皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
今日は、乙女座新月の日ですね。私は占星術が大好きなので、新月・満月・春分秋分といった星読み業界イベントは欠かさずチェックしています。3年くらい前までは、新月・満月になるとこまめに願い事をノートに書いていましたよ。いつからか、めんどくさ・・・イヤイヤ、潜在意識に自分の願い事を刻み込むなら、何もその日に拘らなくてもいいんじゃね?と思うようになり、月のパワーは借りなくなりましたが。
ただ、月の力はすごく意味があるとは思っています。
月の力が、潮の満ち引きや古来からの農作(種まきの日を月暦で決めていたり)に影響するように、私たち女性(たぶん男性にも)の身体にも影響しているように(満月は出産が多いとか言いますよね)、地球に対する影響力は強いので、人間の潜在意識に影響をしても、全く不思議ではないと思います。
そして、私は次にどんな世界を創るのだろう?あなたは?
きっと心の奥深くでは既に描いていて、あとは人生の答え合わせ的に流れに乗っていくのだろうなと感じているのだけれど、
今日は乙女座新月。現実化の始まりに相応しいから、具体的に描くのもいいかもしれない。#潜在意識#ゆるスピ部— 小川 正美/たまに戦う弁護士・心理カウンセラー (@MasamiOgawa_LLL) September 7, 2021
※なぜ現実化の始まりに相応しいかというと、乙女座は、現実的なことを管轄する地の星座のグループの一員で、今日は同じ地の星座の牡牛座に滞在中の天王星と正確な120度の関係を作っているからです。
さてさて、前回の続きです。
前回は、刑事弁護のお仕事をする際に、私がクライアントさんに提示することのある「クライアントさんの人生のアナザーストーリー」についてお話しました。
人生のアナザーストーリーを描く、ということは、これをお読みの皆さまも、意識的にせよ無意識的にせよ、きっと行ったことがあると思います。
典型的なのは、つらかった出来事も無意味ではなかった、自分に乗り越える力があるからこそ起きたんだ、人生に無駄なし、と振り返ること。そこここで言われることではありますが、本当に大切な真実ですよね。
今日は、私の個人的な体験のお話です。
上のtweetでも述べているように、私は、ここ最近、ますます自分が世界を創造しているという確信を深めています。
その仕組みを説明するとしたら、自分の潜在意識や無意識の領域で望んだことや自分の内側にあるものの見方(観念・思い込み・ビリーフ)は、私達が顕在意識で認識している以上に、私達の思考や外側の情報の取捨選択や意味付けに影響を与えており、これらの取捨選択や意味付けはあまりに自動的かつ瞬間的に行われるため、自分の内側の世界が外界に投影されていく、といった感じでしょうか。
例えば、
昔の人は、「人間が空を飛べるはずがない」という観念を持っていたけれど、ライト兄弟は、その観念を持っていなかった。いつか飛べる、と思っていた。
だから、飛行機を開発することができた。彼らの内側では、「飛行機はある」という世界だったから。
逆に、「無理」だと思っていた人達は、絶対に飛行機を開発しようとはしなかった。
なぜなら「人間は空を飛べるはずがない」と思っているので、飛ぶためにどうしたら良いか?という情報を集め思考し試行錯誤するよりも、むしろ「飛べない」という観念を強化する・証明するような情報を、無意識的に集めていったはずだから。
といった感じです。発明シリーズで行ったら、とめどなく例を挙げられますね。最初にウニを食べた人とか、二足歩行した人とか。人間って偉大ですよねえ。
で、私は、今回の人間の人生でもうすぐ50年を迎えようとしているわけですが、結構長く生きてきたので(一昔前だったらもう平均寿命ですよね)、最近は、過去の体験が「人生の答え合わせ」のような気分がしています。いや、まだまだ生きるつもりですけれど・・・100くらいまで。
えっと、前置きが長くなりました(笑)
私のアナザーストーリーですね。
私は、大学卒業後、保険会社に就職して、25歳で同期の男性と結婚し、退職して彼の転勤についていき、別居・離婚して、33歳でロースクールに入学し、弁護士になりました。
法学部出身だったので、ある意味安易に弁護士を目指したわけですが、その前に、司法書士試験も受験して、実は離婚した年に試験に落ちました。その後、無謀にも?ロースクール受験・司法試験に転換したという経緯があります。
★司法書士試験を受けていたころ
今にして思えば、私は、実は心のどこかで「私は、弁護士になる。」と決めていたのかもしれません。この捉え方も、司法書士試験に落ちた当時の私から見たら、アナザーストーリーだなあ。
★それは神様のはからいでもあったのかも。
そして、この前、ふと、私が別居して実家に戻ったこと、離婚したこと、ロースクールに行ったこと、その後母が亡くなったこと。これらの一連の出来事は、もしかしたら、私が母を助けたくてやったことなのかもしれない、と思ったのでした。
★一連の出来事
非常によろしくないかもしれない言い方ですが、母は、晩年、私が実家に戻ったために、病気を発症してから最期まで、1人暮らしをすることはありませんでした。
もし私が結婚を継続していたら、同じ場所ではないかもしれませんが遠く離れた土地にいたままだった可能性もあります。
それを私がエライとか、弟夫婦がどうとか言いたいのでは全くありません。事実として、「そうだった」。それだけのことです。
離婚時には母は元気だったので、まさかこんなに早く亡くなるとは思っていませんでした。
ただ、あの時、私は、元夫より母を選んだんだな、とは思うのです。
理由は、これだと明確には言えませんが、おそらくあの頃の私は、強い人(元夫)より弱い人(母)を助けなければならない、と思っていたのでしょう。それは、実は、弱い自分が強くなりたくて「弱い母」を見ていただけなのかもしれませんが。
また、元夫のことを、この人は私のパートナーではない、とどこかで思ったのでしょう。これはお互い様ですけれども。
同時に、あの頃、私は、当時意識はしていなかったけれど、自分の人生に制限をかけることを強制的に止めたんだな、と思います。
「私が弁護士になんてなれるはずがない」「30過ぎてそんな賭けに出るべきではない」「少しでも働いて月に数万円でも家計に入れるべき」「男の人より賢いことがばれてはいけない(賢いとは思っているところがウケますが(笑))」・・・・等々。
もっと言えば、心のどこかで、私は、弁護士になることを決めていた。
だから、
離婚したし(追い込まれないと勉強しないタイプなので)、
私が弁護士でなかったゆえに母を十分助けられなかった出来事も「私が起こしたし」、
司法書士試験にも落ちたし、
友人にロースクール受験を「誘わせた」。
そして、弁護士になってからも、まあ色々と公私にわたって悩み苦しみ、弁護士に向いていない、辞めたい、でも辞められない(他に食べていく手段もないし、養ってくれる人もいない)、経済的にも精神的にも依存できるパートナーもいない、という状況を、「私が創り出していた」。
それも、心理学を学び、さらには自分がどう生きるか・生きたいかということに向き合うために、そして私にはその力があると自分を信じることができるように、「私が仕組んだ」こと。
全ては、私が描いたストーリーどおりでした。
ここまでの人生の答え合わせができました。
これから、どんな物語を紡ぐのか、もう既に、私は決めているのかもしれません。
その物語の答え合わせは、これから。楽しみですね。
皆さまも、よろしければ、ご自分の人生の答え合わせをしてみて下さいませ。