私は、10歳の時に父が亡くなり、その後20代半ばで結婚した。
29歳で別居して実家に戻り、その間弟が結婚し、31歳で離婚し、34歳の時に母が亡くなった。
こうした私の家族の系譜を見ると、どうしても「喪失」というキーワードが浮かぶ。
父が亡くなり、家族を喪失し、離婚と母の死で「やっぱり、私は家族を持てない」を繰り返し学習してしまった、という見方ができる。というか、つい最近まで、私はこのストーリーに基づく「私は家族を持てない」という観念を信じ込んでいた。
それゆえ、母が亡くなった後も、私は、この観念に基づいた現実を創り続けた。
それは、恋愛だけでない。
(でも確かに、既婚者でなかったから自覚しにくかったものの、結婚に繋がりにくい人とばかり付き合ってきた。)
思えば、旅行や趣味や飲食を度々共にした親しい友人や仲間とも、家族のような付き合いを続けることがだんだんとツラくなった。
嫌な言い方をすれば、疑似家族をしていることがツラくなった。
「確かに家族みたいに暖かいけど、あなたたちは本物の家族がいるじゃん。」と、拗ねる気持ちもあった。
そして、本物の家族は綺麗事ばかりじゃないことを知っているからこそ、私というグレーな存在は、そこに居てはいけないような気がした。
家族に近いけれど他人である私が居れば、その家族は、家族間の問題に潜む本当の感情を見ないで済む。
それは、どこかで問題先送りに寄与してしまっているような罪悪感や居心地の悪さがあった。彼ら彼女らの選択と私の選択の合意の結果だったのだけれども。
そして、理由はこれだけではないけれど、私は、友人たちから距離を置いたり置かれたりした。
だけど、今にして思えば、もしかしたら、友人の本物の家族の中でまるで親戚の子みたいな存在だった私も、ある意味「家族」だと捉えて良かったのかもしれない。
濃い家族関係の真ん中にいないことをいたずらに寂しがる必要などなかったのかもしれない。
なぜなら、グレーはグレーなりに、愛されていたから。
「もし海で、私と家族的な距離の誰かが溺れていたとしたら、絶対に私は助けて貰えない方だ。」という類の思い込みがあったことは、昨日も書いた。
この思い込みは、友人との関係では、特にグレーの距離感の存在であるがゆえに、理論的なもっともらしさをもって、強化された。そりゃあ、親戚より家族を先に助けるよね、当たり前じゃん、というわけだ。
強化された思い込みは、私の心の奥深いところで、まるで余所の星から翔んできた極小さな隕石のように体積に比して異常に暗く重たい、寂しさの根源となり、「家族が欲しい」という地の果てからの叫びのような感情になっていった。
この叫びと「私は家族を喪失する」という思い込みの矛盾した感情と観念が葛藤して、私は、疑似家族のように親しくなるけれど、家族にはなることができないという複雑な距離の人間関係を無意識のうちに築いた。
でも。
そもそも、「私は助けて貰えない」という思い込みは誤解だった。
理由は、昨日書いたこともそうだし、
そもそも、「海で私と家族的な誰かが溺れる」かつ「その他の家族的な誰かが救助可能」というシチュエーション自体が、想定し難いからだ。
もう少し現実的なシチュエーション、例えば、2人が介護を必要とする状況になったとして、残りの誰かが私を助けないという根拠はない。それは、実際問題としては、2人を助ける方向に物事は動くだろうし、万が一どちらか一方だとしてもその時点での要介護状態の程度やその他の人間関係や経済状況や余力といった要素に左右される、つまり、起きてみなければ分からないことだからだ。
そして、さらに言えば、私は、何だかんだ言っても1人にはならない運の強さがあると信じている。根拠はないけれども(笑)
とすれば、やはり、「私は助けて貰えない」という観念は、思い込みに過ぎなかったのだ。
この思い込みのために、私は、過去の恋人たちや友人たちを傷つけた。
自分の傷にばかり目を向けて、彼ら彼女らの愛を、受け取ることをしなかった。
本当に、申し訳ない。ごめんなさい。
でも、ありがとう。
母が亡くなってから、私はどんなにあなた方に助けられたことでしょう。
あなた方が居てくれたから、私は生きる選択を続け、今やすっかり図太くなり、生き抜いてこられたと言っても過言ではありません。
本当に、ありがとう。
それにしても、私は、何故そんなにも「私は助けて貰えない」という観念を握り締め、頑なに幸せを感じることを拒絶していたのだろうか。
母を傷つけた、助けられなかった自分を罰していたのか。
幸せにならないことで誰かに復讐していたのか。
自分は助けて貰えないかわいそうな存在だと信じることで、無力である、害を及ぼさない人間だとアピールしたかったのか。
「かわいそうな私」でいることで、人から優しくして欲しかったのか。
その全てかもしれない。
また、「私は家族を喪失する」という思い込みについても、こんなに握り締めなくて良いのかもしれない。
現に、猫たちと暮らすようになって、私はずいぶんと変わった。
「家族の在り方は変わってきている。」
いみじくも、今日の打ち合わせで、私はこう述べた。
血縁、法律婚、同居の有無に縛られない家族や緩い繋がりでの同居や近居が、今後は増えていくだろう。
遠くの親戚より近くの他人とも言う。
先のことを予測しても詮無いことだけれども、それぞれの人々が、真の意味で自立して、自由に、心の赴くまま繋がっていくのが、これからの在り方なのかもしれない。
まずは、「今」私は、助けて貰えない人ではない。
この幸せを嚙み締めよう。