皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
たまに戦う弁護士&心理カウンセラーの小川正美です。
今日も例の訴訟についてのお話です。すみません!
※例の訴訟とは、7年前の訴訟の相手方ご本人から昨年12月に私が慰謝料請求訴訟を提起された件で、私は、昨年12月来、この相手方原告(男性)について、「私は、なぜ裁判を起こされるというこの状況を必要としたのか?」という観点から向き合っているのです。
先日の期日において、私は、「今のところ、反訴※はしないつもりです。」と述べたのですが、舌の根も乾かぬうちに気が変わりました(笑)
※反訴とは、民事訴訟の被告が、口頭弁論終結前に同じ裁判の中で、原告を相手方として新たに提起する訴えのことです。関連性とかの要件はありますが。本件で言えば、私が相手方に対し慰謝料請求の反訴をすることです。
やっぱり、反訴しようと思います。
反訴状書いたりするのがめんどいけど(笑)
つい最近まで、私としては、相手方が思っている誤解、すなわち、私が私のクライアントさんをそそのかしたとか不当に高額な報酬を得たとか、そういうことについて、相手方が誤解だったんだ、と分かってくれればいいやと思っていたのですが。
私は一所懸命に仕事をしただけなんだよ、結果あなたを傷つけたかもしれないけれど、と分かってくれればいいや、と思っていたのですが。
いやまあ、今でも、分かってくれればいいんですけれど。どっちだよ(笑)
降りかかった火の粉を祓えばいいや、とも思っていたのですが。
相手方が殴り掛かってきたのに対して殴り返すようなやり方をすると、エネルギー的に同等になって変に噛み合ってしまってかえって紛争が長引く、とも思っていたのですが。
私の考えが変わりました。
私の直感で根拠はありませんが、おそらく、相手方の攻撃を避けるだけのほうがかえって紛争が長引きそうな気がするのです。
というのも、実は、私自身も、この訴訟が長引くメリットがあるのでは、と思ったのです。
そのメリットとは、1つには、自分が被害者=かわいそうな人でいられること。同情を買うことができること。心配してもらえること。
もう1つは、この訴訟においては、私は、(以前よりも表現に気を使い相手方の感情を斟酌しているけれども)自分の主張を基本的に自由にできること、平たく言えば言いたい放題とまでは言わないものの普段の生活よりもだいぶきつい言葉で色んなことを言っても罪悪感がないこと。なぜなら相手方は「悪」で私は「被害者」だから。
なので、この件を私のストレス解消のためのサンドバッグにできること。
他方で、おそらく相手方のメリットとしては、1つには、私と同様、彼も自分が被害者と思っているので言いたい放題言えてストレス解消できること、
もう1つは、この訴訟をやっていれば、本命の向き合うべき家族との関係性から目を反らすことができること。
この双方に裏のメリットがある構造では、たとえ顕在意識で「早くこの訴訟を終結させたい」と思っていたとしても、潜在意識が終結させてくれません。
潜在意識は、できるだけ争点整理も長引かせ、尋問も行い、判決が出ても、敗訴当事者は控訴することになるでしょう。今からざっと1年~1年半仕事です。長いですねえ。
私はそんなことはイヤなので、反訴を提起して、このお互いのエネルギーバランスを崩すことにしました。
そして何より、私自身を愛してあげたいな、と思ったので、反訴することにしました。
確かに、相手方には相手方なりの理由があって、私に対して訴訟を提起したのでしょう。
私も、これは自分の起こした問題だと考えて、自分なりに色々なギフトを得ました。
汝の敵を愛せよとばかりに、相手方と私のクライアントさんとの関係性や歴史に思いを馳せたりしました。
でも、やっぱり、この件についての相手方の負の感情を私が受け止める謂われはないんですよね。どう考えても。
そして、駅前の放置自転車の買い物カゴに空き缶が溜まっていくように、1つゴミを捨てられ、私がそれを甘受していると、他の人までここにゴミを捨ててもいいんだと勘違いしてどんどん捨てるようになるのです。
エネルギー的な観点から言えば、私が溜めたり充電したり発電しているエネルギーが、相手方が開けた穴からどんどん漏れ出ているような状態なのです。
それは違う。そんなの、私がかわいそう。
相手方もかわいそうかもしれないけれども、私がまず満たされなければ、誰のことも癒すことはできない。(そもそも、私は相手方を癒したくない。)
だとしたら、やっぱり、反訴を提起して、私も慰謝料請求をしよう。と思いました。
報復ではなく、過剰防衛でもなく、正当防衛といったらそうなのかな?分かりませんが。
ただ、私が、大切な愛する私を守ってあげたい。
肉体的にも精神的にも丈夫な子だからってこれまで邪険に扱ってごめんね。こんな扱いをされて良い私じゃないのにね。
ずっと耐えてくれてありがとう。愛してるよ。
と言いたい。
そう決意したら、比喩的でなく、外側に向いていた意識が自分自身に戻り、自分の肉体のエネルギーが上昇し、体温が上がったような感覚になって、暖かい気持ちと安心感に包まれました。
自分がちゃんと自分を守ってあげて、愛してあげることで、力を取り戻したような気持ちにもなりました。
私の中の男性性が私の中の泣いている女性性を守ってあげるようなイメージ。
それをやってしまったら、男性性が強くなり過ぎて自己完結してしまってパートナーができなくなるんじゃないかと危惧していたのですが、
それはそれ。
女性だって、いざという時に男性を守ったり(信じるということも含めて)一緒に頑張ることが必要な時もある。
だから、やっぱり、私が私を守ってあげなくちゃ!と思うのです。
★例の訴訟について、動画でも話しました。