皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?
たまに戦う弁護士&ガイディング・コンサルタントの小川正美です。
昨日から4月ですね。早くも1年の4分の1が終わったんですねえ。光陰矢の如し。。。
そして、エイプリルフールでしたがあいにく気の利いた嘘をつくことはできませんでした(笑)
かつ、おひつじ座の新月だったのですが、周りには「今日は新月だよ!」と触れ回っておきながら、自分は特段願い事をするでもなく、というか昨日は仕事やら花見がてらの散歩やら忙しくて願い事をする暇がありませんでした。いやまあ、要するに願い事を書く優先順位が低かったってことですけど・・・(笑)
でも、桜はとても美しかったです。今年の桜は何だか例年以上に幻想的な気がします。
さて、今日は、「受け取る」ということについてお話したいと思います。
先日も、自分の求める愛され方以外であっても愛を受け取ることができると、それは愛することと同義だよー、ということを書きました。
同じ「受け取る」でも、
上記の話は、受け取る対象の愛を愛だと気が付かない、すなわち誤認している場合で、刑法総論で言えば客体の錯誤みたいな話だと思うのですが(法律ネタですみません)、
今回は、自分の価値を明確に伝えて貰っていても何らかの理由で自分にはそんなに価値がないと思って受け取れない場合ですので、評価の誤りですから法律の錯誤ですかね。
前者が「たぬき・むじな事件」、後者が「むささび・もま事件」。いずれも大審院判例です。判例の呼称からして可愛いでしょ。ご興味のある方はどうぞ(笑)
さて、やっと本題です。
私たちは、自分に自信がないとき、人から自分の価値を伝えて貰っても受け取ることができません。
どんなに仕事ができるとか成果が素晴らしいとか創造的だとか美しいとか優しいとかセンスがいいとか頭がいいとか努力家だとか才能があるとか賞賛されたとしても、
「いえいえそんな。私なんてまだまだ。。。」と本気で思っています。上には上がいるからです。
むしろ、居心地が悪すぎて誉めないでください、くらいに思っています。
これとは異なり、実は自信があって謙遜しているという場合もありますし、下手に自信を見せたら嫉妬されるのがめんどくさいので謙虚なふりをする場合もあるでしょう。こうした場合は今回は含まれません。
では、なぜ、自分の価値を伝えられても受け取れないのでしょうか。
上には上がいる。確かにそのとおりかもしれない。
だけど、あなたの目の前の人(パートナーやお客様等)は、「あなた」がいいと言ってくれる。
なのに、なぜ受け取ることができないのか?(そして深堀は避けますが、同じ人であっても分野によって受け取れなかったりっしますよね。例えば仕事の成果は受け取ることができるが美人であることは受け取れない、など)
理由としては、様々あるでしょう。
賞賛されると罪悪感が湧いてくる、嫉妬されるのが怖いから誉められたくない、本当に自分には価値なんてないと思っている(無価値感)、自分なんて無力だと思っている・・・。
これらの感情は、いずれも、過去の傷が遠因となっていて、そこで感じた未消化な感情が傷となっていて、似たような箇所を誉められると傷に触れられるのと同じになってしまい、痛みが走るのです。
また、加えて、罪悪感や嫉妬されるおそれは、実は「本当は潜在意識では自分には価値があることを知っている」ことを示し、
他方で、無価値感や無力感は、換言すれば「自己不信」ですので、
自己価値があると思っている潜在的な自分と顕在意識の自己不信満載の自分が矛盾した感情でケンカしている、葛藤している、という場合もあるかもしれません。
じゃあ、どうしたら自分の価値を受け取ることができるのか?ということですが、今の私の考えでは、3つあると思います。
1.上で述べたように過去の痛みの感情が原因なので、原因となった体験で感じた感情を感じ切る、自分を許す、罪悪感を手放す等して癒す。
カウンセリングの王道だし、原体験にヒットすれば一気に変わることもありますよね。もちろん自分で向き合うのも。
2.客観的な証拠(笑)や人からの証言を並べて、思考で自分を説得し、腑に落とす。
とはいえ、「頭で分かってても心が納得しないんだよー--っ!」ってことになりがちですよね。。。
軽度のもの、或いは思考優位なタイプの方はこの方法もいいかも。
3.(今日のメインテーマ)自分の価値を伝えてくれた人、自分に価値を見出してくれている人、自分の価値を信じてくれている人を信頼し、その人の真心に報いたい、と決意して若干体育会ノリ(男性性)で受け取る。こうすることによって相手に感謝を与えることになる。
と、まあ、全部書ききった感じもしますが。
そうなんですよ。自分の気持ち、罪悪感だの無価値感だのおそれだのに拘泥している状態って、嫌な言い方をすれば自己中心的で子どもっぽいんですよね。
自分のことしか見てないんだもん。
相手の気持ち、相手が「あなたは素晴らしい」と言ってくれている気持ちを無視しているんだもん。
相手に失礼なんですよ。
自分の罪悪感や無価値感にばっかり目が行って、むしろ相手に罪悪感や無価値感を不幸の手紙ばりにプレゼントしているかもしれません。
そんなのイヤじゃないですかー。だったら受け取りましょうよ(自分にも言っています笑)。
「ありがとうございます。」って。
もう少し優しい観点から言えば、
自信がない、自信を持ちたくない、正解主義完璧主義になってしまう分野のことって、たいてい、自分にとって、大切な分野なんだと思うんですよ。
私にとっては、仕事がそうです。(あ・・・恋愛も?笑)
もう13年目にもなるのに、前よりは随分とマシになりましたけれど、未だにどこか弁護士として自信がないところがあります。上や尖っている人ばっかり見て自分は足りないと思ってしまう。
でもそれって、クライアントさんにできる限り満足して欲しいからだし(仕事柄100%の満足は難しいけど)、客観的にも優れた価値を提供したいからだし、私ならではの価値も提供したいからなんです。
すごくすごく大切だからなんです。だから、クライアントさんに喜んで頂けているか不安になったり自信がなくなったりする時もあるんです。
それも仕方ないですよねえ。大切なんだもん。
だから、ついつい、「自分は足りない」「自分はダメだ」と思ってしまいがち。
でも、「足りない」イコール「ダメ」ではない。
足りない、と、ダメをくっつけているから苦しくなっちゃう。
だから、「足りない」と思った時は、
「ああ、まだまだ自分は足りないなあ。もっと勉強するか!」
「ああ、まだまだ自分は足りないなあ。まあいいか。そんな自分も可愛いよね。寝よ(笑)」
「ああ、まだまだ自分は足りないなあ。ダメだなあ。・・・うん。そう思っちゃう時もあるよねえ。でも実はダメじゃあないのさ(笑)」
何でもいいですけれど(笑)、最終的に自分にダメ出しをしないようにしたらいいと思います。
そうしたら、そのうち、「ありがとうございます!」と価値を受け取ることができるようになるはずです。
自分に価値を見てくれた相手に感謝することは、感謝を与えることでもありますから。
そう思って、ともに頑張りましょう(笑)
最後に。
自己価値の種類として、外側(後天的に身に着けたもの。ステータスとか)と内側(ありのままの自分の存在価値)に分類できると思っています。
で、私は、弁護士という一応ステータスが高いと言われる職業の経験から、
外側の価値が高まっても内側の自分に価値を見出せないことがあり、
内側の価値が高まると外側の自分に価値を見出すことが難しくても人間存在としての根源的な自信はあるので生きやすくなる、
と思います。
つまり、やっぱり、「根拠のない自信」って最強よね!ということです。
大抵のお店では私が弁護士であることを明らかにするとサービスというか感じが良くなるものだが、逆にそれがイヤで(弁護士じゃない私に価値がない気がして)一時期名乗らなかった。そのうち名乗らなくても私の振る舞いでサービスが良くなった。そしたら名乗っても平気になった。 →
— 小川 正美/たまに戦う弁護士・ガイディングコンサルタント (@MasamiOgawa_LLL) April 2, 2022
→ 上は自分が顧客で自己価値を隠そうとしたパターン(外側の自分に価値があり内側はないと思ってた)で
顧客が自分に価値を見てくれた→イヤイヤ私大したもんじゃないっす→お客さんガッカリという場合もある。自分が提供側で自己価値を隠そうとしたパターン(外側も内側も価値がないと思ってた)— 小川 正美/たまに戦う弁護士・ガイディングコンサルタント (@MasamiOgawa_LLL) April 2, 2022
ではでは。