皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
たまに戦う弁護士&心理カウンセラーの小川正美です。
私は、今日は、土曜のセミナー2件の準備や訴訟期日と内容をクライアントさんに報告したり、その他いくつかの交渉案件や諸々事務作業をこなしたり、お菓子のプレゼントが届いてニヤニヤしたり、猫たちと戯れたり、ご飯作ったり、もちろん朝瞑想したり、SNSを覗いたり投稿したり何だかんだと過ごしておりました。
何と言うか、不思議なことに、女性性をあるがままに開いていると、瞑想したりちょいちょい休憩したり遊んだりしても効率的に仕事が進むんですよね。
仕事に対するストレスが少ない(昔に比べて過度の責任感を感じなくなったし「何とかなる」という気持ちが強くなったので緊張が少ない、やらねばならないのにやっていないというストレスの原因になる仕事の滞留をしなくなった、拳を握り肩を怒らせながら「速くやらなきゃ!」みたいなやり方を止めた、優先順位をつけてToDoリストを作ってチェックして消し込むというような思考的なやり方を止めて気の赴くままにやっていても仕事を捌ける、など)、それだけで効率が段違い。
仕事が速くなったのにクォリティが同じか上がっているということは、タイムチャージを上げてもいいのかも・・・?なんちて(笑)
で、そんな感じで仕事をしつつも、最近は例の訴訟の件はまあまあ常に頭の中にあって、例の訴訟自体に苦しめられているという感じではないのですが、「このことが起きた意味は何なんだろう?」と謎解きをしている感じです。
ですので、謎解きの過程で、昨日書いた記事のように苦しい感情が浮かび上がって来ることはあります。
★昨日書いた記事
今日、ふと思ったのは、「あ、結局、この件も私がドラマを創っているんだなあ。」ということです。
それはもちろん、自分の旧い感情(もしかしたら祖母や母から受け継いだ感情)を癒すためでもあるし、
こうしたトラブルを起こすことによってみんなに心配してもらいたい、或いは、みんなにも何かを気づいて欲しい、と潜在意識が思っているのかもしれないし、
もっと高い視点から言えば、ただただ今世において色んな体験や感情を味わいたくてドラマを創っているのかもしれません。
また、今日新たに気が付いたのは、
「私、この件で被害者になろうとしているな。」ということです。
あ、まあ、被害者っちゃあ被害者なんですけれども。法律的には。たぶん。
ただ、今日、全く別件の訴訟の弁論で、いみじくも、私が、まあざっくり言うと「法律レベルの紛争解決と感情レベルの解決は別々である」ということを話したんですよ。
どの口が?
この口が(笑)
で、その後、クライアントさんに期日報告メールをドヤ顔で書きながら(まさにクライアントさんの意図する主張を言ったぞ!という気分だったので)、ふと、例の訴訟の件を思い出し、
「あれ?もしかして、相手方は法律レベルでは私が正しいと分かっている(又は分かりたくない)けど、感情レベルでは自分は傷ついたんだ、って主張しているのかな?」
と思ったのです。
そう考えると、確かに、相手方の事実誤認の点もたくさんあるのですが、
まあ、事実、当時の準備書面で主張した内容や提出した証拠が、訴訟行為として違法ではないし、弁護士倫理に反するものではないにせよ(少なくともこれまで弁護士会はそう判断し続けている)、
「そんなことはどうでもいい!オレは傷ついたんだ!!」
って言いたい、ってことなのかなあ。と思いました。
確かに、法曹に限らず、専門家というのは、一般の方たちの感覚よりも相当鈍感にならないとやっていられない側面があります。
例えば、血が怖かったり人が死ぬのが怖かったら外科医はできませんし、遺体が怖かったら警察官や葬儀関連の仕事はできませんし、クレームが怖かったらコールセンター業務はできません。
弁護士も、人の感情を害することに怖かったらできない仕事です。
いや、正確に言うと、怖くても感情を切って鈍感になることで、多くの人たちは、こうした業務をこなしているのだと思います。
なので、例の訴訟の相手方が、(プライバシーの問題があるので具体的な内容は書きませんが)私の書いた準備書面や証拠の提出方法や実施した反対尋問について、傷ついた!というのも、理解はできるのです。
一般論としてはね。
そう、ここで、私が、自分ごととして、彼に謝る、或いは、傷つけたことを理解して共感することができるのか。
対面の協議ならいざしらず、訴訟状態になっていると、謝ることには抵抗があります。ましてや、このように証拠として残りかねない公開のブログ記事となると、下手に謝罪すると「小川は謝った、自分の非を認めた」とそれこそ証拠として提出されかねません。
でも、あくまで、感情的な問題として、法的な過失は私にはないということを前提として、
私は、彼に、謝りたいと思います。
・・・・・・・
あなたが余りに居丈高で怒り心頭だったので、傷ついているとは、私には到底考えが及びませんでした。
東京高裁の和解期日の後に、庁舎の出口で待ち伏せをされ、何事か激高しながら私のクライアントさんに向かってこられて、非常に怖い思いをしました。
もちろん、他に関係者もいたし、警備員さん達もいたから大丈夫でしたけれど。
でも、確かに、あの訴訟の経緯を考えれば、あなたがしたことはどうあれ、あなたが心情的に傷つくのも無理はないかもしれません。
もしかしたら、弁護士から手紙が来て怖い思いをした、というのも、ご主張のとおりだったのかもしれませんね。
(ただ、申し訳ないけれども、それを私がそそのかしたとか火に油を注いだというご主張は全く持って違います。そんなことをしても私には何の得もないですし。)
そこは、ごめんなさい。
ただ、私から1つだけ。
あなたが、本当に分かって欲しいのは、誰ですか?
本当に私なのでしょうか?
私は、違うんじゃないかな、と思っています。
あなたの傷ついた心が、私の傷ついた心が、少しでも安らかになりますよう。
・・・・・・・
例の訴訟の相手方が、これを読んでいるかは分からないし、読んでいたとしても響くかどうかは分かりませんけれども。
私も、相手方も、被害者でもなく、加害者でもない。
1つの気づきとして、記しておきます。