皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
たまに戦う弁護士&心理カウンセラーの小川正美です。
最近、少し忙しくしていたのと動画配信が面白くてそちらをやっていたので、ブログは久々の更新となりました。
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さて、これまた久々に?例の訴訟の件です。
※例の訴訟とは、7年前の訴訟の相手方ご本人から昨年12月に私が慰謝料請求訴訟を提起された件で、私は、昨年12月来、この相手方原告(男性)について、「私は、なぜ裁判を起こされるというこの状況を必要としたのか?」という観点から向き合っているのです。
先日、第2回目の期日(弁論準備手続期日)が行われました。
初回の第1回口頭弁論期日では、私は形式答弁(訴状に対する実質的な反論はしておらず、請求棄却の判決を求める等の結論のみを答弁すること)をしたので、今回の期日ではまあまあなボリュームの反論をしました。
準備書面14ページも書いちゃったよ。念のため言っておくと、裁判官から「詳細な反論を」とのことだったのでたくさん書いたんですけどね。
途中で、「なんで私がこんな目に!」と怒りたい気持ちにもなりましたが、いや、怒りましたが(笑)、でも、以前の記事にも書いたように、
>ただ、相手方が怖くて悔しいのと同じくらい、私も怖くて悔しかったんです。
>拙かったかもしれないけれど、力を入れ過ぎたのかもしれないけれど、相手方に私やクライアントさんや他の親族の何かの投影や悪役の役割を引き受けさせたかもしれないけれど、クライアントさんのために一所懸命に仕事をしただけだったから。
>それはあなたの誤解です。
>「どうか、理解して頂きたい。」
といった内容を、書いたんです。
そしたらですね。まあ、電話会議だったので相手方ご本人の顔も見えませんでしたし、なぜか直接話もしなかったのですが(裁判所の配慮?)、あくまで私の体感としては、これまで経験した相手方の怒りの感情満載のオーラといいますかトゲトゲした雰囲気といいますか、そういったものは少なかったように思います。
むしろ、私のほうが、「本当は、この件、反訴※したいんですけれどね!(プンプン)でも、まあ、準備書面にも書いたように、原告さんの心情も踏まえて今のところ反訴は提起しないつもりですけれども!(プンプン)」と言っていました(笑)
話し始めたら、怒りが湧き上がってきたのです。
だって、私だってしんどいもの。人間だもの。仕方ないですよねえ。
※反訴とは、民事訴訟の被告が、口頭弁論終結前に同じ裁判の中で、原告を相手方として新たに提起する訴えのことです。関連性とかの要件はありますが。本件で言えば、私が相手方に対し慰謝料請求の反訴をすることです。
で、相手方からは、本件の紛争の元となった訴訟等について私が受領した弁護士費用や受任の経緯について釈明があったのですが。
もちろん、「関連性ないでしょ!」と言いましたが、まあ、彼が一番知りたいのはそこだということは分かっていたので、口頭でお話しました。
「原告さんが思ってるよりも、ずいぶんと少ないと思いますよ~。弁護士費用。●●円です。」って。
実際、日弁連の旧基準※に照らしても、やや少なめくらいでしたから。
※弁護士報酬は、現在業界としの規制・基準はなく、自由に定めてよいことになっています。ただ、かつての基準(旧基準)に合わせて報酬基準としている事務所は多いと思います。
まあ、そんなこんなで、期日は続行になりました。
尋問やるのだろうか・・・(憂鬱)(裁判所は遠方)(まあ、旅に行くと思うしかない)
とはいえ、やはり、この件の恩恵って大きいのです。
第1は、ネガティブな出来事にも、感謝できるようになったこと。正確には、感謝に至るまでのスピードが格段に上がったこと。
第2は、自分の価値を本気で受け取ろうと決意したこと。
以前だったら脊髄反射的に傷ついていたようなこと、例えば、過去に人から酷いことを言われたり無視されたりといったことが気にならなくなりました。
それは、「別にあんな人どうでもいい。」という拗ねて分離していくような感情ではなく。
「ああ、あれも学びよねえ。ふう。」といった上から目線の感情でもなく。
「私が悪うございました。申し訳ございません。」という罪悪感でもなく。
なんだか分からないけど、その人々にはそうせざるを得ない事情があったのだろうし、たまたま私が彼ら彼女らのネガティブな感情を受け容れるくらい心の距離が近くて、かつ、心の器が大きかった。
もちろん、私も同様な感情を彼ら彼女らにぶつけてきましたし、そのことによってもれなく自己攻撃をしていましたから、投影の法則的には、自分の自己攻撃が他者に投影されて他者から攻撃されていた、とも言えます。
人との関係性によっては、「なんで私がそんな感情を引き受けなきゃならないのよ!身内に言いなさいよ!」という怒りでいっぱいになっていたけれど(例の訴訟の相手方が典型)、それは、私が潜在的にそういう世界、つまりネガティブな感情を爆発させ合う世界を望んでしまっていたからなのでしょう。
私自身がネガティブな感情を地雷のように深く埋めていて、その量はもう爆破処理をしなければ保たないほどたくさんだったのでしょう。
そういう、癒着というか共依存的というか、見方を変えればお互いに「この人だったらこんなダメな自分でも受け容れてくれるはず」と甘え合い、かつ、「こんなダメな自分じゃ、いつかこの人からも嫌われる」と怯えている、要するに深くて重たい無価値感が満載の状態だったのです。
私の場合は、罪悪感(自分は人を傷つけるという罪悪感、弁護士であること自体等恵まれていることへの罪悪感、等々)もコンボになって複雑化していました。
で、そういう無価値感って、自分の価値を受け取ることでしか癒せない。
罪悪感は、罪悪感を使って自分の本来の道から外れたところを生ることを止める、幸せを受け取る、と決意することでしか癒せない。
無価値感や罪悪感に言い訳をさせるのを止めて、本来の自分の大きさで生きることを決めると、今度はおそれが出てくるわけですが、そこは「怖い怖い」と言いながら、人に応援してもらいながら、一歩一歩進んでいけばいいんだと思うのです。
これからは、よりいっそう、自分の本音を見据えて、自分を誤魔化さず、自分を研ぎ澄まして生きていきます。