すと、相手を攻撃する気持ちも消えますし、何とか(元来良好な関係はもちろんのこと、紛争状態においてさえ)win-winの関係を構築しようという空気に代わるものです。
では、どうしたら、巧妙に心の奥底に隠した自己嫌悪に気が付くことができるのかというと、
そういう時は、たいてい自己正当化しているので、まず、自己正当化に気が付くこと。
しかし、大人は、匠、もとい笑、巧みなので、自分が自己正当化していることに気が付かないように、自分を騙そうとします。なので、自己正当化に気が付くことができないこともあります。
そういう時であっても、自己正当化して自己嫌悪を隠している時は、何か違和感があったりします。
例えば、なぜか特定のことについての話になると普段おっとりしている自分がせっかちだったり(上の例で言えば連絡を待てず追撃するとか)、相手のことを思っている風に評価をしてみたり(上の例で言えば「あの人が社会人として困ると思う。」などと言い、自分のスルーは嫌だという気持ちは隠す)、いつになく堅い口調で「そんなの常識的におかしい!」と断定したり、感情を切り離そうとしたり。
なぜなら、自分が嫌いな自分を見たくないから。
見たくないから、巧妙に隠しているんだけれど、どこかに無理や不自然さがあって、そこが微妙な違和感となって出てくるのです。
こうした巧みに隠した自己嫌悪に気が付いてあげるだけでも、「嫌いな自分をそうまでして隠したかったんだあ、私。」「そんなにも自分を守りたかったんだ、怖かったんだ。」と自分のことを理解してあげることに繋がります。上の例で言えば、既読スルーはいやだという自分の本音を嫌ってまで相手に好かれたかった。
これって、形の是非はともあれ、愛情ですよね。
そして、自己正当化をしたことそのものについても、相手のためという気持ちが全くゼロというわけではない。正しさを武器にしたコントロールかもしれないけれども、動機には愛も一部あったりする。
そうしたところに着目できると、嫌いな自分をちょっとだけ許してあげられる。
そして、自己嫌悪が減ると、人を責めることも減る。
自分と仲良く、人と仲良くすることができるようになる、と思うのです。
いやあ、今回長文ですねえ(5000字超)。お読み頂いてありがとうございました!
個人セッションを申込む
小川正美の個人セッションは、①法律相談、②法律相談+カウンセリング、③カウンセリングのいずれも可能です。どのカテゴリか判別ができなくても、構いません。お気軽にどうぞ。
ご予約方法 ・上記コンタクトフォームから、第1~第3希望日時/対面・オンラインいずれかのご希望をお知らせくださいませ。 ・折り返し、日時と料金のお支払ご案内のお返事をいたします。仮予約が完了いたます。 ・セッション料金(初回:11,000円/60分、2回目以降:22,000円/60分)の着金をもって、本予約が完了いたします。 |